つぐみ 「12年前──2005年、8月。ある夏の日……。私は感染した。 そう、2005年。12年前。私がまだ、12歳だったときのこと……」 武 「ウイルス?」 つぐみ 「うん」 武 「今も……?」 つぐみ 「そうよ」 つぐみ 「私は、キャリアなの……」 武 「……え? あれ? ちょっと待て! ちょっと、待ってくれ……。 今、12年前に12歳って……言わなかったか?」 つぐみ 「言った」 武 「12年前に12歳なら、単純計算しても……」 つぐみ 「そう。23歳。あとふた月で24になる。私は24年前──1993年の7月に生まれたの」 武 「23、か……」 つぐみ 「ねぇ? あなたはどこにいるの?」 武 「どこにって……ここに、いるじゃないか」 つぐみ 「ここって、どこ?」 武 「だから、ここはここだよ」 つぐみ 「あなた、爪、切ったことある?」 武 「な、何言ってんだよ、突然」 つぐみ 「いいから……。爪、切ったことある?」 武 「あるに決まってるだろ」 つぐみ 「じゃあ、その切り取られた爪に、あなたはいる?」 武 「は?」 つぐみ 「爪に、あなたはいるの?」 武 「いや……俺の肉体を離れたら、それはもう俺じゃないよ」 つぐみ 「髪は?」 武 「髪もだ」 つぐみ 「だったら、ここにくっついてる髪の毛は武だけど、こうやって抜いたとたん」 武 「痛って!」 つぐみ 「これは、武じゃないんだ?」 武 「う~ん、微妙だな。俺じゃないと言えば、そうだけど……。まぁ『元・俺』ってことになるのかな。 つぐみ 「じゃあ……腕を引きちぎったら?」 武 「……」 つぐみ 「その腕に、武はいるの?」 武 「いや、そこにはもう、俺はいない」 つぐみ 「じゃあ、足をちぎったら? 胴を切り離したら? 脳を取り出したら? ねぇ? 武はどこにいるの?」 武 「俺は……。どこに、いるんだろう?」 俺──倉成武は、誕生した瞬間から、 ひとつの個体として、線形な、連続的な繫がりを保ちながら存在してきた。 これは、まぎれもない事実だ。 アルバムに載っている赤ん坊の俺も、小学校の運動会で走っている俺も、 そして、ここにいる俺も……同じ「倉成武」という個体である。 しかし、その実態はどこに存在するのか? 大昔の人は、それはハート、つまり心臓に宿ると信じていた。 デカルトは、脳内の松果体に魂の座があると言った。 脳。 俺という存在は、記憶にあるのだろうか? ならば、あの少年のように記憶を一切失ってしまったら、それはもう、倉成武ではないのだろうか? 考え方? 感性? 感情? 感覚? 人格? 価値観? それは脳という内臓のひとつの機能に過ぎない。 そもそも、ここにいる俺は、小学校の運動会で走っていた俺とは別の分子によって構成されている。 あのときの俺と、今の俺は、物質的側面から見れば、別人だ。 細胞は、日々生まれ変わっている。 生まれ変わり、そして死んでいく。 人間の身体を構成するすべての細胞は、3~5年後には、全部入れ替わっていると言う。 その辺に転がっている石は、5年前も、5年後も、同一の分子によって構成されている。 しかし、人間は違う。 5年前の俺の細胞と、今の俺の細胞は、別のものだ。 だが、5年前の俺という存在と、今の俺という存在は、確実に同じものである。 では、その「俺」とはいったいなんなのか? 「俺」の実態は、どこにあるというのか……? つぐみ 「そう、あなたという存在に実態はない。あなたはただの概念、だから」 武 「概念?」 つぐみ 「情報──ソフトウェアと言ってもいいかもしれない。CDに焼かれた情報に、実体はある? CDは、ただのプラスチック、ポリカーボネイトという物質の塊。それは、情報とはなんの関連もない。 情報の実体なんかであるはずもない。情報に、形はないの。 ただ専用のアプリケーションを用いることによってのみ、情報は具現化される」 しかし、具現化されたその情報の形さえ、本質ではない。本質は、情報、それ自体を指すのだから……」 武 「……」 つぐみ 「武も同じ。武という本質に、実体はない。なぜなら『倉成武』という人間の本質は、 ただの概念、情報、ソフトウェアに過ぎない。それは肉体というハードによってのみ、再現される。 そう、肉体はハードウェア。武という本質を具現化する為の、ただの道具」 武 「……お。OK、OK。話はよーくわかった。 いや、全然わからないけど、OK……まぁ、いいとしよう。 で? それとさっきの話とは、いったいどういう関係がある?」 つぐみ 「今から12年前、私はあるウイルスに感染した」 武 「それはさっき聞いたよ」 つぐみ 「そのウイルスのおかげで、ウイルスのせいで……。私の遺伝子のコードは書き換えられてしまった」 武 「遺伝子の、コード?」 つぐみ 「細胞は、日々生まれ変わっている。生まれ変わり、そして死んでいく。 通常、人間の体細胞は、5年後にはすべて入れ替わる。 12歳のとき、ウイルスに感染した私の体細胞は、その瞬間から、ゆっくりと細胞分裂を繰り返し……」 5年後──細胞はすべて入れ替わったの。つまり、私の肉体を構成するすべての細胞の遺伝情報が、 5年の歳月を経て、全部、書き換えられた、ということ」 武 「……?」 つぐみ 「最後のひとつとなった細胞が死んだとき。12歳のときの私は跡形も無く消え去ってしまった。 そして、古い私は死んだ。古い私は死に、新しい私は死なない身体になっていた」 武 「死なない、身体……?」 つぐみ 「私の免疫機能、並びに代謝効率は、著しく能力向上し……。 テロメアは回復し続けるようになった……。そう……。私は決して老いず、死ななくなった。 私の成長は、そのときに止まったままなの。17歳のまま、決して老いることは、ないの」 武 「……」 『免疫機能並びに代謝効率は著しく能力向上し』 『テロメアは回復し続ける』 その話を鵜呑みにするならば……。 つぐみの肉体は計画的死を迎えられない。 身体が順調にエネルギーを消費し続けられる間は死なない。 自らの生命力を機能として維持できる限りは決して死ぬことがない。 半永久的に死は訪れない。 しかし、そんなことがありうるのか? 老いて死なずにいられるなどということが、あるだろうか? 生命は何故、老いるのか……それは、自らの消耗と機能低下による変質を避ける為のはずだ。 世代を変えて生命が継承されていくのは、その為のはずだ。 |
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