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2019-08-02

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・何年か前から、ぼくは「在庫の時代」と言っている。

 よく時代に名前をつけることってあるじゃない? 
 「女性の時代」とか……他に…思い出せないけど。
 いまは、ずうっと「在庫の時代」が続いていると思う。

 辞書に載っている意味は
 「品物が倉庫などに置いてあること。また、その品物。」
 「一定期間での生産者、販売業者の材料、仕掛品、製品、
 商品の手持ち量。」ということなのだけれど、
 ここはぼくに超訳させていただく。
 「つくったけれど、つかわれるまでにならず、
 溜まったままでいるモノやコト」としよう。
 おおむねこれでまちがいではないと思う。

 材料があって、つくる仕組みがあるなら、
 生産というのはいくらでもできる。
 とりあえず、缶に入った飲み物のことでも想像しよう。
 ほしい人がいて、つくっただけ買ってもらえたら、
 うまく循環していくのだけれど、
 売れなければ溜まる、つまり「在庫」になる。
 やがて売れるとわかっていれば、それでかまわないが、
 いつまでも売れない場合は、安売りにしたり廃棄する。
 このイメージが、あらゆる場面に当てはまると思うのだ。

 たくさんの似たようなモノが生産されるのだけれど、
 どこにでもあるようなものは、そんなに要らない。
 ほしい側と、売る側とのつながりができなくなっている。
 だから、つくったものは「在庫」になって、
 「売るほどあります」という状態になる。

 比喩的に考えれば、恋愛だって「在庫の時代」にある。
 エネルギーはあるのに、届かないまま「在庫」になる。
 就職にしても、企業の側から見ても学生の側から見ても、
 やる気やら知識やら技術やら、組織やら仕事場やらが、
 つながらないままに「在庫」として迷走している。
 あれはどうだこれはどうだろうと想像してみてください。
 生産はできるのに、消費までに届かず
 「在庫」になるという例はいくらでもあるはずです。
 あなたの情熱やら動機やらも、「在庫」化してない?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
昔は「生産」がもっと難しかった、とも言えるんだけどね。


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