6月のこと、日本著作権教育研究会から連絡があり、私の著作物が今年の東京学芸大学の入試問題に使用されたとのことで、転載の許諾を求めるものであった。一昨日それが以下で公開された。
出題されたのは、A類社会選修、A類環境教育選修、B類社会専攻の「現代社会」の問題において。5年前の朝日新聞に掲載されたコラムが以下のように使用されている。
コラムの途中までしか使用されず、肝心の主張部分は掲載されなかったが、Suica事案の何が問題なのかを説明した部分がバッチリ使われている。他にもあの「赤本」(教学社)にも収録されるようなので、これからの受験生にも読まれることになるであろうか。
このコラムの全文は既に2015年3月8日の日記の図1に転載していた*1。カットされた残りの文章は以下のものであった。
IT時代に、住所・氏名の有無は関係ない。一人ひとりの履歴である限り個人データとして法律の保護対象とするべきだ、というのが私の意見です。
経済団体は保護範囲を広げると利活用が阻害されると言いますが、誤解でしょう。利用目的を公表し、目的外で使わず、安全管理をすれば、個人データを利用して構わないのは、今の法律も同じ。統計化に使うのは大いに結構ですが、個人データの扱いには責任を持ってほしい。
野放図に扱って信頼を損なえば、人々はデータを取られないよう警戒するでしょう。困るのは業界全体ではないでしょうか。
この主張は、無記名Suicaの乗降履歴も同様に個人データとして個人情報保護法の規律対象とするべきというものだが、この論点は現在でも残された課題となっている。
改めてコラム全体を読み直してみると、この5年の議論の進展を振り返って感慨深いものがある。
この直前の部分(以下に引用)は、今まさにリクナビ事案で注目されているプロファイリングの件だ。
広告ならば見なければすむ話ですが、コンピューターの機械的な処理によって本人が気づかないうちに、経済的、精神的に差別される事態が生じえます。大綱はこの点を検討したものの、先送りしました。
さらに前の部分は、匿名加工情報の制度の成り行きについて批判したもので、以下のように述べていた。
政府が6月に決めた法改正の大綱はこうしたデータ提供を合法化する一方、データを受け取った者が誰のデータか詮索するのを禁止する内容です。受け取った側が違反しても、提供側が責任を持たない制度。このようなデータ提供を本人同意なしに認めてよいのかが問われます。
この部分は、今から見ると誤解を招きかねない内容になっている。「こうしたデータ提供を合法化する」と言っているが、最終的に成立した改正法の匿名加工情報の制度は、Suica事案を合法化するものではなかった。その経緯は、2017年7月22日の日記「匿名加工情報は何でないか・後編の2(保護法改正はどうなった その8)」と同年6月4日の日記「匿名加工情報は何でないか・後編(保護法改正はどうなった その7)」で書いたように、立案段階での内閣法制局長官による大どんでん返しがあったからだった。
ここでしばし話が脇道に逸れるが、実は、このコラムを書いた時点(2014年11月19日)で、大綱で予定されていた匿名加工情報の制度を「Suica事案を合法化するもの」と説明したのは、正確ではなく、ブラフであった。なぜなら、パーソナルデータ検討会の「技術検討ワーキンググループ報告書」(同年5月)の結論では、仮名化で足りるとするものではなく、履歴データそれ自体の加工の必要性を示しており、6月の大綱もそれに沿っていたはずだからだ。
前掲の「保護法改正はどうなった その7」の「最初の案で技術検討WG報告書に沿いつつも既に変容していた」での分析から判明しているように、IT室(立案当局)での初期案(同年9月時点)では、技術検討WGの結論を受けて、「提供者と受領者で共有する情報について削除する、詳細な情報を一定程度丸める、他の情報を付加等するなどの措置をデータの状態等に応じて複数併せて講じることが有効である」*2としていたのであった。つまり、初期案ではSuica事案を合法化するものではなかった。しかしそれが、10月には「容易照合情報を3号個人情報に分離する案が作成される」という展開になり、11月6日の時点で「完全に仮名化のみで匿名加工情報とするものとして整理」という案に変容して、Suica事案を合法化するものになっていたのだった。
この展開はIT室と内閣法制局の間で秘密裡に進められていたもので、当時の私に知る術もなかったのだが、経済界の要求として仮名化だけでの流通を認めよとする力が働いているであろう*3ことに警戒し、この朝日新聞のコラム(11月4日インタビューで11月19日掲載)で、あえて、「大綱はこうしたデータ提供を合法化する」と決めつけて、「このようなデータ提供を本人同意なしに認めてよいのかが問われます。」と批判するという、ブラフを打ったのだった。
それが12月1日の長官審査でひっくり返されることになるわけだが、今頃になって気づいたが、このコラムはそのちょうど直前(12日前)だったわけだ。もしかして、長官はこの朝日新聞を読まれたのであろうか。
さて、入試問題の話に戻すと、問1の空欄アの正答は「ビッグデータ」。問2の空欄イの正答は「個人情報」で間違いない。
原文では「個人情報」と「個人データ」の語を使い分けていた(その理由は高度な議論になる)のに、「個人情報」を空欄にして問うとはなかなか度胸のある設問だ。「【イ】 保護法」の部分があるので、「個人データ」では誤答とすることができるが、本文中に「個人データ」の語が出ているのにそこを問うというのは、法律名を知っているかを問う出題趣旨なのだろうか。
そして問3は、その「個人データ」について。「焦点は①個人データの扱いです。」として、この下線部について以下のように問う設問である。
問3 下線部①に関して、2016年から「共通番号制度」(いわゆるマイナンバー制度)が運用されている。この制度が導入される際に、議論の焦点になった2003年に稼働を始めた制度の名称を答えよ。
東京学芸大学 2019年入試問題 現代社会
うーん、正答は「住民基本台帳ネットワーク」又は「住基ネット」なのだろう。だが、住基ネットは原文の本題と全く関係がないし、マイナンバー制度も下線部①が言うところの「個人データの扱い」と全く関係がない。こういう出題方法はあまりよろしくないと思う。
そして問4、これは原作者も答えがわからないという、タモリ倶楽部でもやっていたやつ *4だ。
問4 下線部②の語句は「スマートフォン」の省略語である。このスマートフォンの登場とインターネットによって、それまで以上に、時間と場所を問わず、情報にアクセスすることが可能になったといわれる。このような社会のことを何と呼ぶか答えよ。
東京学芸大学 2019年入試問題 現代社会
え? マジでわからないよ!
おそらく、「ユビキタス社会」 (一般)又は「ユビキタスネットワーク社会」(総務省限定)と答えさせたいのだろうが、ユビキタス社会と盛んに言われるようになったのは、2002年ごろであり、それに対してスマートフォンが登場したのは、2007年の初代iPhoneからと言うべきであろう。2008年には既に「ユビキタス社会」は死語になりつつあっただけに、この設問に対する正答とは言い難い。しかも、「ユビキタス社会」が意味していたことは、人が携帯電話を利用する(ガラケーのiモードやezWebのようなものを)ことよりも、RFIDやセンサーネットワークによるM2M的なものを中心に据えていたはずで、そのことからしても正答と言い難い。
そうすると正答はなんだろう? 設問文からすると、「歩きスマホ社会」あたりが適切なように思えるwが、はたしてこれを誤答として扱えるだろうか。
そして最後の問5は、以下の設問である。
問5 冒頭にあるように、「【ア】の有効な活用と個人のプライバシー保護とのバランス」は現在も課題になっている。このような状況についてあなたの考えを、メディアリテラシーと関連させて7行以内で述べよ。
東京学芸大学 2019年入試問題 現代社会
うーん、自由に書いたらいい問いなのだろうけども、原文の趣旨に沿って答えよという設問じゃないんだね。「メディアリテラシーと関連させて」を要件としているが、何を要求しているのだろう? フィルターバブルについて答えるのが満点なのだろうか。原文では一応「買い物履歴からその人の好みを分析し、望みそうな広告を送るビジネスがあります」のあたりが関係していると言い得るのだろうか。だけども、原文が言っている「個人情報の有効な活用と個人のプライバシー保護とのバランス」とは、原文中にあるように、「統計に使う」ことと「一人ひとりの行動や思考の分析に使う」(使ってターゲティングすること)を区別して、「統計化に使うのは大いに結構」ということなのであり、そこにメディアリテラシーは関係しないのだが。
まあ、結局これは、キーワード知識問題を出すための足場にされただけで、本文を読解させる気はさらさらなかったんだろうなあと、ちょっと残念な気持ちになった。
とはいえ、自分の著作が入試問題になったことは誠に光栄なことだ。一生に一度あるかないかのことだ。是非とも今後も、新聞コラムに限らず、例えばこの日記とかもw、現代文の問題とかでw使用していただけたら嬉しい。
*1 朝日新聞社との著作権関係はこの時点で処理済み。
*2 開示資料「法律案審議録 個人情報の保護に関する法律及び行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律の一部を改正する法律案(平成27法律65)」の2014年9月22日付(推定)「匿名加工データ(仮)(第2条第7項関係)」より。
*3 実際、6月の大綱の記載ぶりが、どのように加工するかについて薄められた記述になっていたことから、技術検討WGの指摘が反故にされようとしているのではないかとの危機感を持ったのであった。
*4 この番組については、矢野利裕「タモリ倶楽部でも特集された「作者の気持ちを答えよ」問題にまつわる根強い誤解」(2018年12月20日)も参照。