(cache)酔いから覚めたら - しりはた
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酔いから覚めたら

翻訳
08 /18 2018
sobering up
投稿者:ジェーン

 私は教育方針にお仕置きががっちりと組み込まれた家庭に育ちましたが、最も記憶に残っているのは、私が16歳のときにメアリーおばさんの家で受けたお仕置きです。

 おばさんの家は7人の女の子と3人の男の子を育てる大家族でした。ある年の夏、私はカントリーフェアを見に来るように誘われて、その家で数週間を滞在させてもらうことになりました。

 私はフェアの会場でビールが入ったグラスが放置されているのを見つけました。私は一線を踏み越えてそれを飲んでしまいました。私は千鳥足になっていましたし、家に帰る道中、おばさんは私の息がビール臭いことに当然気付いたことでしょう。しかしおばさんはその日の夜は何も言わず、私は悪事がばれなくて済んだと考えてベッドに入りました。
 翌朝、家の人が皆集まった朝食時に、おばさんは爆弾を落としました。おばさんは私に、いまの気分はどう、と質問を投げかけました。そしてその質問には、きっと二日酔いの頭痛に苦しんでいるはずね、という言葉巧みな答えが用意されていたのでした。最初私はすべてを否定していましたが、隣に座っていたスーザンが机の下で私の脚を蹴ったので、私は最終的に罪を認め、昨晩カントリーフェアでしでかしたことを洗いざらい白状しました。

 おばさんは落ち着き払った様子で宣言しました。ビールを飲んだうえ嘘をついてやり過ごそうとした私には罰が与えられる。そしてその罰はいつもの三倍の小枝の鞭になる、そう言うのです。食卓は静まり返っていましたが、私には事態が把握できていませんでした。おばさんの言葉がどういう処置を意味するのかわからなかったからです。

 おばさんは私はお仕置きのあいだ補助してくれる人間をひとり選ぶように告げ、わけもわからないまま私は17歳のスーザンの名をあげました。そのとたんスーザンの顔の血の気が引きました。おばさんは、夜8時に3人で会いましょう、と言いました。

 ふだん我が家で使われていたお仕置きの道具はヘアブラシやベルトだったので、小枝を使った鞭の痛みがどんなものか私は知りませんでした。しかしその日の昼間、家の子供たちに話を聞いて、それが彼らの間できわめて厳しい道具として扱われていることがわかりました。

 時計の針は進み、私の不安はどんどん大きくなって、晩御飯の時には胸が締め付けられるようだったので、食事にはほとんど手を付けることができませんでした。

 午後7時45分ごろ。これから起こることが怖くて庭に面したベランダでしくしく泣いていた私の所に、スーザンがやってきました。スーザンは私をパジャマに着替えさせて、私達二人は午後8時におばさんの部屋に入りました。部屋には小さなソファがあって、腕のところにタオルが敷いてありました。

 スーザンは、いままで小枝1本の鞭で打たれたことしかないので3本を使った鞭がどれだけ痛いか想像もつかないと私に話しました。10分後、おばさんの足音が近づいてきました。私は泣き始め、おばさんが部屋に入ってきた時には脚の震えが止まりませんでした。おばさんが手に握っていたのは、外に生えている木から切ってきたばかりの柳の小枝3本を束にした鞭でした。私はおばさんに、良い子になりますごめんなさい、と嘆願しましたが、効果は全くありませんでした。おばさんは私に、ソファのタオルがかけてあるところに身体を預けるように命じました。

 スーザンはソファーに座り、私の手を握りました。おばさんは私のパジャマのズボンを下ろして脱がせてしまったので、裸のお尻が空中に突き出されることになりました。おばさんは18発を与えると宣言しました。

 スーザンが小さく叫び声をあげ、多すぎます、と言いました。おばさんに「減らした分はお前が受けることになるけれどいいですか」と問われると、彼女はすぐに口を閉じました。

 おばさんは鞭を空振りして、そのひどいうなり音に私は震えあがりました。お尻に鞭が置かれるのを感じ、それから鞭がうなって、「ビシュッ」と音をたててお尻に当たりました。

 お尻が鞭のインパクトを認識するまで1秒ほど。私はわめき声をあげました。お尻全体に沸騰したお湯を勢いよく注がれたみたいでした。私は両足を大きくばたつかせ、目にはみるみる涙がたまり、スーザンは私が痛みでお尻をさすらないように両手を固定するのに苦労しているようでした。スーザンは私の手首を固く握りしめて、大声で「ひとつ」と叫びました。

 続いての5発で、私は大声をあげて泣きわめく状態に追い込まれました。1発1発をお尻に感じるたびに呼吸ができなくなりました。胃は締め付けられるようで、死ぬと思いましたが、おばさんは1分に1発のペースを崩さずにお仕置きを続けました。

 続く数発に至り私はもはや数を数えられませんでした。1発ごとにお尻が爆発しているような感覚だったからです。泣き叫ぶ私の口からはよだれが垂れて、それでなぜタオルがソファの腕を守るようにかけられていたのかわかりました。15発目はふとももとお尻の境目に当たりました。両脚はまっすぐ後ろに勢いよく突き出され、それから私は腰のあたりに温かい感触を覚えました。私は失禁していました。

 「少しは身に沁みたかしらね」と最後の3発を息もつかせぬペースで与えながらおばさんは言いました。私は叫び声を上げ、空気を求めてあえぎました。おばさんは私の燃え上がるように真赤なお尻の状態を手で確かめると、スーザンに私を部屋に連れて行くように言いました。

 握っていた手をスーザンが離してくれたので、私は起き上がりダンスするみたいに足踏みして、お尻を撫でさすりました。廊下を通り寝室に戻るときも、パジャマのズボンを履くことすら忘れていました。

 鏡でお尻を確かめると、真っ赤な色をした縞模様がお尻全面に刻まれていました。ベッドにうつ伏せに横たわった私のお尻を、スーザンは日焼け用の軟膏を塗り込んでくれました。おばさんに呼ばれたスーザンはすぐに部屋を出てドアを閉めました。それから数時間泣いていたでしょうか。その後私は眠りにつきました。

 翌朝目覚めたときも、お尻はまだひりひりと痛みました。鏡でみてみると、濃いピンク色で判別できるものの、縞状の痕はだいぶ薄れていました。数本の蚯蚓腫れはまだくっきりと残っていました。シャワーを浴びると、お尻は本物の火にあぶられたみたいに痛みました。私は慎重に服を着ると朝食を取りに食卓に向かいました。

 食卓の椅子の座面は堅く、腰を下ろした私は身じろぎしましたが、その場にいた皆は私の苦痛に気付いていたであろうにもかかわらず、何も言いませんでした。朝食が始まり、少ししておばさんが、私の身に生じたことはほかの誰にでもおこりうることで、お酒を飲んでいるところを見つかった子は数を倍にしてお仕置きされることになると言いました。おばさんはそれだけ言っておけば十分だったでしょう。その家の子供たちは成人するまで絶対にお酒は飲まなかったと私は確信しています。
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