2019年07月31日
闇????
ブラック部活 呼ばわりした次は、
なっなんと!闇部活呼ばわり。
いったいどうなってしまったの、この国は?
子どもが関わる教育活動に対し、
「ブラック」だの、
「闇」だの、いったい何?
この方々、何をしたいの?
子どもを守っているつもり?
この異様な執着心はどこから来るの。
正義の味方とでも本気で考えられているの。
本気でこれが子どもの為だと考えられているの。
不完全なる人間の営み。
この営みの中にマイナスがあるのは、当然のことである。
話は少々ずれるが、日々向き合って練習していれば、
「ふざけんな、石田修一!」
「ふざけんな、石津谷治法!」
「ふざけんな、畠田貴生!」
「ふざけんな、高橋健一!」
と思うわ、生徒たちは。
そんなの当たり前のことだ。
憎まれない顧問など、いる訳がない。
憎まれない=本気ではない=関心がない
皆さん、どの顧問の方々も本気で闘っていらっしゃる。ぶつかるわ。擦れ違うわ。本気なのだから。
そこに部活動の醍醐味がある。
生徒と教師の良い意味での本気の格闘がある。
自分の全存在をかけて、相手とぶつかり合う。
何が悪い?
これが授業で、学校行事で行われるとでも考えているのだろうか?
こういう経験がどれだけ生徒を成長させるか、わかっているのだろうか。
もちろん私たち教師は振り返りを行い、何が問題であったのか、どこを改善しなければならないのか、常に反省を繰り返し改善していかなければならないことは言うまでもない。
何度も何度も何度も申し上げているが、
ありとあらゆるもの。
例えば、大学のマイナス面だけをあげつらえたら、ブラック大学となる。
オリンピックのマイナス面だけをあげつらえたら、ブラックオリンピックとなる。
大学には大学にしかない良さがある。
オリンピックにはオリンピックにしかない尊いものがある。
全否定されて何をされたい?
挙げ句の果てには、部活動ガイドラインの意に沿わない管理職、顧問、部活動に対し、闇部活動呼ばわり、
これは人権侵害に値しないのであろうか。
侮辱も甚だしい。
名誉毀損に値しないのか。
また話はズレるが、
戦後、政府の物価統制令下での配給制度は麻痺状態に陥っていた。人々は生きる為に闇市を始めることとなる。
後に日本人が生き抜く為には、政府は闇市を認めざるを得なくなり「闇市」ではなく「ヤミ市」と名前を変えて認めることとなった。「ヤミ市」が日本人を救うこととなる。
アメ横は「ヤミ市」の残した文化である。都心には他多数存在する。
歴史を振り返った時、政府が統制したことによる悲劇は後を絶たない。
戦後の物価統制令と部活動ガイドラインを比較するのは行き過ぎかもしれないが、「闇部活動」などと言われる方がいらっしゃるから、致し方ない。
そもそも物価統制令に問題があった。
そもそも部活動ガイドラインに問題がある。
だから、
「闇市が生まれた。」
だから、
あなた方が言う「闇部活動」が生まれる。
私たち人間が人間として生きる上で必要だから生まれた。政府の都合ではない。
生きるか、死ぬかの問題だったから必然的に生まれた。
大袈裟ではなく、そのくらい日本の学校教育の中で部活動は重要なものである。
それを政府が統制するなど言語道断。
あってはならない。
各自治体、市町村、その学校に任せればいい。
国が首を突っ込むことではない。
世の部活動に対し価値を見出している先生方、これでいいのでしょうか?
言われっぱなし、叩かれっぱなしでいいのでしょうか。
部活動は楽しい。だから規制する必要がある。という飛躍した非論理性。
詭弁以外の何物でもない。
エビデンス!エビデンス!と何の根拠もない数字を提示され、まるで科学的根拠があるかのようにおっしゃているが、詭弁以外の何物でもない。
楽しいことをして何が悪い?
何度も申し上げるが、好きなことを学生時代に思いっきりやることに何の問題がある?
学生は好きなことを思いっきりしてはならないのか?
それとも、中学生、高校生は好きな部活動を我慢して、毎日毎日受験勉強とゲーム、スマホをしていればいいのか?
また、これも何度も述べている。
欧米の教育、文化と日本の教育、文化は根っ子が違う。同じものとして語るべきものではない。
また、
部活動を軽減することが、
教師の働き方改革ではない。
そんなことではないだろう。
優秀な人材を採用する。
その為には給料増額。
そもそも教員採用試験そのものの見直し。
私がわからないのは、
子どもたちに対し、一生懸命向き合っていられる教師に対し、ブラックだ、闇だと決めつける方々の考え方を国が支持したことである。
これは私の独断であるが、
恐らく国は、
「教師の皆さん、あなた方にとって負担になっている部活動を減らしてあげました。働き方改革をしてあげました。良かったでしょう。」程度のものである。
予算もつけず、これで教師の働き方改革終了!程度にしか考えていないのであろう。
それが学校現場に何をもたらすか、あの有識者たちにわかる訳がない。
今、学校現場は混乱している。
職員室の雰囲気は悪くなる一方である。
なんで?あの部はガイドラインを守らない? → この手の発言をされる教師は私の経験上、生徒と向き合わないのではなく、向き合えない人が多い。
校長により差があり、学校間がギクシャク。
つまり、職員の関係が部活動ガイドラインの導入により険悪になった。
職員の関係が悪化した時に起きること。
それは決まって学校が荒れる。
これ学校のセオリー。
学校が荒れたらどうなる?
あの80年代の校内暴力の時代を思い出す。
荒れに荒れた学校を部活で立て直し、行事に繋ぎ、そして最終的に授業へ繋ぎ、学校を落ち着かせた。
忘れたのか?
今、校長しているる方々?
イエスマンでいいのか?
また、
今はコンクール直前なので、あちらこちらの中学校を指導に行く機会がある。
その時にどこの学校でも聞く話が長欠の子の問題である。
中には授業には出られないが、教室には入れないが、部活動には出られる。そういう子が決して少なくはない。
その長欠の子にとって唯一の社会的接点が部活動なのである。それを取り上げるのか?取り上げていいのか?
それも政府が?
おかしいだろう。
どう考えても。
今まで通り、
部活動をやりたい教師がやればい。
部活動をやりたい生徒がやればい。
部活動をやりたくない教師はやらなくていい。
部活動をやりたくない生徒はやる必要性など全くない。
長くダラダラ書いてしまった。
私は、この白黒に変わらず怒っている。
最後に
これも何度もお伝えしているが、
部活動ガイドラインに
肝心要の生徒の気持ち、思いが1ミリも入っていない。大人の都合でいいのだろうか。
日本中の学校を個性のない一緒くたにしようとしている方々の都合でいいのだろうか。
私たち市船吹奏楽部は、
本日も夜遅くまで力を合わせて、一つの曲を作り上げる為に相手と、そして自分自身と向き合ったホール練習を行った。
何が悪い?
言うてみい。
どこが悪い?
言うてみい?
やりたいからやる。何が悪い?
やりたくなければやる必要など全くない。
なぜ?白黒にしようとする?