埼玉知事選挙にスポーツジャーナリストの青島健太氏が出馬。青島氏ってどんな人?

ジャーナリストで解説者の青島健太氏が埼玉県知事選に自民党から出馬。華々しいメディアで活躍している姿が最近では目立つが、大変な苦労人だった。

更新日: 2019年07月02日

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苦労人=いい人。というのは安直な考えかもしれないが、青島氏の話や、姿勢と過去を見れば、信用に足る人物だと思う。

chokochi8852さん

青島健太氏ってどんな人?

埼玉県知事選挙にジャーナリストの青島健太氏が立候補した。青島氏といえば、メディアでスポーツの解説をしている印象が強いが、華々しさとは縁遠い苦労人だ。そんな苦労人が、様々な努力で今の地位を勝ち取り、埼玉の為に働こうとしている。

アサヒ スーパードライのCMに時の人として出演していた姿は誰もが観たことあったのでは?

過去には、落合信彦氏、三枝成彰氏など、時代の中心にいた人物を起用していたCMに起用された青島健太氏。しかし、輝かしいキャスター時代にたどり着くまでは苦労の連続だった。

元プロ野球選手。しかし、故障などでプロ5年で引退。

1985年5月11日の対阪神戦(神宮)で、工藤一彦からプロ野球史上20人目、セ・リーグ8人目、ヤクルト初となる公式戦初打席初本塁打を放つ。同年は三塁手として9試合に先発出場を果たした。しかし木製バットへの順応が遅れた上、故障も相次ぐなどして一軍と二軍を行き来する日々が続いた。1987年には一軍に定着し自己最高の58試合に出場するが、打撃面では低迷。その後は出場機会がなく1989年を最後に現役引退。

プロ引退後、1990年、オーストラリアビクトリア州ケラングで日本語教師を受け持つ。そして、もう一度スポーツと向き合う決心をした。

翌1991年に日本に帰国後はスポーツジャーナリストに転向。1992年頃に「Number」(文藝春秋)でスポーツライターとしてデビューした。

その後、執筆業の傍らTBSテレビ(2000年代中期まで)・TBSラジオ・J SPORTSで解説を務めるほか、スポーツニュースや早朝の情報番組のキャスターを務めた経験も持つ。また、スポーツ選手のトークショーやシンポジウムなどのMCを務めることも多い。

野球を忘れたいがためにオーストラリアに向かったが、オーストラリアで再びスポーツのすばらしさに目覚め、野球以外も一生懸命勉強して、ジャーナリストとして成功した。

怪我で引退後にスポーツキャスターとして徐々に仕事が増えていく。

活躍できなかった選手は年棒もあまり大した金額ではなく、引退後に苦労するケースが非常に多いのが現状なのです。その中でも引退後に大活躍しているのが青島 健太さんです。青島 健太さんはヤクルトスワローズに入団した後の公式戦で初打席初本塁打という非常に珍しい記録を作ったものの、現役時代は残念ながらあまり目立った活躍はできませんでした。

しかし現役引退後はスポーツジャーナリストに転向し、野球を愛する方々へプロ野球を外から伝える役目に回りました。
プロ野球を分かりやすく伝えることはもちろん、野球に関する執筆業や講演、シンポジウムにトーク番組の司会など、幅広い分野の仕事を受け持つようになりました。現役時代よりもはるかに多くの給料を稼げるようになったため、野球を辞めた後に成功した選手の一人なのは間違いないでしょう。

プロスポーツ界で、現役中に成功出来なかった人で、引退後脚光を浴びる選手というのはほとんどいない。パッと思い浮かべても青島氏以外は浮かんでこない。青島氏の才能もあったと思うが、努力でつかみ取った成功ではないか?

泥臭くとも前に進んできた青島健太。埼玉県知事へ立候補を表明。「デッドボールでも四球でも、一塁にたどりつくために全力を尽くしたい」

プロ初打席はホームランだったが、初めての知事選でどう戦うか問われると「デッドボールでも四球でも、一塁にたどりつくために全力を尽くしたい」と述べ、手堅さ重視で臨む構えを示した。

草加市出身の青島氏は「スポーツの機能をどう行政に落とし込み、世の中に役立てるか。県民のいろんな声を聞き、政策にも反映させたい」。政治経験はないが「価値観に縛られない。いい意味での武器にしたい」と述べた。…

出典青島健太氏「死球でも…」初の知事選は手堅さ重視

・埼玉県の輝ける未来を確信

スポーツ選手が政界に進出する話はよくあるが、大体は優秀な成績を残したり、偉業を成した選手ばかりだが、青島氏の場合は、スポーツ選手出身というよりは、文化人としての進出といっていいだろう。もちろん、様々な角度でスポーツと向き合って、畑違いのスポーツも勉強してここまで来た。
挫折を味わった努力の人といっていいのではないだろうか。
こういう人は強いし、挫折を味わった分、人の痛みもわかる人だ。
是非、県知事としての青島氏の姿を見てみたい。

誕生 1958年4月7日(61歳)
出身 日本・新潟県新潟市(現・中央区)八千代
教育 慶應義塾大学法学部政治学科
職業 元プロ野球選手、スポーツライター、テレビキャスター、大学客員教授
活動期間プロ野球選手:1985年 - 1989年、スポーツライター:1992年頃 -

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