リーマン・ショックをきっかけにして2008年年末から2009年年始に日比谷公園にはっせい出現した「年越し派遣村」から10年が過ぎました。
当時、日産自動車ではグローバルで2万人規模の人員削減をすると打ち出し、実際に大量の雇い止めに踏み切りました。
その一方でゴーン前会長は2008年ごろに自ら私的に抱えた17億円前後もの投資損を日産に付け替えたとして、特別背任の疑いも持たれています(ひとつ目の逮捕は、金融商品取引法違反の疑い)。
こうしたこともあり、リーマン・ショック前後に雇止めになった非正規労働者の声が
メディアで取り上げられていました。
怒りしかない。説明責任を果たせ――東京・霞が関の厚生労働省で行われた会見で2009年3月に雇い止めにあった男性(42)が語った言葉です。男性は、当時期間工として日産車体(神奈川県平塚市)に勤めていました。現在は無職。雇い止め後はアルバイトで食いつなぎ、生活保護を受けたこともあったといいます。
2008年当時、本当に経営不振であったとすれば、逮捕容疑にあるような私的な投資損を付け替えられるような余裕は会社になかったはずです。そうなると、記者会見の男性に対して行われた2009年3月時点の解雇の必要性にも疑いが持たれます。
2008年5月まで日産財団の理事長は、ゴーン前会長でした。その後、ゴーン前会長はさらに経営者としての評価を高め、それを誇示するような通称・ゴーン学校を開設することになり、余剰とされた組合員は退職勧奨を受けました。
年越し派遣村は、東京ユニオンの上部団体である全国ユニオンで実施したホットラインを契機に広く呼び掛けて行った運動です。
年越し派遣村さらにゴーン前会長の日産自動車就任前後で日本社会はどうかわったのか? じっくりと考えてみる必要がありそうです。