さすがはアインズさま 作:ろろろろ
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魔導国の属国となったものの、とりあえずひどい目に合わされる心配はなさそうである。肩の荷が下りたジルクニフの毛根は復活した。もうハゲに悩まされることはなくなった。
人は失って初めてそのものの価値に気づくというが、ジルクニフは髪の毛の価値に改めて気づいた。いままで髪のセットは御付きの者に任せていたが、自ら時間をかけて髪型を工夫するようになった。手入れに時間を取られたくないので短髪にしていたが、試しに長髪にしてみることにした。復活の反動なのか、勢いよく伸びた髪は胸に達する長さとなった。整髪料・洗髪剤もいろいろ取り寄せた。
ところで、この状況は周囲の目にはどう映っただろうか。
1 大きなストレスを抱えていた。
2 髪の毛を他人に触らせなくなった。
3 髪形を工夫するようになった。
4 短髪をやめて伸ばしはじめた。
5 整髪料・洗髪剤に興味を示すようになった。
いつしか帝国の民の間では、ジルクニフが伸ばした髪をうまくやりくりしてハゲを隠していることが定説となった。あの豊かな髪がひとたび乱れれば、そこには大きなハゲがあるのだろうと誰もが疑わなかった。
ンフィーレアのもとに招待状が届いた。
ジルクニフ主催の、学者など文化人の交流会である。ジルクニフは今の自分でもできることを考えた結果、有意義な文化的事業に力を入れることにしたのだ。アインズの了解も得て、ンフィーレアは帝都に足を延ばすことにした。
そうなると問題なのが、ンフィーレアの全身に染みついた薬草の異臭である。エンリが気合を入れて洗いに洗ったのだが、どうにも落ち切らない。鼻のいいルプスレギナによれば、髪の毛に染みついているという。なるほどというわけで、夫の髪形にこだわりがあるわけではない若妻は、さっさとカミソリでつるつるの丸坊主にしてしまった。
交流会は盛況だった。ジルクニフは交流会自体には姿を現さなかったが、会の後は、ンフィーレアを含む三人の特に優秀な若者がジルクニフと夕食をともにすることになっていた。
その裏でニンブルは頭を抱えていた。純粋に業績だけで選んだ三人の若者が、顔を見てみたら丸坊主とM字ハゲと頭頂部ハゲだったからである。まじめなニンブルはジルクニフの心を傷つけることを恐れた。ただでさえ、皇帝の周りに仕える者たちは注意深く髪の話題を避けているというのに。せめて一人にはカツラをかぶってもらわなければ。
ニンブルが三人に話を聞いてみると、丸坊主は単に散髪の結果。M字はハゲに悩んでいたが、皇帝もハゲだと聞いてテンションが上がり、研究に打ち込んだ結果優れた業績を上げたとのこと。そして頭頂部はハゲに悩んでいたが、皇帝もハゲだと聞いて肩の力が抜けた結果、いいアイディアが沸々と湧いてきて優れた業績につながったのだという。
精神状態が改善したら毛根ではなく業績の方に反映されるあたりが文化人として一流の証なのだろうなあ、それにしても優れた皇帝はその存在だけで民に恩恵を与えるのだなあ、などとしばらく現実逃避していたニンブルだったが、気を取り直してンフィーレア用のカツラを手配した。多少ぶかぶかだが急ぎなので仕方がない。そして髪形にこだわりがあるわけでもないンフィーレアはあっさり了承してカツラをかぶってくれた。
その一方で、知り合ったばかりのM字と頭頂部は、どちらのハゲ方がつらいのかという論争を始めた。論争はヒートアップし、少々の個人攻撃と自虐ネタの応酬を経て、ハゲのつらさを表す方程式を追究する学術的議論に発展していた。帝城へ向かう馬車の中でも議論は白熱した。素人のニンブルが聞いてもなかなか面白い議論だった。
食事会はとどこおりなく進んでいた。そしてその様子を、例によって覗き見ていたアインズは思った。
(昔のヨーロッパの貴族もあんな感じだったし、やっぱりこの世界でも、髪がもさもさしてる方が王様らしいのかなあ)
そしてあることを思いついたアインズは、さっそくそれをシモベに命じたのだった。
食事会の最中であったが、ジルクニフのもとに秘書官が知らせを持ってきた。魔導国からの連絡だからである。食事会を中断するほどの内容ではなくとも、魔導国関連のことであれば念のために即座に伝える決まりになっている。
アインズが近いうちに帝国に視察に行きたいので日程を調整してほしいということだったので、ジルクニフは早速その場で調整を始めた。嫌なことはさっさと片付けてしまうに限る。
ジルクニフと秘書官が小声で何やら話し始めたので、ンフィーレアたちは手持無沙汰に黙り込んでいた。するとM字が余計なことを言いだした。
「先ほどの方程式なのですが、変数を一つ増やしてみたらどうでしょう。つまり――」
ニンブルとンフィーレアはあせった。この表面的には数学用語で語られているのは、ハゲのつらさを表す方程式である。たちの悪いことに、学問としてけっこう面白い。空気が読めないタイプの天才であるM字と頭頂部は、夢中で議論にのめりこんでしまった。皇帝がこちらに気が付く前に、早く話題を反らさなければ。ンフィーレアは二人に声をかけたり肩を叩いたりしたが、学問の神に魂を売った二人は聞く耳を持たない。それどころか邪魔するンフィーレアをうるさい蠅か何かのように振り払おうとして、腕を勢いよく振るった。
その腕が命中し、ンフィーレアの頭からカツラが落ちた。さすがのM字と頭頂部もはっとして黙った。部屋にいた全員が凍りついた。
沈黙の中、ジルクニフは静かに立ち上がるとンフィーレアに近づき、なんと皇帝みずからカツラを拾いあげた。そして優しく語りかけた。ハゲを隠す必要はないということ、しかし隠したければそうする権利があるということ、ストレスこそ髪の大敵であるということ――。
ジルクニフは、かつての自分と同じ悩みを抱えるであろう者に対して限りない愛をもって接した。一同は深く感じ入った。人類の代表にふさわしい慈悲の心の持ち主であると確信した。ついでに「やっぱりハゲてるんだ」とも確信した。
後日、アインズが帝国を訪れた。その頭には、ジルクニフそっくりの美しい金髪のカツラがとってつけたように乗っていた。シュールすぎて反射的に笑ってしまう面白い外見だが、アインズに他意はない。むしろ人間に近い外見になったのだから親しみをもたれるんじゃないかとさえ思っていた。このカツラに対する反応が見たくて視察に来たのである。というか視察はついでで、メインの目的はカツラのお披露目である。
帝国の民はみな必死に笑いをこらえた。バジウッドは顔中の筋肉を硬直させて笑いをおさえこんだ。レイナースは営業スマイルだとギリギリ言い逃れできる笑い方でごまかした。ニンブルは貴族として鍛えたスルースキルを全力展開して無表情を貫き切った。ジルクニフはわけもなく腹が立って仕方がなかった。
視察を終えたアインズは、
「反応がいまいちだったな。ああ、そうか。上司がいきなりカツラかぶってきたみたいな空気になっちゃったのかな?」
と能天気なことを考えつつ帰っていった。その姿を見た帝国の民は、誰もが避けて通っているところに平気で踏み込み踏み潰すことのできる魔導王の圧倒的な権力を思い知らされた。
なんだかいらいらしてきたジルクニフは短髪に戻した。それを見た国民は、「魔導国のすごい薬で毛が生えた派」と「魔導国のすごいカツラをかぶっている派」に分かれて論争を繰り返した。後者がやや優勢であったのには二つの理由がある。魔導王があのとき似合わないカツラをかぶってきたのが、ジルクニフへの売り込みだったという解釈にそれなりの説得力があったというのが一つ。ンフィーレアとM字と頭頂部が、皇帝のハゲは相当深刻で不治のはずだと証言したのがもう一つである。