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底抜けの明るさとやさしさ。 そして凛とした厳しさ。 そして雄々しくあること。 これこそ日本人の日本人たるところです。 |
杉山茂丸

画像出所=http://fukuoka-senjin.kinin.com/senjin/1369
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)昭和初期を代表する日本のミステリー小説家として有名な夢野久作は、本名を杉山泰道(すぎやまたいどう)と言って、父親は玄洋社にあって国家主義者の巨魁といわれた杉山茂丸です。
その泣く子も黙ると言われた超大物の父、杉山茂丸について、夢野久作は
『父杉山茂丸を語る』という一文を書います。
読んでみると、これが実におもしろい。
ちょっとその「さわり」をご紹介してみます。
夢野久作がまだ5〜6歳だった頃のことです。
***
久しく家を空けていた父が久しぶりに帰宅しました。
帰って来た父は私の頭を撫でる間もなく、
かみそりを取出してしきりに磨ぎ立て、
尻をまくってアグラをかくと、
突然、きんたまの毛を剃り初めました。
なんでも、きんたまにシラミが湧いたのだとか。
「門司の石田屋という宿屋で
頭山満と俺とが宿賃が払えずに、
故郷を眼の前にしながら
フン詰まっていたんだ。
ところで頭山も俺も
きんたまの毛に
シラミがウジャウジャしていたから、
ひとつこいつを喧嘩させてみようではないか。
で、負けた方がここに滞在して小さくなっていて、
勝った方が宿賃の金策に出る事にしよう!」
てなことになったのだそうです。『ねずさんのひとりごとメールマガジン』 登録会員募集中 ¥864(税込)/月 初月無料! |

頭山が「面白い、やってみよう」と云うた。
ところが頭山のシラミは真黒くて精悍な恰好をしている。
俺のに湧いたヤツは真白くてムクムク肥って活動力がない。
これではドウ見ても勝てそうにない。
しかし俺には確信があったから、
新聞紙を四ツに折って、
その溝の十文字のところで選手を闘わせた。
案の定、俺の白いヤツが
黒い奴を押し倒おして動かせない。
で、俺が解放される事になって帰って来た訳だ。
ナアニ、頭山は正直だから、
シラミを逃がさないようにシッカリとつまんで出すから、
土俵へ上らないうちに代表選手が半死半生になっている。
俺の方は、選手をつまみ出すときから、
出来るだけソーッとつまんで、
てのひらに入れてソーッと下に置くのだから、
双方の元気に雲泥の相違がある。
勝敗の数は勿論、問題じゃないことになるのだ!ワハハ」
この話で、ウチ中が引っくり返るほど笑い転げました。
とにかく父が帰ると同時に家中が急に明るく、
朗らかになった気持だけは、今でも忘れない。
***
杉山茂丸とまでいかなくても、こうした破天荒な明るさ・剽悍(ひょうかん)さを、幕末から明治、大正、昭和初期に来日した外国人や、外地で日本の兵隊さんたちと接した外国人たちが「日本人の特質」として等しく紹介し指摘していることです。
義和団事件の模様を「北京篭城」という本に書いた英国人ジャーナリストのP・フレミングは、20万の大軍を相手に篭城戦を戦ったときの日本の兵隊さんたちについて、とても人間業とは思えない光景を見たと言って、次のように語っています。
***
隣の銃眼に立っている日本兵の頭部を銃弾がかすめるのを見た。
真赤な血が飛び散った。
しかし、彼は後ろに下がるでもなく、軍医を呼ぶでもない。
「くそっ」というようなことを叫んだ彼は、
手ぬぐいを取り出すと、
はち巻の包帯をして、
そのまま何でもなかったように敵の看視を続けた。
また戦線で負傷し、麻酔もなく手術を受ける日本兵は、
ヨーロッパ兵のように泣き叫んだりはしなかった。
彼は口に帽子をくわえ、かみ締め、
少々うなりはしたが、メスの痛みに耐えた。
しかも彼らは沈鬱な表情一つ見せず、
むしろおどけて周囲の空気を明るくしようとつとめた。
日本兵には日本婦人がまめまめしく看護にあたっていたが、
その一角はいつもなごやかで、
ときに笑い声さえ聞こえた。
長い籠城の危険と苦しみで
欧米人、とりわけ婦人たちは暗かった。
中には発狂寸前の人もいた。
だから彼女たちは日常と変わらない日本の負傷兵の明るさに接すると
心からほっとし、
看護の欧米婦人は皆、日本兵のファンになった。
***
どんなに苦しくても貧しくても、痛くても悲しくても、泣きわめいたり当たり散らしたりするのではなく、明るさと笑いをもたらす。
それは自分より周囲の人々を大切に思う、日本人の思いやりの心が普通に誰にでも備わっていたからです。
フランス人のボーヴォワルは、来日して日本人に接し、その印象を次のように述べています。
***
日本人は笑い上戸で、心の底まで陽気である。
日本人ほど愉快になりやすい人種は殆どあるまい。
良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。
そして子どものように、
笑い始めたとなると、
理由もなく笑い続けるのである。
***
腹の底から屈託なく笑えるというのは、相互の根底に互いの信頼関係があるからです。
「どんなに親しい友人でも、決して一緒に井戸の底を覗いてはならない」
というのは、Chinaの格言です。
果たしてそういう社会で、人と人とが信頼しあい、お互いに腹の底から大笑いすることなどできるのでしょうか。
みんなが大笑いできる国であるということは、良い国家であることの重要なファクターといえるかもしれません。
こうした一方で、夢野久作は父について、次のような逸話も紹介しています。
やはり久作がまだ幼かった頃のことです。
***
奥の八畳の座敷中央に火鉢と座布団があり、
そこにお祖父様が座っておられました。
大変に憤(おこ)った怖い顔をして、
右手に総鉄張りで梅の花の模様の入った
銀制の煙管(キセル)をを持っておられました。
そしてその前に、父が両手を突いて、
お祖父様のお説教を聞いているのを、
私はお庭の植込みの中からソーッと覗いていたのです。
そのうち突然にお祖父様の右手があがったと思うと、
煙管が父のモジャモジャした頭の中央にぶつかって、ケシ飛びました。
それが眼にも止まらない早さだったので
ビックリして見ているうちに、
父のモジャモジャ頭の中から
真赤な滴りがポタリポタリと糸を引いて
畳の上に落ちて流れ拡がり初めました。
しかし父は両手を突いたままジッとして動きません。
お祖父様は、座布団の上から手を伸ばして、
くの字型に曲った鉄張り銀象眼の煙管を取上げ、
父の眼の前に投げ出しました。
そして、
「モット折檻してやるから真直に直して来い」
と激しい声で大喝されたのです。
父はうやうやしく一礼し、煙管を拾って立上りました。
その血だらけの青い顔が、
悠々と座敷を出て行くところを覚えています。
****
幼い久作には、祖父が何で怒り、父がなぜ叱られていたのかまではわかりません。
けれど、幼子の前で、祖父が若い父親を叱り、キセルが曲がるほど強くひっぱたき、そのため頭から血を流しても、堂々と立ち振る舞い、きちんと頭を下げ続ける父。
笑いの絶えない明るさがある一方で、
厳しく雄々しく、
凛とした強さを持ち、
互いの絆、信頼を大切にし
毅然とした親子もある。
それが日本の原風景です。
ですから笑いも、昨今の馬鹿笑いとは異なります。
近年のテレビなどによく出てくる穢族系の瞬間芸のようなものは、昔は「くだらない」と一蹴されたものです。
笑うのは「たのしい」からです。
その「たのしい」は、楽しい、愉しい、怜しいなどとかきました。
楽しいは、楽曲を聞いて良い気持ちになることです。
愉しいは、不安な気持ちが抜き取られることです。
怜しいは、神々の御前で心を穏やかにすることです。
いずれも、素敵な気持ちになることです。
それは、無理やり笑いを誘う馬鹿笑いとは、まったく異なるたのしみです。
だから子供の頃、よく言われました。
「テレビを観ていると馬鹿になる」
まさにその通りであることに、最近の若者達は気づきつつあります。
※この記事は2012年8月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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l ホーム l 8月6日 広島への原爆 »
能天気な相方が聞いてきます。
そういう見方もあるかも知れませんが少し違うと思います。
「見た目の景色じゃ無くて、その時代や場所…人々の心のありようと生きざま…それが原風景だと思うよ。」
『難しくて分からん!』
初めて異国に渡った時のことをよく思い出します。
言葉はダメだし…歩く以外は何もできないし、何も分からない…朝から晩まで不安。
突然!
生まれたばかりの赤ん坊になった!
そんな気分でした。
その赤ん坊が初めて見たり経験した異国の文化。
驚き
感動
動揺
失敗
恐かったです。
でも、全てが新鮮でした。
こんな思い出に、一人旅が好きになった自分の「原風景」を感じます