人類を救うのは俺ではないような気がする/Apocrypha 作:甘味処アリス
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「マスター。人を羨んだことはあるか?」
「え? 急に何を……」
「己が持たざる才能、機運、財産を目にしてこれは叶わぬと膝を屈した経験は?」
急に何を言いだすんだ、本当に。
「世界には不平等が満ち、ゆえに平等は尊いのだと噛み締めて涙に暮れた経験は?」
「そりゃ……」
「答えるな、その必要はない」
聞いてきたのはそっちだろ。
「心を覗け。目を逸らすな。それは誰しもが抱くゆえに、誰1人逃げられない」
それはそうだろう。世の中、誰しも劣等感を抱く。嫉妬する。完璧な人間なんて、いないんだから。
「他者を羨み、妬み、無念の涙を導くもの」
「嫉妬の罪」
そう言って、アヴェンジャーは扉を開いた。木製の扉が、ギギギという音を立てる。
「さあ、第一の『裁きの間』だ。おまえが七つの夜を生き抜くための第一の劇場だ」
裁きの間。越えるべき試練の一つ……!
「七つの間、それぞれの支配者がお前を殺そうと待っているぞ? まずはその一つ目、味わうがいい! その名は『ファントム・ジ・オペラ』!」
アヴェンジャーの奥には、特徴的な白い仮面と赤き血に濡れた鋭い爪を持つ男がいた。
ファントム・ジ・オペラ……それに、あの仮面。まさか、オペラ座の怪人!? フランスで見た、あのサーヴァントか!?
「然り。さすがにお前も知っていたか」
そう言うと、突然襲いかかってきたファントムに対してアヴェンジャーは悠長に構える。
そして、ファントムの爪の一撃をアヴェンジャーは見切って避ける。
「美しき声を求め、醜きもののすべてを憎み、嫉妬の罪をもってお前を殺す化け物だ!」
「クリスティーヌ……クリスティーヌ、クリスティーヌ、クリスティーヌ!!」
ファントムは埒が開かないと思ったのか、標的をこちらに切り替えてくる。クソッ!
俺を標的に切り替えた途端、静止し、ファントムは唄い始めた。
「微睡むきみへ私は唄う愛しさを込めて
嗚呼 今宵も新たなる歌姫が舞台に立つ!
嗚呼 お前は誰だ きみではない クリスティーヌ!!
我が魂と声は ここに ひとつに束ねられる。即ち……」
そう唄って、ファントムはより苛烈にこちらに襲い掛かる。
俺はその攻撃を懸命に回避しながら、ギリギリの距離を置く。
ファントムは静止して唄っては攻撃、静止して唄っては攻撃を繰り返していた。
「私は欲しい 欲しい 欲しい
今宵の私はどうしようもなく……あまねく人々が
「ようく見ておけよ、マスター。コレが人だ。お前の世界に満ち溢れる人間どものカリチュアだ!
戦え。殺せ。迷っている暇はない。なぜなら──」
アヴェンジャーが全て言う前に、ファントムは再び爪を振るう。
俺はそれを避けながら、アヴェンジャーの言葉を聞く。
「おまえがオレを信じようが信じまいが関係ない。奴は、問答無用でおまえを殺すからな!」
アヴェンジャーがそこまで言ったところで、気がついた。
「ははは! アレはどうやらおまえの喉をコレクションしたくてたまらんらしい!」
アヴェンジャーがそう言うと、ファントムは唄い始める。
「唄え 唄え 我が天使!
今宵ばかりは 最後の叫びこそ 歌声には相応しい!」
「どうする? 身を守るか! 戦うか!」
「くそっ……戦う!」
「ならばオレの手を取れ! 仮面の黒髪鬼に真なる舞踏を見せてやる!」
俺がアヴェンジャーの差し出した手を取ると、アヴェンジャーは笑顔で俺の前に躍り出た。
そして、ファントムの攻撃を
「ふん……この程度」
アヴェンジャーの光を纏った拳が、ファントムの顔を容赦なく射抜く。
ファントムは地面に爪を刺してブレーキをかけると、アヴェンジャーに向かっていく。
「フハハハハハ!!」
アヴェンジャーは正面に向かって、光をその両手から放つ。
それはファントムの細い体に、霊核があったであろう胸に、大穴を開けていた。
一方的な蹂躙、宝具すら使っていない。これがアヴェンジャーの実力か……!
その戦闘能力の高さに戦慄していると、アヴェンジャーはファントムを見下ろして言葉を発した。
「脆い脆い! 哀れ、醜き殺人鬼になるしかなかったモノよ! シャトー・ディフはおまえの魂に相応しくない! おまえは殺人者としてはあまりに哀しすぎる!」
アヴェンジャーの言葉に、ファントムは最後の力を振り絞って唄う。
「時の果つる先より 光が 見える……この胸に、想いならざる大穴を開けるのか……
おお 我が心臓よ いずこ
おお 我がこころ いずこ
クリスティーヌ この心臓はきみに捧げよう
クリスティーヌ この愛を きみへ」
「悲しい歌だ……」
クリスティーヌへの届かない想いと、自らの負った傷を重ね合わせたのか。届かないと知ってなお、届けるべきものをなくしてもなお、届けようとするその歌はあまりに哀しかった。
「果たしてそうか? よく聞け。あれは黒髪の殺人鬼が叫ぶもう一つの歌だ
我が恩讐の彼方よりの一撃は霊核を砕き、あれは最早砕けるまでだが、あの歌は、最後まで続く」
しかし、俺の思いをアヴェンジャーは否定した。なるほど、確かにそんな見方もあるのかもしれない。
──けど、やっぱり。どこまでも続く歌は、霊基が滅んででも届けたいと思う歌は。悲しいと、そう思うのだ。
「クリスティーヌ 我が愛 わたしはきみを愛するが
クリスティーヌ 私は耐えられぬ
尊きはクリスティーヌ きみと共に生きる人々を
愛しきクリスティーヌ きみと同じ世界にあるすべてを
きみと過ごす人々を 朝陽の当たる世界を 私は 私は」
「──時に
それは、心からの言葉だったように思う。ずっと好きな人と共にあれなかった。ずっと地下に閉じ込められていた。だからこそ、願う。だからこそ、妬む。それが、どんなに些細なことでも。
浅ましい劣等感じゃない。自身の不遇でもない。その哀しい歌は、ただ自分がどれだけソレを大切に思っていたのか。どれだけソレが欲しかったのか。それを、それだけを唄っていたのだ。
これが、人々の真の姿かもしれない。──けれど、やはり、それは哀しすぎた。
「はは、ははははははははははは! はははははははははははァ!!」
アヴェンジャーは、狂ったようにその姿を嗤う。
「オペラ座の怪人、おまえの嫉妬を見届けた。おまえを殺し、その醜さだけを胸に秘めて俺は征く!」
アヴェンジャーはそう言うと、とどめをさす。わずかに残っていた霊核、それをその拳で砕いた。
「地獄で誇れ。おまえこそが人間だ」
そう言ったアヴェンジャーの顔は、一瞬前の狂ったような笑顔は
人間の醜さ。その権化たる、ファントム・ジ・オペラを突破したのだ。
こうして、俺たちは一つ目の裁きの間を突破した。
──だが。確かに、勝ったけれど。
「見事だったぞ、マスター! なるほど、これがマスターを有した状態での戦いか。悪くない。確かに、仮の契約ではあるがおまえはオレのマスターだ!!」
「──」
「さあ、第二の『裁きの間』へと向かうぞ! 残る支配者が待っている! 虎のように吼えよ。おまえには、
「──待った。本当に、ここから出られるのか?」
──だが。どうしても。どうしても、アヴェンジャーに対する疑いを払拭しきれないのだ。
俺が疑惑の声をあげると、アヴェンジャーは馬鹿にしたように鼻で笑い、そしてこう答えた。
「おまえの疑念にはただ一言を以て返答するとしよう」
「''──待て、しかして希望せよ''だ」