同点打と勝ち越し打が各4本、さらに逆転打が2本飛び交った乱打戦。岡田が打たれた数分後、僕は甲子園のグラウンドに立っていた。浜風に押し出される! そう思ったソラーテの打球は、左翼ポールを直撃した。
甲子園には誕生日がある。1924(大正13)年8月1日生まれ。95歳を迎えようとしている。35年に産声を上げたタイガースより、歴史は古い。日本一の球場の芝生と土を守り続ける「阪神園芸」は、この日の5回に歴史的な一歩を踏み出していた。
「僕はこの仕事に就いて32年目ですが、ナイターの5回に水をまいたのは初めてですね。デーゲームですらほとんど記憶にないですわ」
同社の名グラウンドキーパーとして知られる、金沢健児甲子園施設部長が「初めて」だと言い切ったのは5回のインターバルでの散水だ。土のプロフェッショナルたちは、グラウンドに水をまくことを「土を落ち着ける」と表現する。春先や秋は試合前だけで事足りる。8月は球児に明け渡す。「梅雨が明けて高校野球が始まるこの時期だけ、試合前に落ち着かせた土が、試合中に乾くんですよ。初めて5回にもまいたのは、選手から要望があったからです」と説明してくれた。
土が乾けば打球がはねる。グラウンドキーパーが最も神経を使うのは、土を落ち着かせる散水量だ。阪神選手からのリクエストで、5回終了時にも土を落ち着かせた。ところが直後の6回に遊撃のソラーテが失策し、中日は逆転した。この日の阪神はホームチームにあるまじき計4失策。甲子園の神様は竜にほほ笑んでくれたはずなのに…。
「(6回は)悪送球で(8回は)空中イレギュラーですから」。心の広い金沢さんは、こう言って笑った。落ち着いた土を有効に使えていたのは堅守で支えた中日だった。ところが負けた。あの瞬間、浜風が少し弱かったように思えたのは僕だけだろうか…。