第十六話:暗殺者は恋の魔法を解く
体を起こすと隣でマーハが眠っていた。
安心しきって緩んだ顔で、こういう顔を見るのは一緒に暮らしていたころ以来だ。
彼女の場合、いつもびしっと決めていて隙を見せることが少なく、微笑ましく感じる。
「……タルトもディアもマーハも俺に会わなければ死んでいたか。わかっていたとはいえ、直接言われるとくるものがあるな」
そういう運命と言ってしまうのは簡単だが、そう割り切れるような人形ではなくなってしまった。
俺がこの世界に転生したのは暴走するエポナを止めるため。
だけど、マーハの寝顔を見ていると、彼女たちを救うために転生したと思えてしまう。
「おはよう、ルーグ兄さん」
マーハが眠そうに目をこすりながら、目を覚ます。
よっぽど疲れたのだろう。
最初はマーハの好きにさせたが、後半は俺がリードした。
思った通り勉強だけじゃ限界があって、そのことをマーハは悔しがっていた。
そして、負けずぎらいのマーハはこういうことも必死に勉強しようとしておかしかった。
「おはよう、マーハ。体は大丈夫か?」
「大丈夫じゃない。……ルーグ兄さんのいじわる」
ジト目で見てくる。
初めてなのに、ちょっと乱暴にしすぎた。
愛おしすぎて、理性が飛んでしまった。
「悪かった。茶を淹れるよ」
「だめ、それは私がやるわ。ルーグ兄さんのお茶を淹れるのは、私にとっていちばん大事な仕事だから」
「そうだったな」
三人で住んでたころ、家事のほとんどは専属使用人であるタルトの仕事だったが、茶を淹れるのはマーハの仕事だった。
マーハは立ち上がり、部屋着を羽織るとそのままキッチンのほうへ行く。
キッチンを備え付けているのも高級宿の特徴。普通の宿だと各部屋にそんなものを用意しない。
お茶のいい匂いが漂ってくる。
ノックの音が聞こえ、ドアの下のほうからバスケットが差し入れられる。
宿の朝食サービス。いいタイミングだ。
マーハは茶をこちらに持ってくるのと合わせて、バスケットを回収してきた。
「朝食にしましょう」
「そうだな、昨日は運動して腹が減っているんだ」
「イルグ兄さんって、普段はかっこいいのにたまにそういうおじさん臭いこと言うわよね。セクハラよ?」
おじさん臭いだと……ちょっと傷つく。
「気を付ける」
「ええ、そうして。イルグ兄さんにはだれよりかっこよく居てほしいの」
マーハが微笑して、俺も微笑み返す。
茶をいただく、相変わらず、マーハのお茶は隅々まで心配りができている、安らぐお茶だ。
そして、サンドイッチ。
……驚いた、あまり期待してなかったがそれなりに美味しい。
「これ、マルイユのパン使っているな」
「よくわかったわね。ここはあそこのパンを仕入れているし、中の具材も高級品よ。この宿、上流階級御用達なのよ」
マルイユとは、街でも有数のパン屋でムルテウに住んでいたころは通っていた。
しかも、このパンは今朝焼いたものを届けてもらっているようだ。なるほど、さすがはマーハが選んだ宿だけある。
この宿のことは覚えておこう。
「ふう、お腹が落ち着いたし、お仕事に戻るとするわ……実は、伝えないといけないことがあったの」
そう言って、マーハは書類の入った封筒を渡してくる。
それにさっと目を通す。
「これは……怪しいな」
「ええ、とても怪しいわ。現地の諜報員には追加調査を命じているところよ」
マーハの資料にはここから北西にある街、ビルノルというそれなりに大きな街で起こっている異常について。
最近、地震が頻発している上、行方不明者も一ヶ月で十数人出ている。
それだけじゃなく、俺の通信網に使っているラインが切れた。
あの、タルトが俺の作ったナイフを振るい、魔力で強化した状態でも切れなかった代物がだ。
現状、あそこの通信網はリング構成にしてあり、片側が切れても逆周りで通信が可能なため困っていないが、あんなものが切れてしまう事自体が異常。
行方不明者がでていることも合わせて、何かが起こっている。
「魔族かもしれないな。それも、それなりに頭が良いやつだ」
「どういう自体を想定しているの?」
「今まで俺は、甲蟲と獅子、肉体派魔族を立て続けに殺しただろう? だから、魔族は警戒し絡め手を使うと読んでいた。今回の件で考えられるのは秘密裏に大量虐殺の準備をしておき、それが終われば一瞬で街の人間を皆殺しにする。そして、【生命の実】を作ったあとは厄介な奴がくる前に逃げる。そういう手を打ってきた。そう考えている」
もう少し情報がないと推測の粋をでないが、例えば街の地下を予めほとんど空洞にして、一気に崩落させる……そういう手を使えば今は地震が頻発するし、いざというとき街の住人たちを一瞬で皆殺しにできる。
「そうね。甲蟲魔族の件を見る限り、殺し終えてから【生命の実】ができるまで数日の猶予がある。でも、街の人を一瞬で皆殺しにできるなら、こちらが事態を察知して、駆けつけるまでに全部終わらせられる……そう考えるかもしれないわ」
そう、普通なら事件が起こる→調査をする→対応できる人間に連絡をつける→対応する人間が駆けつけると、どうあがいてもそれぞれの工程に数日かかってしまう。
もし、俺の想定したとおりのことを魔族が準備していたのなら、為すすべがなく【生命の実】を抱えて逃げられただろう。……そう、俺以外なら。
「つくづく情報網は優秀だと思うよ」
しかし、俺だけはその常識外にいる。
この国で何かあれば、即座に情報網で察知し、飛行することで即日中に駆けつける。
いかに魔族とはいえ、そのことを知らない。
だからこそ間に合うことができる。
「それと、どうしても気になっていることがあるのよ」
「言ってみてくれ」
「どうして、魔族はアルヴァン王国にしか現れないのかしら? 普通に考えて、戦いを避けるなら、勇者とルーグ兄さんがいない国を狙うほうがよほど安全でしょう? オークに甲蟲に獅子、三体もの魔族が立て続けにこの国を狙ったわ。そこに、今回の異常を本当に魔族が起こしているなら四体目よ? 明らかに異常、意図的にこの国を狙っているとしか思えないわ」
「それは俺も疑問に感じていたんだ。魔族の目的が勇者を誘い出して殺すためだからこそ、あえてこの国ばかりを狙っていると思っていた。実際、あのオーク魔族は明確に勇者殺しを目的にしていると口にした。だけど、今回のように勇者や俺と遭遇しないようにしているにも関わらず、この国に現れるのはおかしい」
過去の文献を見る限り、一国だけが襲われ続けるなんてことはなかった。
だからこそ、周辺諸国はアルヴァン王国に、有事は勇者を貸し出す約束を取り付けようとしている。
もし、アルヴァン王国しか襲われないのであればそんなことはしない。
魔族と魔王の出現は数百年刻みに行われる災害であり、各国それぞれノウハウはある。その各国が自国が襲われた際の備えをしているのだから、魔族はどこの国でも襲えるはず。
なのに、そうしようとしない。
つまり、今回だけのイレギュラーが存在しており、何かしらの理由でアルヴァン王国以外を狙えないということ。
「手持ちの情報だと材料が足りないな。まずは情報を集めつつ、目先の問題に対処する。……ありがとう。この書類があれば、いろいろと動ける」
魔族のことは魔族に聞くのが一番早い。
幸い、その心当たりはある。
「力になれたなら良かったわ。私はシャワーを浴びたらオルナに戻るわ。昼から大事な会議があるの」
「忙しいな」
「そうね。でも、それが私の役割だから。とても大変だけど、あなたの力になれることを誇らしくて思っているの」
そう言って消えていった。
……いい女だ。
改めてそう思う。
さて、俺は俺の仕事をしよう。
◇
あれから俺はトウアハーデに戻っている。
魔族らしきものが暗躍している街の調査をさせつつ、蛇魔族ミーナへの接触を試みていた。
そのほか、いろいろと後始末を終わらせているところだ。
「ルーグ様、お疲れさまです」
「また、引きこもっているんだね」
「二人共、今日の訓練は終わったようだな」
こくりとタルトとディアが頷いた。
俺が出発の際に与えていた宿題の最終調整を二人は行っている。
「ルーグは何をしているの?」
「ああ、今は裁判で役立ってくれたフラントルード侯爵へのアフターフォローだ」
「あっ、それだよそれ。女装したルーグのこと好きになっちゃったんでしょ。どうするの?」
「ルーとしての手紙を届けているんだ。領地に無事帰れて、あなたに会いたい。二ヶ月後に王都へ行くから待っていてってな」
その手紙は、女性らしき筆跡で書いてある。
こういうのも暗殺者の技能だ。
「それって、ただの時間稼ぎだよね」
「それで十分なんだ。二ヶ月の間、手紙のやりとりを何度か行う。……そのやり取りで、ルーの言動や好み、習慣を微妙にフラントルード伯爵の理想から外していって、どんどんフラントルード伯爵の思い描いた理想の女とのずれを大きくする。賭けてもいいが、二ヶ月立つ頃には恋は覚めている。あとは、直接会ってちょっとしたきっかけを演出すれば、二人の恋はおしまいだ」
ルーのほうから一方的に振ると、フラントルード伯爵は自暴自棄になりかねない。
だから、まず時間を作り、少しずつ少しずつルーへの思いを歪めていくのだ。
そして、最後には向こうから振らせる。
「けっこう、面倒なことするね」
「彼はよく働いてくれたからな。その礼も兼ねて一番綺麗な終わらせ方をしてやるんだ。その恋が終わったことに安心するような、何も残らない終わり方だ」
人の心とは、移ろいやすい。
ましてや、ルーとフラントルード伯爵の間に生まれた恋は、ドラマチックに演出された一過性のものだ。
お互いのことをろくに知らず、知らなかった部分を知っていくことで理想の相手ではないと気付いていき、理解することで相手への興味を失う。
「今のルーグ様、ちょっと怖いです……あの、私はルーグ様に冷たくされても、ずっとルーグ様のことを好きでいますから」
「タルトって心配性だね。今言ったこと、自分がされるかもって思ったんだ」
「あの、その、ルーグ様が私を捨てるなんて、思ってないです。ただ、その、ちょっとだけ怖くなって」
「そんなに慌てなくていいさ。こうやって人の心を弄ぶ奴が怖いのは当然の感情だ……こういうことを二人に話しているのは俺なりの甘えだよ。おまえたちならそんな俺を受け入れてくれると信じているから話せる」
ただ、好かれたいだけなら、裏の顔を見せない。
それでも見せるのは二人のことを信じているからであり、ルーのことで心配してくれている二人に大丈夫だと伝えるため。
「はいっ! 大丈夫です」
「そんなことで嫌いになるなら、初めっから好きになってないよ」
「そうか」
俺は微苦笑し、手紙を書き終える。
それを伝書鳩の足にくくりつけた。
この伝書鳩はトウアハーデのものではなく、フラントルード伯爵がルー宛に送ったもの。
愛を運ぶためにプレゼントした伝書鳩が別れをもたらすなんて彼は思ってもいないだろう。
白い鳩が羽ばたき、空へと舞い上がっていく。
これでフラントルード伯爵の件は終わり。
ごほんっと咳払いをする。
「タルト、ディア、明日は宿題を提出してもらう。そのつもりで居てくれ」
次は俺が居ない間に彼女たちが得た新しい力、それをしっかりと見せてもらうことにしよう。
いつも応援ありがとうございます! 「面白い」「続きが読みたい」などと思っていただければ、画面下部から評価していただけるとすごく嬉しいです。
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