特に詳しくなくても、普通に歴史常識がある人なら、そんな馬鹿なという事になるだろうが、世の中には実際にそのような妄想(デマ)を本に書き、あろうことかそれを信じてしまう人が存在するのである。https://twitter.com/xiongmao53/status/1102164477326180352 …
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確かにアイヌ民族の伝統文化と言えるものが形成されたのは、この時期であり、厳密な意味でのアイヌ民族は、この時期に成立したと言う他は無い。しかし、これは決してそれ以前の北海道住民とアイヌ民族との断絶を意味するものではない。
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冒頭の時代区分表のように、北海道では考古学的に縄文・続縄文・擦文との時代区分が行われるが、これは決して民族の断絶を意味するものではなく、遺伝子人類学者は北海道縄文人を基盤として、オホーツク文化人の遺伝子を受け取ることでアイヌ集団が成立したと説明している。https://twitter.com/xiongmao53/status/1102160162289152001 …
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例えば、これを大和(本土日本)に当てはめると、一般には「日本」なる民族は古くから存在したように宣伝されているのであるが、上の「アイヌ文化形成」と同じレベルで考えたならば、今に続く大和(日本)伝統文化が形成され、それが全国に広まったのは、せいぜい室町時代のことと言う他なのである。
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その意味で、アイヌ民族同様、筆者などは厳密な意味での大和(日本)民族の形成は、室町期特に戦国時代(応仁の乱以降)のことと考えるのであるが、これは決してそれ以前の列島本土住民との血統的断絶を意味するものではない。そもそも民族とはそういうものなのである。
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なお、今回国会通過が予定されている「アイヌ新法」や、それが基づいた国連宣言に言うところの「先住民族」とは決して「最初」からのその土地の住民というものではなく、近代以降の植民地化の問題であることを改めて指摘しておく。https://twitter.com/xiongmao53/status/1113414028758409218 …
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下のように書いてしまいましたが、文化面で言うと、北海道縄文人の流れをくむ擦文文化がオホーツク文化と融合することによって、アイヌ文化(民族)が成立したと考えられています。https://twitter.com/xiongmao53/status/1114792442555817984 …
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これら一連の連ツイは、下記『まとめ』に【その7】として収録しています。https://matome.naver.jp/odai/2155179236140963701?&page=1 …
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訂正:「厳密な意味でのアイヌ民族」→「狭義のアイヌ民族」。 なお、このような言い方を現「アイヌ史」界隈では余りしないようだが、これは決して私の独創ではなく、網野善彦なども同様の見解を披露している。https://twitter.com/xiongmao53/status/1114790950927196160 …
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網野善彦『日本社会の歴史(下)』より引用。 《北東アジアでも、明の力がアムール川下流にまで及ぶ一方、日本列島北部の動乱による津軽・下北の諸勢力の動揺が北海道南部に影響を及ぼし、そのなかで、アイヌの動きも活発化した。アイヌは農耕を充実する方向を捨て、
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主として交易に従事する道を選択し、そのなかで新たに「民族」としてみずからを形成する道に進みはじめていた。》上書45〜46頁。 ここでまず注目したいのは、網野が「民族」と、民族を「」付きにしていることである。勿論、網野がどのような意図で、「」付けしたのかは断定できない。
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しかし、この網野の言う新たに形成されたアイヌ「民族」にしろ、決してそれ以前の北海道の住民と無縁であったわけでは無い。https://twitter.com/xiongmao53/status/1114790950927196160 …
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これはあくまで私の推定であるが、「(オホーツク文化との融合を果たし)現在に続く伝統文化と広がりを持ったアイヌ集団」=「狭義のアイヌ民族」と「それ以前から存在するアイヌ系言語の話者集団」=「広義のアイヌ民族」を区別する為、網野は前者を「民族」と「」付けしたのではないかと考える。
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少なくとも、上のような定義で「狭義」と「広義」のアイヌ民族を考えることは十分有効なことであると考える。ここで押さえねばならないのは、民族というものは国家などと同様、万古不易に存在してきたものではなく、特に個別の民族に至っては、当然、形成・発展・消滅の過程をたどるということである。
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なお、これらの大和民族形成時期についての私見も決して筆者の独創ではない。内藤湖南もさることながら、網野善彦の一連の著作を読めば、下のような大和民族の形成は南北朝から戦国にかけてという示唆を受けると思うのだが。https://twitter.com/xiongmao53/status/1114793759512727552 …
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「“アイヌ文化”という呼称は誤解を生みやすいから、“二風谷文化と呼ぶのはどうか”」とか言われてますね
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馬鹿げた議論です。
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