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【コラム】

筆洗

 戦前の新興俳句をリードした西東三鬼(さいとうさんき)に「有名なる街」と題した連句がある。<広島に月も星もなし地の硬さ>。広島。原爆の傷痕も生々しい、一九四七(昭和二十二)年の句である▼二句飛ばして<広島や卵食ふ時口ひらく>。次が<広島の夜遠き声どつと笑ふ>。興味深いのは句の並び順である。悲惨な広島を詠みながらほんの少しずつだが、句に差し込む光が大きくなっている。人間らしさを取り戻していく過程がぼんやり見える▼どんなに無残な現実があろうとゆで卵を食べるときはぽかんと口を開ける。食べ、生きるという人間の行為に対する賛美であろう。句はさらに人間らしく<どつと笑ふ>までになる▼連句の最後は<広島に林檎(りんご)見しより息安し>である。露店で見た真っ赤な林檎に広島の未来を見て安心している。三鬼の連句は絶望から希望に向かっている▼広島の原爆忌である。絶望の日から少しずつ取り戻していった光は、まぶしいほどになっている。なれど人類はそのまぶしさを守れるのか▼油断ならぬ国際情勢がある。対立がある。米国とロシアの中距離核戦力(INF)廃棄条約は対立の果てに、この二日で失効した。「核なき世界」は逃げ水のようで、いつまでたってもたどり着けぬ。何より、あの日からの長い時間が非人間的な出来事の記憶を薄れさせる。戒めに連句をこの日は逆の順に読んでみる。

 

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