長沼ナイキ訴訟 1968年 5月31日、 防衛庁は、当時の防衛力整備計画の一環として、航空自衛隊の地対空ミサイル(ナイキ)基地を北海道夕張郡長沼町馬追山に建設すると発表しました。これを受けて1969年7月7日、当時の長谷川四郎農林大臣は、同地の国有保安林としての指定を森林法26条2項に基づき解除し、ナイキ基地建設へと踏み出します。ちなみに、この森林法26条2項は、こうした保安林指定解除処分が許される要件として、「公益上の理由により必要が生じたとき」を挙げています。 これに対し、地域住民173名は、自衛隊は憲法9条に反して違憲であるから、その違憲の自衛隊の基地建設には「公益上の理由」は認められないとして、この保安林指定解除処分の取り消しを求めて、農林大臣(国)を相手取り行政訴訟を提起したのでした。奇しくも、この長沼ナイキ訴訟は、同じ北海道を舞台に争われた恵庭事件以来の憲法9条をめぐる憲法訴訟として展開していったのです。 1973年9月7日に第1審の札幌地裁が下した判決は、日本の憲法判例史上、あまりにも有名です。すなわち、札幌地裁は、憲法前文の「平和のうちに生存する権利」が、つまり「平和的生存権」が「裁判規範」として裁判によって保障される権利であることを認め、農林大臣の保安林指定解除処分が地域住民の「平和的生存権」に対する侵害となることから、地域住民にはこれを争うべき訴えの利益があると判断しました。その上で、国家の「自衛権」の存在は肯定しつつも、それは「ただちに軍事力による自衛に直結」するものではないのであって、「自衛隊は明らかに・・・軍隊であり、それゆえに・・・憲法第9条第2項によってその保持を禁ぜられている『陸海空軍』という『戦力』に該当するものといわなければならない」として、司法判断としては初めて自衛隊の違憲性を真正面から認めたのです。 しかしながら、1976年8月5日、第2審の札幌高裁は、「平和的生存権」の「裁判規範」としての性質を否定し、さらには高度の政治性をもつ国家行為については裁判所の審査は及ばないとするいわゆる「統治行為論」をもちだして、自衛隊は「一見極めて明白に侵略的なものであるとはいい得ない」から憲法9条に反するか否かという司法判断の対象とはならない、として札幌地裁判決を取り消しました。そして、1982年9月9日、最高裁も、自衛隊の違憲性という問題には触れることなく、結論としては札幌高裁と同様に、保安林に代わる代替施設が完備したことによって本件における原告の訴えの利益は消滅した、として地域住民による上告を棄却したのでした。 長沼ナイキ訴訟は、上記で紹介した以外にも、平賀健太札幌地裁所長が第1審の札幌地裁判決を担当した福島重雄裁判官に対し、事件審理中に国側の主張を支持する内容の詳細な書簡を送付して裁判官の独立を事実上侵害する(憲法76条3項参照)ものとして問題となったりしたなど(平賀書簡問題)、憲法9条をめぐる政治性が露骨に現れ、また凝縮したような事件でもありました。けれども、様々な圧力に屈せずに福島裁判官が残した札幌地裁判決は、現在の9条問題を考えていく上でも、なおその意義を失ってはおらず、むしろますます留意されるべき価値を有しているように思われます。 <寄稿> 現在も生き続ける福島判決と国民の運動 田中健太郎(弁護士・札幌弁護士会) 長沼ナイキ訴訟を初めて知ったのは、川越高校の政治経済の授業でのことでした。福島判決、平賀書簡、青法協攻撃といった歴史を知り、9条が燦然と輝いた瞬間と、歴史の進歩と反動をめぐるぶつかり合いを学びました。福島判決に憧れ、裁判官になって違憲判決を出したいなどと考えたのもこの頃です。 中大を経て伊藤塾で受験勉強をし、司法試験に合格した私は、高校時代からの憧れであった青法協に勇んで加入しました。私は、裁判所の中にいて職責上受身の立場を基本とせざるを得ない裁判官よりも、社会そのものの中から事実をつかみ出して主張し行動できる弁護士を選びました。私は北海道で実務に入り、かの長沼ナイキ訴訟を闘った多くの先達を知り、当時を知ることができました。 長沼ナイキ訴訟では青法協会員に限らず、立場を超えて強力無比な弁護団が構築されました。また、傍聴券を獲得するために大通公園に大勢の支援の人々が泊まりこんで裁判に詰めかけました。権力による集中的な圧力から一旦は辞表を提出した福島裁判長に対し、札幌弁護士会、北大法学部の教官・学生、先輩・同僚裁判官らが一体となって激励して辞表の撤回を要請し、ついに福島裁判官は辞表を撤回しました。国民の運動が裁判の独立と平和憲法を守り、歴史的判決を生みだしたのです。 福島判決以後も自衛隊の拡張は進められ、冷戦終結後には自衛隊の海外派遣が繰り返されるようになりました。34年前の福島判決は司法府が憲法に命を吹き込みましたが、真に憲法を活かし続ける原動力は、主権者である国民の永続する運動に他なりません。自衛隊はイラク戦争に実質的参戦をするに至っていますが、平和憲法を活かそうとする国民の闘いはやむことがありません。故箕輪登元郵政相が原告となった自衛隊イラク派遣差止訴訟は、再び全道から立場を超えて100名を越える弁護団が結成され、現在もなお札幌地裁で争われています。全国各地でも同様の訴訟が起こされ、支援の運動が起きています。 私の生き方に大きな影響を与えた長沼ナイキ訴訟=福島判決は、国民の運動の中から生まれました。私もまた箕輪訴訟弁護団の一員として、長沼ナイキ訴訟の成果を発展させるべく力を尽くし、憲法を守り活かそうとする国民の運動の一翼を担いたいと思っています。 以上 | |