歴史上に名を残すリーダーたちの共通点とは
冒頭で述べた“情のリーダーシップ”と“非情(合理性)のリーダーシップ”で考えれば、家康は後者の方だろう。このように、歴史上には家康のように“非情のリーダーシップ”に長けている者もいれば、一方で“情のリーダーシップ”に長けている者もいた。両者はタイプは違うようにみえるが、ある共通点がある。それは、
・人を動かすリーダーは、それぞれ「人に見えない努力」をおこなっていること
・強いだけではリーダーとして認められないこと
・一人の力では歴史はけっして動かない、ということ
である。ではここでいう、「人には見えない努力」とは一体何だろうか。一言でいえば、部下から見て、「このリーダーなら信頼できる」という観念を生ませることである。そのためには、一人になったときにコツコツと「自己向上」の努力をおこなうべきだ。その日の出来事をケーススタディ(事例研究)にして、自分のリーダーシップを振り返るのである。
その目的は、このリーダーは信頼できると認められることであり、具体的に「このリーダーのいうことならウソではない」だから、「このリーダーの指示命令なら従っても間違いない。自分は協力する」という積極的な気持ちを部下に湧かせることだ。それはあげてリーダーの“らしさ(個性)”にもとづいている。その“らしさ”が部下に、「このリーダーなら」という“なら”という気持ちを生ませるからだ。この「部下に“なら”といわせる“らしさ”」のことを、わたしはある中国文学者から、「人間の風度というのだ」と教えられた。したがって、部下に“なら”と思わせるためには、「リーダーがその風度を高める」ことが必要になる。
たしかに現在のリーダーにも、情報力・判断力・決断力・行動力などの要件は共通して必要だろう。だが、それだけではダメだ。そのほかに、「部下が“この人なら”と思う“らしさ”を発散する」という別立ての努力が必要なのである。もっといえば、「強烈な風度さえあれば、他の条件はそれほど必要なくなるかもしれない」とさえいえるのである。風度というのは、その人間の発する魅力・吸引力・信頼感・モラール(やる気)アップなどを備えた一種の、「オーラ(気)」といえるだろう。
部下がついていきたくなるようなリーダーになるために、まずは歴史上のリーダーたちに倣って、コツコツと日々の事例研究を重ね、自身のリーダーシップを振り返ってみてはいかがだろうか。