クリスマスの飾りを片付けてシンプルな部屋に戻りました。
私の実家は私が生まれる前に祖母が購入しました。
建物は古く、家族以外の人が家の中に入るとあまりの傾きに気分が悪くなったと言われるほど。
お風呂もなくて毎晩祖母と妹と近所の銭湯に行っていました。
お風呂上りに飲む瓶のコーヒー牛乳がたまらなく好きでした。
小学5年生の時に鉄骨3階建て、一階が店舗で2・3階が住居という今の家になりました。
店は母と祖母がやっていた居酒屋で、同じ建物の中にいる安心感こそあったけど、サザエさんの家に強い憧れがあった私には廊下がないことにずいぶんがっかりしたものです。
22歳で結婚して家を出るまで、家の中の手入れは私の役割みたいになっていたので私がいなくなってからはおそらく誰もしてなかったような…?
離婚して実家に戻ったとき11年でこんなにも家の様子は変わってしまうのか…と驚いたけど、まだ私も30代でパワーがあったのでごっそりと片付けてなんとか私と娘が生活するのに不便のない状態まで頑張りました。
ただ住み始めて2年ほど経ったころ、娘から「この家にはお友達を呼べない」と言われ、経済的にはちょっときつくなるけど家を出ることを決めたんです。
母は外に出て人のお世話をすることは好きだけど家に人を呼ぶのを嫌がる人だったんですよね。
なので友達を呼べる家っていいなあ…ずっと思っていたことを娘の言葉で思い出しました。
家の建て替えをしたのが1981年。
あれから36年。
両親は家のメンテナンスを全くせず、正確にはメンテナンスの仕方を全く知らず、その結果ひどい雨漏りとその影響によって天井はシミができ壁のクロスも剥がれ、場所によっては大きく穴が開いてしまっている個所も。
母の病気が分かったとき、私はリフォームを検討しました。
これから父だけになる店のこと、足腰が弱くなって階段の上り下りも難しくなった母のこと、いろんな思いを勝手に背負いました。
ずっと仕事はしていたし、直近の職場も10年は努めているし、給与は安定していたし、支払い関係もちゃんとやっていたし、リフォームの借り入れくらいはできるだろうと思っていた私が甘かった。
ことごとくリフォームローンを組むことができませんでした。
こんな場面に立たされても私にはなんの力もなくて、期待していただけにがっかりした母の様子を見て申し訳ないという思いと、やっぱり私は私が理想とする家を手に入れることはできないんだなというショックでしばらく凹みました。
結婚しているときに家を建てる計画が持ち上がったんですけどね、いろいろあって実現できなかったんです。
母がまだ動けるうちに、意識がはっきりしているうちになんとかしてあげたいと思っていただけに焦りもあったと思います。
結果、細々と片付けていく以外現状維持で何もできませんでした。
私の計画性のなさが問題なだけ、
私が家に対して異常な執着があるだけ、
そんな私の言葉は説得力がないかもしれないけど、でも家を建てられた方にぜひ伝えたい!
どうか家を大切にしてほしい。
人の一生は短くて、いつかそこから旅立つ日がやってきます。
その時に引き継がれるのが家族かもしれなければ、まったく見も知らない他人かもしれない。
いずれにしても大切に扱われた家は、年数に関係なくその思いがちゃんと形として残されています。
手放した後も引き継いだ方がその思いに触れて心地よく暮らせるように、その家を愛おしく思えるようにどうか心のこもった手入れをしてほしい。
家は使い捨てではないと思うのです。
新しいままではいられないけれど、日々手入れを繰り返しその積み重ねは味わいとなり引き継がれていく価値に繋がるのだと思います。
私の実家の家は残念ながら両親の家に対する思いが感じられず、気持ちが外に向かっていたのが伝わります。
足を踏み入れるたびに悲しくなるその家を金銭的な問題、環境の問題で受け止めきれない私がいます。
古くなることはやむを得ないにしても最低限の手入れさえしてくれていたら…という思いがぬぐえません。
家があることだけでも贅沢なことで、あまりにも感謝がないのではないかと自責の念に駆られたりもするけど。
いつかそのすべてを受け入れる覚悟ができたら実家に戻るつもりです。
だからそれまでは誰になんと言われようと私は私のしたい暮らしを満喫しておこうと思うのです。
来年の3月から始まる家が私の賃貸生活最後の場所になると思っています。
その暮らしに向けての準備をいよいよ始めたいと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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