私の幸せは自己肯定が出来た時です。




周囲から認められた時、私は自己を肯定できます。



周囲から、またはこの人に認めてもらいたい!と思う人から認められた時、自己を肯定できます。その時に幸せを感じます。自分を隠さずありのままに駄目な自分をも曝け出し、カッコつけず努力し続けた結果、認めてもらえたその瞬間は格別な思いになります。


皆さんもそういうご経験が、おありなのではないでしょうか。






認める。認められる。


そこに必要なものは、多様性です。




画一化された世界の中での肯定は非常に範囲の狭いものになってしまいます。

ある一定の価値観により肯定される人と否定される人に分けられてしまいます。もしかしたら少数派の方々が否定の対象となってしまう危険性さえあります。これはとても恐ろしいことです。


画一化された国に何が起きたか、歴史が伝えてくれています。





誤解を恐れずにお伝えしたいと思います。

もしLGBTが認められなかったら、性的マイノリティの方々は一生涯自己否定感から解放されることがないかもしれません。


幸いにも世界は性的マイノリティの方々に対する理解が深まっています。自己肯定して生きていける土壌作りが、かつて性的マイノリティの方々を一方的に否定されて来た時代より明らかに多様性を有し広がっています。大変喜ばしいことだと思います。


私の知人にもカミングアウトされ、自信を持たれ、その人らしくありのままの姿で生きていらっしゃいます。

幸せだそうです。

ここに存在するものは肯定です。他者からの肯定です。



学校は社会の縮図です。ですから驚くほど多種多様な個性、能力を持つ子どもたちが存在しています。LGBTの子どももいれは、発達障害の子もいます。その多様性は大人の常識、範疇を遥かに越えるものです。また安定した家庭に育った子もいれば、不安定な家庭に育った子もいます。親からありのままを受け止めてもらっている子もいれば、残念ながらありのままを捻じ曲げられている子もいます。この実に多種多様な子たち1人1人と向き合い、その個性を認めていく場所が学校であり、その役割を担うのが教師であると私は考えています。単に教科指導だけであったら、学習塾で十分です。学校など必要ありません。







多種多様な子たちが存在する学校が画一性の中に縛られてしまったら、どうなるのでしょうか。




人間の根源的な幸せ=自己肯定が画一性の中で得られるとは到底思えません。



子どもは学校を嫌いになっていくことでしょう。









私は部活動ガイドラインに反対しているのではありません。それは私の過去のブログをお読みになられればご理解して頂けると思います。(読めませんね、すみません。)

今の段階では現実的ではありませんが、いずれ、理想は勤務時間内にこの多種多様な個性、能力を持つ子どもたちを認められる教育活動を行うことです。これについては、ここでは触れないこととします。

部活動はその一つの大きな役割を担って来ました。



私は遅くまで部活動をやり、そこに青春を感じている輩ではありません。


学校が多種多様な子を認めるという点において現実味の中でベターな選択をして来ただけです。


本気で子どもと向き合うこと。それにはやはり、多くの時間が必要です。今の学校体制では、勤務時間外に行わない限り、子どもと本気で向き合うことは不可能です。これはあくまでも私個人のことですが。



また、コンクールで勝つことにも拘っていません。拘っていたら、ド不器用な3年生をわざわざコンクールに出すのではなく、オーディションを行い、器用な後輩を運動部のようにレギュラーにします。練習ももっとスムーズになることでしょう。効率よく進んでいくことでしょう。


器用な子は10分で出来ます。不器用な子は1ヶ月かかります。部活動ガイドラインの名の下にこの1ヶ月かかる子を効率が悪いからと切り捨てていいのでしょうか。






数学を理解することにより自己肯定出来る子もいれば、サッカーをすることにより自己肯定できる子もいます。音楽をすることにより自己肯定出来る子もいます。絵を描くことにより、書を書くことにより、泳ぐことにより、将棋をすることにより、それは、それは範囲のない程広いものです。それら全てを学校が網羅することは不可能に近いことですが、その努力は怠るべきではないと思います。

学校に必要なものは画一性ではなく、多様性です。子どものことを、生徒のことを考えた時、常にこの結論に辿り着きます。




私が指摘している問題は部活動ガイドラインではありません。



画一化の問題です。そのことについて手を替え品を替えお伝えし続けて来ただけです。






教育には時間がかかります。

そのかかる時間を勤務時間内で、どう配分し、何を主眼に置くかが極めて重要になって来るのだと思います。しかし、現在の体制で行うことは不可能に近いことです。







そして、

今はまだ、部活動ガイドラインを現場に強引に押し込む「時」ではないと思います。


押し込めば必ず歪みが出て来ます。


歪みはいずれ小さなヒビを作り、いつの日か巨大なものを崩壊させます。



行う前に

議論(学校とは何なのか。ゲーム、SNSのシャワーを浴び続ける子どもたちに本当に必要なものは何なのか。そもそも時間がかかる教育を勤務時間内で終わらせる体制作り、施設整備、予算、教員の人数、事務的仕事の軽減、などなど。そういった議論です。)が必要でした。


いま、まだ今なら間に合います。


日本中の自治体が真剣に議論すべき大きな問題です。国の根幹に関わる問題です。






最後に

これも何度も述べています。

マイナス面だけを批判し、あげつらへば、世の全てはブラックになってしまいます。


振り子を極端に振らず、プラス面を先ず確認し、マイナス面の改善をしていく世の流れへとなってほしいと願うばかりです。