JUNE 15, 2017
#INTERVIEW
11年ぶりの新作『Mellow Waves』をついにリリースするコーネリアス。変転の速い昨今では異例なほどのブランクだが、山から下りてきた仙人のような浮世離れ感はまったくなく、むしろ今の時代にぴったりフィットして、なおかつ新しい扉を開くような清新さがある。その11年間にコーネリアス名義で、あるいは小山田圭吾名義で行ってきたさまざまな別プロジェクトが、『Mellow Waves』に至る伏線を形作ってきたのである。『Mellow Waves』はある日突然生まれたものではない。インタビュー前半は『Sensuous』から『Mellow Waves』に至る道のりを、振り返ってもらった。
前作『Sensuous』を発表したのが2006年。『Mellow Waves』はそれから11年ぶりのニュー・アルバムなんですが、もちろん、その間何もやっていなかったわけではなくて、ここに資料があるんですが、ものすごくたくさん仕事してますね。CM、客演、ライヴ、リミックス、バンド、タイアップ……。
うん、すごいやってるよね。何をやってたか覚えてないぐらい。ここに載ってないのもあるからね。大野(由美子)さんと2人でやったライヴとか、細かいのもちょいちょいやってるし。
『Sensuous』リリース後しばらくは、ツアー(2006年~2008年)とかライヴDVDの制作(2009年)とか、『Sensuous』絡みの活動が多かったわけですが、その間に次のアルバムの構想などは漠然とでも考えていたんでしょうか。
うん、ツアーが終わったぐらいから、ずっとやってたんですよ。曲はずっと作ってて。ほんとにぼんやりとした構想みたいなのはその頃からあった。
これといったテーマを決めず、なんとなく曲を作り始めた。
うん、それはいつものようにね。
今回のアルバムで一番古い曲は……
「Mellow Yellow Feel」だね。2008年……2009年とか。
確かに『Sensuous』っぽい感じが少し残っている気がします。
うんうん。それにsalyu x salyu(アルバム『s(o)un(d)beams』は2011年発売)の感じがちょっと近いかな。ハンドクラップ入ってたり。(スティーヴ・)ライヒをモチーフにしたミニマル的なコードの重なりとかね。salyu x salyuのアルバムも2~3年かけて作ってたからね。ちょうど同じ時期だったんじゃないかな。
なるほど。そのさいsalyuに提供する曲なのか、自分で使う曲なのか、区別して作ってるんですか。
うん、区別して作ってる。salyuの場合は声、というか歌が基本だからね。salyuの声を使ってどういうことができるか、というのが念頭にある。曲の構造みたいなものはね、「Mellow Yellow Feel」と、たとえば「ただのともだち(salyu x salyuの楽曲。作曲は小山田、作詞は坂本慎太郎)は同じライヒっていう共通のモチーフがあって、『Mellow Yellow Feel』はギターで構成されてるけど、salyuの場合、歌だったりする。
以前、salyuは技術が飛び抜けて高くて自分には絶対歌えないような歌を歌うことができる。だから当然その強みを活かすような曲作りになる、と言ってましたね。
うん、そうそう。
その合間を縫って、CMやタイアップ絡みの仕事をたくさんやってますね。
うん、まあそういうのはちょこちょこ細かく間に入ってきたりするんだけど。辻川幸一郎君(映像作家。コーネリアスの一連のMVを手がける)とか中村勇吾さん(映像作家/デザイナー。コーネリアスが音楽を担当するNHK『デザインあ』の映像監修)とか、そういう映像を一緒に作っている仲間とやってたりするんだけど。
そういう人たちから声がかかって仕事が広がっていったと。
そうだね。信頼してる仲間から来る話だし、プロジェクト自体も面白そうだし。あとはまあバイトとして生活費の足しに(笑)。普通にCD売ってるだけじゃ、ミュージシャンってなかなか暮らしていけないでしょ。
うわ、またぶっちゃけた話になりましたね。
(笑)絶対そうでしょ、だって。
『POINT』(2002年)以降、そういうタイアップ絡みの仕事が増えている印象があります。人脈的に広がっていったこととかお金のこととかあるとしても、それ以外の要因って何かありますか。
なんだろうね……
言ってみれば匿名的な仕事ですよね。必ずしも自分の名前が出るわけではない。そういう仕事への興味みたいなものがここにきて出てきたとか。
うん、昔からなかったことはないんだけど、それができるようになった。コーネリアスの新曲として曲を発表するんじゃなくて、日常生活の中に突然入ってくるみたいな、そんな聴かれ方が面白いなっていう。
そこで「コーネリアスだよ」という自己アピールみたいなものは必要ない。
うん、全然必要じゃない。サウンド的なこだわりはきっとあるだろうけど。
CM音楽はどうやって作ることが多いんですか。
ものによるけどね。でもまあ映像ありきで。Vコン(ヴィデオ・コンテ)みたいなものをもらって、そこに音をはめていく。
自分が一から作るより……
全然ラク。短いし(笑)。コンセプトとか世界観みたいなものが最初からあるからね。
それを考えるのが一番大変。
そうそうそうそう。目的がはっきりしてるからね。
そういう仕事をたくさんやってきて、得られたものとか気づいたこととかありますか。
うーん……いろいろやるとわかってくることがたくさんあるよね。どんどん早くなるし。
作業が?
そうそう。手際がよくなる。『デザインあ』とかずっとやってるじゃない? 6年ぐらいやってるしさ。
予め全部作ってそれを使い回してるんじゃなくて。
節目毎に新しい曲をどんどん作ってるしね。『攻殻機動隊』も映画だからものすごくたくさん曲を作ったし。昔は1曲作るの2週間かかってたのが、今は1日2日でできるとかさ。
早く作れるようになって、曲の中身やテイストは変わってきました?
うーん、多少は変わってきたのかな? テクノロジーの進化によって早くなってる部分もあるし、自分たちの手際が良くなってるっていうのもあるし。両方だね。
ノウハウや技術の蓄積の基礎がしっかり出来てるから、その上にちょっと載せれば新しいものがどんどんできていく。
うんうん。数をやっていくうちに得たものと言えばそれだね。
でもそれはけっこう重要なことで。
そうそうそうそう。アイディアってなるべく短時間で具現化したいじゃん?
自分の中で冷めちゃう前に。
そうそうそう。その前の時間が短縮されるのはすごくいいことだよね。
スキルがちゃんとしていれば、考えたことと出る音がすごく短時間で直結できるようになる。
うん。それは10年前に比べても早くなってるんだけど、20年前とか30年前だと絶対できないことだしね。ハードディスク・レコーディングができるようになったのが大きい。外スタ(外部の貸しスタジオ)でテープ使ってたころでは考えられないし。たとえば……ギターはもうアンプ使ってないからね、僕。シミュレイターでやってるんだけど、そういうのってこの10年間でできるようになったことで。それによってだいぶ時間も短縮できるし。マイク立ててアンプをセッティングする手間もいらない。シミュレイターだったらさ、今日録ったギターをあとで聞き直して一部だけ手直しして……というのも簡単にできるしね。アンプで鳴らしてると同じ状況を再現できないからね、全然音違っちゃった、また全部やらなきゃ、みたいな(笑)。そういう地味な進化もある。
つまり利便性が高まって、いわば自分の手足がより自由に動くようになった。そうなるともともと自分が持っていたアイディアやセンスが改めてシビアに問い直されることになりますね。
うん、そうだね。それは元々だけど。
話を元に戻すと、CMの仕事と共に、他アーティストのサポートが、この11年間で急増しています。salyu x salyuも、サポートというほど軽くはないですが、そのひとつです。特定の歌手をこれだけしっかりバックアップしたのも、おそらくこれが初めてですよね。
うんうん。すごく楽しかったし、すごくいい作品ができたと思ってる。プロデュースという意味で、初めてちゃんと全部できたなって。坂本(慎太郎)君を歌詞を書いてもらうきっかけもsalyu x salyuだったし。
確かsalyu の方から提案があったんですよね。
そう。でも僕も坂本君はいいと思ってて、やりたいなとずっと思ってたから、すぐにピンときて。もともと友達だったし、ちょうど(ゆらゆら帝国が)解散したころで、ヒマしててさ(笑)。まだ自分のソロはやる気になってない頃だったらしくて話したらやってくれるっていうから。その時作ってもらった歌詞(「ただのともだち」「奴隷」「続きを」)がすごく気に入ったの。
salyu x salyuはプロデューサーとしてだけでなく、バンドのギタリストとしてもツアーに参加しました。ライヴのサポートはYOKO ONO PLASTIC ONO BANDやYMO(ともに2009年)から本格的に始めてますね。
うん。そのすべてのきっかけっていうのが、スケッチ・ショウのライヴに細野さんが誘ってくれて、ツアー・サポートをやったことだね(2002年)。それがのちにYMOに繋がっていくんですよ。
YMOでは作品は作らず、ライヴをサポートするだけの立場だったんですが、どうでした?
すごい楽しかったですよ。ギターをちゃんと弾けるし、真ん中にいないで端っこで参加できるっていうので、気持ちに余裕がある。もちろんYMOだから緊張はするけどさ(笑)。でも自分のライヴじゃないという気楽さはあるから、演奏に集中できるしね。
ギタリストとしての自分という自覚が、YMOに参加することで芽生えた?
うん、ありますね。YMOで演奏するんだからちゃんとしなきゃ、みたいな(笑)。
レジェンドな3人とやって、何か得られたものはありましたか。
いやあ、たくさんありますよ。なんだろう……一緒にいろんなことを経験させてもらったのもそうだけど、ほんとに「先輩」ができたなっていう。
なるほど。
元はといえば僕もYMO系なんですよ。この事務所(スリー・ディー(株))の名前をつけたのは細野さんなんですよ。牧村さん(憲一。音楽プロデューサー。フリッパーズ・ギターを発掘した)も細野さんとNON STANDARDレーベルをやってたし。そもそも拾ってくれた人がYMO系だったという。
なるほど。今作を聴いて、『HOSONO HOUSE』(細野晴臣がはっぴいえんど解散後に発表したファースト・ソロ・アルバム。1973年)とか、あのへんの感じに少し通じるものがあると思いました。
うんうん。『HOSONO HOUSE』を直接意識はしてないけど、小野島さんがそう言うのはよくわかる。密室的なシンガー・ソングライターの感じは強いよね。細野さんの音楽は大好きだし、常に聴いてるから、なんか入ってるっていうのはわかる。
訥々としたヴォーカル・スタイルも似てる気がするし。
だいたい「顔が似てる」ってよく言われるから(笑)。
そうしたYMOとの付き合いが発展して、最近のMETAFIVEに至るわけです。今度はサポートではなく、対等のメンバーなわけですが。METAFIVEは小山田さんにとってどういう存在ですか。
うーん、これもやっぱりギターを弾けるっていう(笑)。あとは、YMOは大先輩の中に入ってるって感じだけど、METAFIVEはもう少し学生ノリっていうかさ(笑)。もちろん幸宏さんはいるんだけど、みんなでワイワイやれる感じ。
バンドっぽいバンドですよね。
大人のバンドだよね。中年になってまたやるのは楽しい。
METAFIVEをやることで、コーネリアスを本格的に再開しようという思いも湧いてきた?。
ていうか「METAFIVEまでやったら、もういい加減やらなきゃな」みたいなのはあったかもしれないけど(笑)。
テイ(・トウワ)さんにも言われたでしょ。「早くやりなさい」って
うん。言ってくれる人がいるからね。だれにも何も言われなくなったらオシマイだなと思って。言ってくれる人がいるうちにやらないと(笑)。
YOKO ONO PLASTIC ONO BANDはどういう経緯で実現したんですか。
これはショーン(・レノン)だよね。元々彼とは親しかったんだけど、彼のやっていたキメラ(Chimera Music)っていうレーベルの日本でのお披露目イベントでCORNELIUS GROUPがハコバンをやることになって、その時のライヴにヨーコさんも出てて一緒にやった。それをヨーコさんが気に入ってくれたみたいで。その時に誘われたの。それで2枚アルバムを作って、ツアーもいくつかやって。
どうでしたヨーコさんとやってみて。
いやあ、めっちゃ楽しかったですね(笑)。ヨーコさんの凄い存在感。得たものはたくさんあるけど……サウンドとかそういう細かいことじゃなくて……視野の広さていうか。発想とか。ウチの親より年上だからさ。普通に話してて「東京大空襲の時はね……」とか言い出すし(笑)。そういう話が普通だからさ。人生の経験してることとか、僕らには計り知れないダイナミズムで生きてきた人だからね。ほんとにすごくいろんな経験をしてる人で、それを踏まえてのこれか!という。何が飛び出すかわからないし。ダイナミズムがすごいよね。ヨーコさんに比べると僕ってほんと、ふつうの人間だと思うもん(笑)。
2011年にはsalyu x salyuのプロジェクトの一方、「デザインあ」の音楽担当も手がけるようになります。
これは完全にレギュラーでやってる。番組の立ち上げからずっとやってて、深く関わってる。自分の作品というよりは番組のコンセプトに沿って作ってる感じ。依頼されたものというより、スタッフのひとりとして関わってる感じだね。子供番組だから、これから育っていく人たちにどういうものを見せていくか、ということを考えてやってる。
自己表現というよりは、子供たちのために何を聴かせてあげられるか。
うんうん。そういうことにモチベーションが持てるようになったっていうか。
そういうモチベーションで曲を作ったことは今までなかった?
うーん……たとえばさ、中古盤買う人の気持ちってわかると思うんだけど、どこの国だかわかんないような昔のレコードが今自分の手元にあって、もう作者は既に死んでるけど、むちゃそれに感動するみたいな。そういうことってあるじゃない?
昔死んだ作者の念だけが残ってそこに漂っているような。今作の「未来の人へ」って、たぶんそういう気持ちを歌ってるんだけど、『デザインあ』でも、これから育っていく子供たちにどういう音楽を聴かせたら面白いか考えてみた。この場で消え去っていくものじゃなくて、残る/残すもの。未来の人に聴いてもらえるような。そういうことを考えるきっかけにはなったかな。
なるほど。その後大きなプロジェクトというと『攻殻機動隊』ですね。2013年から2015年の足かけ3年。これはsalyu x salyuから始まった坂本慎太郎さんとのコラボの続きでもあるし、また『Mellow Waves』にも『攻殻機動隊』でやっていた「Surfing on the Mind Wave」のリメイクが入ってる。今作も含むいろんなものに繋がってくるプロジェクトですね。
初めて映画のサウンドトラックを作ったというのと、『デザインあ』やsalyu x salyuでやったようなコラボレーションの続きでもあり、METAFIVEがバンドとして本格始動するきっかけともなっている、という。
当然映画の世界観や雰囲気にあわせて曲も書いたと思いますが、ご自分の中の何が出てきたと思います?
近未来ものでSFでバトルも入っててダークな世界観で、ということでテクノとかインダストリアルとか、コーネリアス(のオリジナル・アルバム)でやる時にはあまり出てこないような側面は出てきたよね。あとは……サントラなんで、ポップスのアルバムというよりも、アンビエントとかドローンみたいな音が多くなってるかな。
ご自分のオリジナル・アルバムには出てこなかったようなダークでハードでシャープな、音的にもコンセプト的にも雰囲気的にも異なったものが出ることで、自の本来の資質とか本当にやりたいこととか、そういうことがクリアになったというのはないですか。
うん、それもありますね。『デザインあ』はほんとに子供が聴くような柔らかくて明るくて邪気がない、みたいなものだし、『攻殻』はダークで硬質な感じ。でもそれも自分の中になかったらできないものだし。自分のアルバムでは表だって出てこなくても、もともと自分が興味のあった側面をそこで生かせるみたいなことはきっとあるし、METAFIVEもヨーコさんもsalyu x salyuも、自分のソロではやらないけど、プロジェクトにあわせてその都度いろいろ考えてやってるわけ。そういうものでいろいろ消化して、残ったものでオリジナル・アルバムを作るっていうかさ。そういうことはあるかもね。実際楽曲もずっと作ってて、いろんな曲があったんだけど、ある曲は『攻殻機動隊』になったりMETAFIVEになったり。それによってアルバムの方向性がどんどん絞られてくるっていうのもあるし。
もともといろんな振り幅を持った楽曲をいっぱい書いていて、その中からいろんなプロジェクトに楽曲を振り分けていって、最終的に残った「核」のようなものが今作になったと。
うん。逆に自分がそういう曲をほかのプロジェクトに振ることによって、意図的にそういう(『Mellow Waves』のような)アルバムを作ろうと思ってた、ということもきっとあると思う。
かなり早い段階から、次のアルバムは歌ものにしたいと言ってましたよね。無意識にでも意識的にでも、そういう方向付けがあったということなんでしょうね。
うんうん、そうそう。
今作に繋がる曲といえば、『攻殻機動隊』のシングル「あなたを保つもの / まだうごく」に収録された<坂本真綾 コーネリアス>の「まだうごく」「東京寒い」です。もちろんヴォーカルが違うから雰囲気も違いますけど、ソフト&メロウな歌ものという意味で。
うんうん、そうだね。「東京寒い」とか「まだうごく」の感じはちょっと近いかもしれない。70年代の歌謡曲とかニュー・ミュージックにあった、ちょっとおセンチな感じ。
「東京寒い」は当時すごくいい曲だと絶賛した記憶があります。肩の力が抜けてて。
うん。実は「東京寒い」もほんとはコーネリアス用に作ってた曲なんだよね。作っているうちに自分が歌うのをイメージできなくなって、女の人が歌った方がいいかも、と思うようになったの。
なるほど。そして2016年にはMETAFIVEとしてアルバムを出して本格的にバンド活動を始めるわけですが、並行してコーネリアスのアルバムも追い込み作業に入っていった。
METAFIVEが終わったぐらいに本格的にまとめに入った。そこからアルバムの方向性を絞って、ほかに必要な曲ややりたい曲を作っていったって感じかな。
(後編に続く)
取材・構成=小野島大