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【社会】

<終わらぬ夏 戦後74年>(下) 住民監視やマラリア、生々しく

「戦争体験はどう生かされているのか」と「戦争絵」の制作に意欲を示す潮平さん

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 「戦時中、軍隊がこの島にやって来ると、軍隊は秘密保持のために住民を監視し、住民との間でもめ事が起きた。自衛隊がやって来た場合も、同じことが起こり得るのではないか」

 沖縄戦の体験を絵に描き続けている沖縄県石垣市在住の総合美術デザイナー、潮平正道さん(86)は「自衛隊への賛否以前の話だ」と前置きした上で、石垣島への陸上自衛隊配備計画への懸念を口にする。

 その例として、潮平さんは知人の証言に基づいて描いた作品をあげる。

 絵に描かれた女学生は戦時中、島中央部の於茂登(おもと)岳にあった野戦病院に准看護師として勤務していた八重山高等女学校(現沖縄県立八重山高校)の生徒だ。避難先の家族との面会を終え、病院に戻る道を歩いていた時、敵機の機銃掃射を受けた。

 近くの森に逃げ込んだら日本兵に「なぜここにいる」と、スパイの疑いをかけられる。偶然に近くで水浴びしていた女学生の親戚の兵士がその様子を目撃し、あやしい者ではないと証言、疑いが晴れたという内容だ。

 七十四年前の実話だが、潮平さんは「自衛隊が配備されると、似たようなことが予想される」と語る。

 潮平さんがそう考える根拠は、同じ先島諸島の宮古島と与那国島へ配備された陸上自衛隊部隊に、自衛隊内外の情報を収集・整理する「情報保全隊」が含まれていたことだ。軍事評論家や専門家は「住民を調査・監視し、島嶼(とうしょ)戦争の対スパイ戦の任務に当たることが想定される」などと指摘している。

 戦時中、石垣島など八重山諸島は地上戦がなかったにもかかわらず、日本軍の命令でマラリア感染の危険性が高い地域に疎開を強いられ、住民三千六百人以上が死亡した。中でも、島民の三割が死亡するなど、被害が甚大だった波照間島での強制疎開を主導したのは当時、島に駐屯していた陸軍中野学校出身の将校であったことは、昨年上映された映画「沖縄スパイ戦史」(三上智恵、大矢英代監督)で改めて話題となった。

 潮平さんは沖縄戦が始まった一九四五年春、中学入学と同時に十二歳で、師範学校と中学校の生徒で編成された「鉄血勤皇隊」に入隊。潮平さんら家族三人もマラリアに侵されたが、米軍配給の特効薬「アテブリン」で一命をとりとめた。

 九死に一生を得た潮平さんが戦争体験や知人の証言を基に「戦争絵」を描くようになったのは約二十年前から。描いた絵はマラリアにかかった住民、戸板やもっこでの遺体搬送など約六十点にのぼる。

 戦後七十四年を経て惨禍の記憶が薄れる中、先島諸島に自衛隊が相次いで配備されようとしている。「戦争の教訓がどこまで生かされているのか」。潮平さんの戦争絵を描く意欲は衰えない。

 (この連載は編集委員・吉原康和が担当しました)

 

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