人類を救うのは俺ではないような気がする/Apocrypha   作:甘味処アリス
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監獄塔に復讐鬼は哭く-1

 何かに、睨まれたことを憶えている。

 その視線が、自分を守る多くを貫いて、何かを与えたことを分かっている。

 

 その因果だけを理解して、ぐだ男はまどろみの中にいた。

 

 そこが今まで巡った多くの場所の、そのいずれとも異なる、全てを足しても及ばぬほどの悪意が満ちていた。

 ただ一重に、人が人を苦しめるためだけの、悪意に満ちた世界があった。

 

「目を開けたか」

 

 そこには、男がいた。

 誰かが、自分に話しかけていた。

 

「目を覚ましたか」

 

 その、黒い影に輪郭を与えたような男が、稲妻を放つような激しさを秘めた男が、一人で彼に話しかけていた。

 死だけが救いであり、脱出となるこの監獄で、幸運にも如何なる苦痛も受けないぐだ男に、彼は静かに語り掛けていた。

 

「さて、お前には二つの自由がある。一人でも奮戦するか、助けが来ると楽観してこのまま寝て待つという選択肢だ」

 

 その勧めに、優しさはない。

 ただ無情を知った上で、なにも諦める気がないという強固さを感じさせる。

 

「お前は幸運にも、その責務を一人で背負っているわけではない。或いは、都合よく救世主様が助けに来てくれるかもしれん。或いは、他のマスターが助けにくるかもしれん」

 

 ふと思い浮かぶのは、誰かがいた、という記憶の影だった。

 

 自分には従ってくれる力強い影があった。

 

 自分と一緒に責務を負う誰かがいた。

 

 自分が、自分達が何をしようとしていたのか。自分たちは何者なのか。それはまるで思い出せない。

 

 だが、明確に言えることがある。自分は一人ではなかった。

 

「お前がここで目覚めぬままに命を落としても、人理は救われるかもしれん。お前が信じていた輩だ、きっとお前という欠落も乗り越えるだろう。どうだ、楽に死ねば救われるぞ? それがお前に向けられた慈悲…かもしれん」

 

 それは、諦めることを勧める言葉だった。

 

 その方が楽かもしれない。

 

 なんとなく憶えているのは、圧倒的な存在。

 

 今自分が置かれている状況を悪夢として、目が覚めたとしても。

 

 自分が向き合わなければならない現実は、解決しなければならない問題は。

 

 きっと、この悪夢を脱するよりもよほど辛いことなのだろう。

 

 いっそ、穏やかに息を引き取るべきなのかもしれない。

 

 仮に目が覚めても……その先は、見ている方が疲れ果てるような、あきれ果てるような、惨いだけの道なのかもしれない。

 

 結局、苦しんで苦しんで、苦しみぬくだけの日々なのかもしれない。

 

 ならばいっそ……夢の中の無痛の死こそが、慈悲なのかもしれない。

 

 

「それはできない」

 

 

 それを、ぐだ男ははねのけていた。

 

 今日までの日々が楽だったわけではない。それぐらいは憶えている。

 

 自分が抜けても諦めるような仲間ではない。それだって分かっている。

 

 自分が居なくても、何とかするかもしれない。

 

 これから先に、楽しいことが待っているわけではないとも分かっている。

 

「ほう」

 

「人が待っている」

 

 そうだった。

 

 それが虚ろな影になってしまっても、確信していることがある。

 

 自分を待っている人がいる。

 

 自分が立ち上がって、一緒に苦難の道を歩むのを待っている彼らがいる。

 

 自分を求めている彼女がいる。

 

 きっと、泣いている。

 自分がここにいるということは、自分が悪夢の中にいるということは。

 

 彼女の手の届かないところに自分がいるということは。

 

 きっと、彼女は自分を求めている。

 

 うぬぼれかもしれない。

 だが、それでも、もしかしたら、限りなくゼロに近かったとしても。

 

 単なる錯覚であり、思い込みに過ぎなかったとしても。

 

 彼女が泣いているかも…しれない。

 

 その可能性を、自分は放棄できない。

 

「ならば、俺もつきあおう。七つの間に挑むがいい、悪夢から地獄に戻る男よ」

 

 彼は微笑んでいた。

 

 その選択肢を選んだ、自立している彼を、苦しむ道を歩む彼を喜んでいた。

 

「その選択を後悔しても、いつでもお前は諦めることができる……いいや、諦めないのかもしれないがな」

 

 未だに、悪夢を脱する道は遠く。

 

 それでも、彼らは歩む。

 監獄の塔の中を、脱出するために。

 

「待つ人がいるか……それがお前を動かす力なのだな」

 

「そうだ、それが仲間だ」

 

 待て。しかして希望せよ。

 

◇◆◇◆◇

 

 頭がぼうっとするような、そんな不思議な感覚だった。例えるなら、夢を見ているようなものか。──否、おそらく、自分は夢を見ているのだろう。

 

「察しがいいな。その通りだ、マスター。確かに、お前は今、悪夢の中にいる」

 

 少しづつ、頭がはっきりしてくる。悪夢の中にいるのに、目が覚めたような違和感を感じる。

 

 ……このまま、彼についていっていいのだろうか。果たして、彼は本当に味方なのか? 覚めない夢の中、疑いが一瞬自分の脳裏をよぎる。

 ……だが。他に、道があるわけでもない。この道を進むしかないのだ。

 

「見ろ! マスター!! 奴らは貴様を気にくわないようだ! 此処にいて尚、温かく脈動する貴様がな!」

 

 彼は嬉しそうにそう報告してくる。此処(ここ)。此処とは、一体何処なんだ。そして、お前は一体誰なんだ。

 

 そう思いつつも、襲いくる死霊対抗するために自分の右腕に刻まれている令呪を発動しようとした。サーヴァントを、呼ぼうとした。

 

(ジークフリート)を。

 

彼女(マシュ)を。

 

 ──そして、気づいた。

 右手の甲。本来あるべき場所に、赤い痣がなくなっていた。

 夢だからか。それとも……。

 

 襲いくる死霊の爪を躱すと、次の瞬間、彼は一撃で死霊を殺した。

 

「一撃……!」

 

「ハハ、そう焦るな、マスター」

 

「……俺はマスターじゃない」

 

「では、こう呼んでおこうか? 仮初めのマスターよ! お前は知らなければならない。ここは何処か、オレは誰なのか! 得られる情報は些細なものだろうよ……だが! その中でも、学ばねばならぬことはある。例えば……そう、人間(オマエタチ)の醜さを──」

 

 続々と、彼は周囲にいる死霊を屠っていく。その早さが、彼は並大抵の英霊ではないということを示していた。

 

「そんなことより、ここは何処でお前は誰だ!」

 

「此処は地獄。恩讐の彼方たるシャトー・ディフの名を冠する監獄塔! そして、このオレは……英霊だ。お前のよく知っている筈のモノの一端だ。この世に陰を落とす呪いのひとつだ」

 

 英霊(サーヴァント)……!

 

「哀しみより生まれ落ち、恨み、怒り、憎しみ続けるが故にエクストラクラスを以て現界せし者」

 

 エクストラクラス……! ジャンヌと同じ裁定者(ルーラー)か!?

 

 俺がそう言った瞬間、目の前の彼は明らかに不機嫌になった。

 

「ルーラー……違うな。──そう、アヴェンジャーと呼ぶがいい」

 

 そう言うと共に、彼はその身を翻して松明(たいまつ)に照らされた廊下を歩いていく。俺もそれについていくと、唐突に彼は語り始めた。

 

「死なぬかぎり──生き残れば、お前は多くを知るだろう。多少歪んではいても、此処はそういう場所だからな。だが、このオレが態々懇切丁寧に教えてやる義理はない」

 

 そこまで言うと、彼はこちらをチラリと振り向いて言った。

 

「オレはおまえのファリア神父になるつもりはない。気の向くまま、お前の魂を翻弄するだけだ」

 

 ──ファリア神父? 誰だそれは?

 

「フン。最低限のことは教えておいてやろう。手短にな」

 

 俺が知らないことをアヴェンジャーの手間になると考えたのか、そこから色々なことを説明してもらった。

 

 所長を含めた俺たちマスターの魂が魔術王の呪いによって、それぞれが『悪夢』に囚われていること。カルデアに一切の通信が取れないこと。

 脱出のためには、それぞれが、サーヴァントによる手助けのもと試練を乗り越えなければならないこと。

 

 俺は七つの『裁きの間』を超えなければいけないこと。

 裁きの間で死ねば実際に死ぬし、何もせずに脱出するハズの七日目を迎えても実際に死ぬこと。

 

 マスター達は呪いによって悪夢に囚われていると言っていたが、彼女(マシュ)は? カルデアは? 無事なのか?

 

 そう問いただすと、アヴェンジャーは「はは。さあな」とだけ答えた。

 ──そして、扉の前で、彼は俺に問う。

 

「マスター。──人を羨んだことはあるか?」



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