彼女の瞳を曇らせたい 作:Momochoco
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世界がどこか暗くなっていくような感じがした。
体温は冷たく、後頭部は重く、体全てが絶望というものを体現していた。
ラウラは千冬に名指しで呼ばれたことで自分への処罰が決まったと予測している。自分は今回のことで知らなかったとはいえ条約違反のプログラムを積んだISに乗ってしまい、あろうことか貴重な男性操縦者に重大な障害を残してしまった。
どんなに軽く見積もっても青年と離れることにはなるだろうと思っている。その罰で青年が満足するのならばそれに従おう。
だがそんなことで罪が消えるとはラウラは考えていない。彼の側にいて彼に全てを捧げることが一番の贖罪であると信じてここまで来た。
ラウラは保健室までの道のりを歩きながら考える。
(出来れば極刑以外が良いが……わからんな……。もし私が死んだらあいつはどう思うだろうか……。悲しんでくれたら嬉しいが。一瞬でも私のことで心を埋めることができるのなら極刑も案外悪くなかったりしてな……)
ラウラの心の奥底には破滅願望が残っている。出来損ないと蔑まれてきた経験は決して拭えない。だからラウラは千冬の元へと逃げずに歩き続ける。
織斑千冬とラウラ・ボーデヴィッヒの関係は一言でいえば子弟であった。ドイツで自分の才能のなさに苦悩していた当時のラウラに教鞭をとったのが千冬であった。千冬を追ってきたのが日本に来た理由でもある。
だが今は違う。千冬は今回のことに関して口を開くのを控えていた。下手に話せば千冬に憧れる生徒が影響を受ける可能性があるためだ。だから本心は分からない。千冬は青年をもう一人の弟のように可愛がっていた。だから恨んでいるかもしれない。千冬と二人きりの話し合いは本当に久しぶりであったからこそ恐いのである。
(恨み言とかも言われるんだろうな。罵倒には慣れたつもりだが、織斑先生に言われるとなると少しクるものがある……はぁ……)
ずっと目標として憧れていた織斑千冬に罵倒されることを考えると自然と涙が零れていく。最近のラウラは疲れやストレスから涙脆くなっていた。
涙を袖で拭いながら歩みを進めていくとそのうちに第二保健室まで到着してしまう。
第二保健室に着きノックをすると中から千冬の声が返ってきた。
「失礼します」
「よく来たなラウラ。まあなんだ、取りあえず座っていてくれ。ココアで良いか?」
「へ?……え、ええ、あのお構いなく……」
ラウラが思っていたよりもかなり柔和な対応をしてきた千冬。今までとは違い明らかに気を使っていることがわかる。ラウラ自身もこんな千冬を見るのは初めてだった。だがそれが逆に不安を煽ってしまう。
それにココアとは自分は子供にでも見られているのだろうかラウラは感じた
千冬は手早くココアを入れ、ラウラの前に置く。
「ありがとうございます……織斑先生」
「御茶請けもあるからな」
「は、はぁ……」
受け取ったラウラは訝しげに砂糖とミルクを入れそれを口へと運ぶ。
「美味しいです」
「……そうか。目が少し赤いな。泣いたのか?」
「な、泣いてません。それよりもなぜ私を呼んだのですか?」
ラウラが欲しいのは同情でも情けでもない。聞きたいのは真実だけであり、そしてそれを受け入れるだけのことだった。
そんなラウラに千冬は落ち着くように促す。
「全くお前はせっかちな所は変わらんな……。まあ、急に呼ばれたのではそれも仕方ないか。安心しろ悪い話は一つもない」
「えっ!?私の今回の行いに対する処罰が決まったことじゃないんですか!」
「……はあ、何だそんなことを心配して泣いてたのか。安心しろお前に対する処罰など私が許さん。今回のことでお前が悪くないのは私が一番よく分かっている。そして何よりお前自身で己の罪に向き合っているじゃないか。他の奴が何と言おうと手出しはさせない。なんたって私はお前の元教官だからな」
「……教官!……うっ……うう……」
「元だ。こんなことでまた泣き出す奴があるか。ほらハンカチだ。使え」
嬉しかった。ただ、ただ嬉しかった。
さっきの不安から来る涙とは違う。これは嬉しさと、そして何より千冬の思いが伝わったことの感動による涙だ。
これまでラウラの千冬に対する尊敬や憧れという思いは一方通行だと思っていた。千冬は口が達者な方ではなかったし、どちらかといえば飴よりも鞭の方が多かったからだ。しかし口下手の千冬も今のラウラの状態は見るに堪えなかった。日に日に濃くなる隈と疲労の色に見て見ぬふりはできなかったのである。
「ラウラ、よく聞け。こんなこと一度しか言わないからな。お前はもっと自分のことを大切にすべきだ。お前が苦しめば悲しむ奴も出てくる。私もその一人だということを忘れるな。」
そう言って慣れない手つきでラウラのことをそっと優しく抱きしめる。
ラウラは千冬の胸の中で安らぎというものを感じていた。きっと母といった家族がいればこんな感じなのだろうかと思った。
千冬も平然を装っているがその耳は赤く染まっていた。
「織斑先生もう大丈夫です」
「そ、そうか。こういうことは一夏の方が得意なんだがな……」
いそいそとラウラの向かいの席に戻る千冬。
ここでラウラはふと疑問が浮かぶ。自分の処遇に関することでないとするならば一体何の用事でここに呼ばれたのか?まさか励まされるだけではないであろう。
「あの、それじゃあ一体私はなぜ呼ばれたのでしょうか?」
「そういえば本題に入っていなかったな。喜べあいつの足を治す治療法が見つかった」
「ほ、本当ですか!?」
それはラウラにとって最高の朗報であった。彼の歩く姿が再び見られる。そう思うだけでラウラの心は踊る。
「どうしてそのことを私に?もしそれが本当なら一番に伝えるべきは彼の方なのではないでしょうか?」
「……お前が一番追い詰められていたからだ。歩けなくなったあいつよりもな。だからこのことはお前の口からあいつに伝えてやれ。その方が喜ぶ」
織斑千冬そう言っては片目を瞑る。
それは千冬なりの気を利かせた計らいであった
「そうですか……良かった……本当に良かった……」
「今日はもう授業に戻らなくていい。その代わり少し部屋で休め。そして寝ろ」
ラウラは立ち上がり必死に頭を下げる。
こればっかりはいくら感謝してもしきれなかった。
「織斑先生、本当にありがとうございます!」
「わかったから早く行け」
「はい!失礼しました!」
ラウラは上機嫌な気持ちで部屋を出ると、寮までの道のりを軽い足取りで進んでいく。本当は今すぐにでも伝えてあげたかったが生憎今は授業中。大人しく千冬の言う通り部屋で仮眠を取ることにした。心が軽くなると不思議と眠気も感じてきた。
シャルロットと同室の自室に戻ると制服のままベッドに飛び込む。
(ああ、あいつが帰ってきたらどう伝えよう……ふふ……、今日は最高の一日だ!)
ラウラの最高の一日はまだ終わらない