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【競馬・ボート・競輪】

[競馬]武豊衝撃!!ディープインパクト安楽死 「本当に特別な馬」

2019年7月31日 紙面から

引退式直前の地下馬道で、ディープインパクトにキスをする武豊騎手(福永忠敬撮影)

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 歴史的名馬が死んだ。2005年に史上2頭目の無敗の三冠馬となり、GIレースで通算7勝を挙げるなど一時代を築いたディープインパクトが30日、けい養先の北海道安平町の社台スタリオンステーションで安楽死の処置が取られた。17歳だった。頸椎(けいつい)骨折が判明し、起立不能の状態から回復の見込みが立たなかったため。種牡馬としても数多くの産駒を輩出した名馬の死を、現役時代の全14レースで騎乗した武豊騎手(50)をはじめ、多くの関係者らが悼んだ。 

◆3月末に種付け中止

 首、腰の状態が悪いため3月末に種付けを中止し、治療に専念していたディープインパクト。28日に頸部(けいぶ)の手術を受け術後の経過も安定していたが、29日の午前中に起立不能の状態に。30日早朝にエックス線検査したところ頸椎(けいつい)骨折が見つかり、回復の見込みが立たないことから安楽死の処置が取られた。

◆希代の名馬が残す血

 まさか、こんなに早く別れの時が来るなんて。馬名の由来を想起させるスーパーホースの衝撃的な最期に現役時代の14戦、すべてのレースに騎乗。その背中をただ一人知る武豊は「体調が良くないと聞いていたので心配していたのですが残念です。私の人生において特別な馬でした。ただただ感謝しかありません」とJRAを通じてコメントを発表した。

 絵になるコンビだった。500キロを超える競走馬の大型化が進む中、450キロ前後と牡馬としては小さく、まるで牝馬のような体つき。そのコンパクトな体から繰り出される無駄の少ないフォームは武豊が「空を飛んでいる感じ」と表現し、ファンを魅了した。

 「本当に次元の違う走りをしてましたから。デビュー戦からすごかった。アクシデントがなければ結果は出せるかなという、それぐらいの馬」

◆菊花賞制覇で「英雄」

 単勝1・0倍、元返しの菊花賞制覇の後には「英雄」と名付けられ、4歳になって天皇賞・春を圧勝すると「世界にこの馬より強い馬はいるだろうか」と名手が目を丸くしたほど。

 2013年に産駒のキズナで日本ダービーを勝って父子2代制覇を決めた。8年ぶりの栄冠に「ディープで勝ってからなかなか勝てず、ボク自身も苦戦していた。それがディープの子どもで、ディープからプレゼントしてもらった気分になった」と感激した。

◆ダービー3代制覇へ

 今年キズナの子どもがデビューし、すでに重賞勝ち馬を送り出している。来年のダービーからは親子3代制覇という偉業も視界に入った。「3世代というとね、ぼくしか経験できない。競馬はそうやってつながりがあって、夢が広がって楽しいです」

 希代の名馬は、その世を去ったが、その血は今後も競馬界に強い影響を残していくことになる。

<ディープインパクト> 2002(平成14)年3月25日生まれ。牡17歳。父サンデーサイレンス、母ウインドインハーヘア(母の父アルザオ)。栗東・池江泰郎厩舎(きゅうしゃ)から04年12月19日に阪神競馬場でデビュー。05年に皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制し、史上2頭目の無敗の三冠馬となる。06年凱旋(がいせん)門賞に挑戦し3着に敗れた後、ぜんそくの吸入治療で使われた禁止薬物のイプラトロピウムが検出されて失格。同年のジャパンカップと有馬記念を制して引退した。通算成績14戦12勝(海外1戦0勝)。重賞10勝(うちGI7勝)。総収得賞金14億5455万1000円。種牡馬としても国内外で数多くのGI馬を送り出している。

 

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