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2019-08-06

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

矢沢永吉の特徴的なことばは、
 すでにいろいろ有名になっているものが多い。
 彼の造語ではないけれど「よろしく」だとか、
 「おれはいいけど、矢沢がなんて言うかな?」だとか、
 「キャデラックでハイライト買いに行くのよ」だとか、
 モノマネを仕事にしている人たちには、
 欠かせないキイワードがいくつかある。
 ほんとに本人が言ったものなのか、
 だれかの脚色で生み出されたものなのか、
 いろいろ混じっているような気がする。

 そういうなかで、昔からぼくが気になっていたのは、
 「金の金じゃないのよ」ということばだった。
 つまり、いわゆる「金(かね)」についてくる意味とは、
 もっとちがう「金(かね)」のことを俺は言ってるんだ、
 ということを表現することばだった。
 金について、また、金がほしいという欲望について、
 あの時代にあれほどあからさまに言ったのは
 他のだれでもなく矢沢永吉だった。
 そのことで、いろいろ言われたことも多かった。
 その矢沢が、「金の金じゃない」と何度も言ったのは、
 まったく言い訳ではなかった。
 そのことは、ぼくにはたしかに伝わっていた。
 世間は、金といったら貨幣や紙幣のことしか考えない。
 しかし、「金」とは、もっと多義的なものだろう。
 力そのものでもあるし、夢や希望の乗る船でもあるし、
 人を狂わせる魔物でもあり、人生ゲームの賞品でもある、
 飢えた人にとっては腹を満たすパンそのものでもある。
 矢沢が「金がほしい」と言ったときの金とは、
 そういうものを味方にしたいという願いに近いものだ。 
 「金の金じゃない」は、かっこつけて言えば、
 金についての彼の哲学が言わせたセリフだった。

 矢沢永吉は、いまじゃなくて、若くてギラギラして
 「金がほしい」と言ってる時代から、
 「金の金じゃないのよ」とずっと言っていた。
 金ばかりではなく、愛だとか、やさしさだとか、
 絆だとか、正しさだとか、ひとつだけの意味で
 ぶんぶん振り回せることばが世にはあふれているけどさ。
 愛の愛じゃないのよ、やさしさのやさしさじゃないのよ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ことばの多義性は、面倒臭さでもあり豊かさでもあるよね。


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