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【放送芸能】

若者に届く「東京裁判」を 小林正樹監督作・長編ドキュメンタリー映画 4Kデジタル化

映画「東京裁判」公開当時の新聞広告を見せる小笠原清=東京都渋谷区で

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 第二次世界大戦での日本の戦争責任を追及した極東国際軍事裁判(東京裁判)。この長大な記録映像を編集して製作したドキュメンタリー映画「東京裁判」(一九八三年、小林正樹監督)が、4Kデジタルリマスター化され、三日から公開される。当時、監督補佐と脚本を担当した小笠原清(83)が尽力した。「高画質、高音質で劣化しないという理想的な形で作品ができたので、若い人に見てもらいたい」と思いを語る。 (竹島勇)

 小笠原は人生を振り返り、最も印象深い出来事は「終戦」と言い切る。当時九歳で、疎開先の青森・浅虫温泉で昭和天皇の玉音放送を聞く。雑音混じりで意味は分からなかったが「空襲の恐怖はなくなり、安堵(あんど)感は子ども心に沁(し)みた」という。

 映画の助監督などをしていた小笠原は「人間の條件」六部作(五九~六一年)、「切腹」(六二年)などで知られる巨匠、小林監督が「私の戦争映画の集大成」と位置づけた本作に請われて参加。映像と記録の照合、挿入するニュースフィルムの構成、ナレーションの文言作成にあたった。

 生々しい迫力に満ちた四時間三十七分の大作は、公開されるや大反響を呼んだ。ブルーリボン賞作品賞やベルリン国際映画祭の国際映画批評家連盟賞を受賞するなど、評価も受けた。

 ただ、小笠原には不満も残った。「寄せ集めのフィルムは、編集するうち画質が落ちた」からだ。「いつか改善したい」とフィルム一本を残していた。それを頼りに二〇一五年と一六年、権利を持つ講談社にデジタル化の要望書を提出。一七年にゴーサインが出た。八三年版に携わった同社の杉山捷三(しょうぞう)エグゼクティブプロデューサーと監修した。

 小笠原は「ワンカットごとに調整し画質、音質ともに向上した。前回、画質劣化で断念した玉音放送の完全字幕化もできた。東条英機(元陸軍大臣・元首相、絞首刑に)らをリアルな生身の人間だと感じるデジタル映像の意義は大きい」と話し「(九六年に)亡くなった小林監督も喜んでいると思う」と胸を張る。

 小笠原はデジタル化しての公開に「現在の国際情勢は、かつての戦前のように感じられ不安だ。戦争を直接知る人が少なくなる中、若い人たちに見てほしいと思ったから取り組んだ」と強調する。

 東京・池袋の立教大で試写会が行われた。その際、小笠原と言葉も交わした法学部政治学科四年生の女子学生は「リアルな映像から戦争が遠い時代のことでなく、今の自分につながる問題だと感じた」と話すなど、大学生の関心を喚起したようだ。

映画「東京裁判」から。法廷での東条英機(c)講談社2018

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◆史実として評価し考えを深める好機 保阪正康コメント

 現代史研究家でノンフィクション作家の保阪正康は「小林監督は予断や偏見なく客観的に映像を編集しているので、裁判の本質を理解するのに役立つ」と作品の価値を高く評価する。その上で「令和の今、新たな形で公開するのは、二十世紀に戦争をどう裁いたかを同時代的でなく史実として評価する段階になったということ。その意味で今こそ見る価値があり、見た人それぞれが戦争について考えを深めることにつながると思う」と話した。

<映画「東京裁判」> 極東国際軍事裁判は1946年5月に東京・市谷の旧陸軍省参謀本部で開廷。48年11月に28人(公判中に2人が病死、1人が免訴)の被告に絞首刑(7人)、終身禁固(16人)、禁錮20年と同7年(各1人)の判決が下された。

 裁判の模様は米国防総省が撮影。50万フィートに及ぶ記録フィルムは73年に公開された。これらをもとに講談社が映画化。音楽を武満徹、ナレーターを俳優の佐藤慶が担当した。

 

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