(cache)我が家のお仕置き - しりはた
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我が家のお仕置き

翻訳
08 /18 2018
Family Routine
投稿者:エリカ

 以前ご紹介したのは、ふさわしくない言葉づかいをした私の口を母が石鹸で洗い流した方法でした。今回は、私も含めた家の子供達がお尻を叩かれる罰を受けるときの様子についてお話したいと思います。罰の段取りは私達が幼いころから18歳か19歳になって家を出るまで一貫して変わりませんでした。
 私にはふたりの男兄弟とひとりの女兄弟がいて、家のルールは私達にはっきりと提示されていました。割り当てられた家の手伝いを忘れないこと、門限を破らないこと、そして大事なこととして学校の成績を良い状態に保っておくこと。親に多かれ少なかれ無礼な態度を取ったときや、校則に違反したときには、いずれの場合も厳しい罰が待っていました。
 両親はそうした違反の数々を、家族の問題として捉えていました。違反した子供は家族全員に失礼な行為をしたと考えていたのです。そのため、罰は家族全員がかかわる形で執行されました。そうすることで、家のルールは必ず守られるべきものであると皆が再確認できるのみならず、罰を受ける子供に恥ずかしい思いをさせる効果も生まれたのでした。
 家のルールを破った子がいると、その子にはまず罰が宣告されました。両親は頭に血が上った状態でお仕置きすることは決してありませんでした。お仕置きはよくよく計画されて行われるべきものだったのです。お仕置きの時間は、夕食が終わり台所の片づけが終わった午後8時と定められていました。もしある晩に誰かがお仕置きされることが決まっていれば、夕食の席で発表があり、その後家族全員がリビングに集まり一部始終を見届けることになりました。
私の考えでは、お仕置きで最悪なのは待機時間でした。
 父がお仕置きをしないというわけではありませんでしたが、ほとんどの場合、お尻を叩くのは母の役目でした。私達を膝に乗せてヘアブラシか木べらでお尻を叩くのが母のお気に入りのやり方でした。一方、父は椅子の背に上体を預けた私達のお尻にベルトを使いました。道具に多少の変化はありましたが、ほかはいつも同じ段取りでした。まず台所の椅子がリビングに運び込まれ、お尻を叩く道具が椅子の座面に置かれました。お仕置きを受ける子供(達)は椅子の前に立って、たいていはその道具を見つめ、両親が来るのを待ちました。
 その間、ほかの家族はソファか椅子に座りお仕置きを待ちました。待機時間は恐怖と絶望を感じる時間で、長さは少なくとも15分、もし私達全員が罰を受けるときは1時間にも及びました。同居しているおばは常にリビングの特等席に陣取り罰を待つ私達を非難する言葉を浴びせかけてきたので、待機時間はさらに耐えがたいものとなりました。
 そしてようやく、父か母がリビングに姿を現します。母の場合は、椅子に座り今回の罰の理由を述べて、罰を受ける子供(達)に準備を促しました。ここで子供達は腰から下は裸になりました。私達は成長すればするほど、裸になるこの段階で耐えがたい恥ずかしさを感じるようになり、隠しておくべきものを隠すため、皆が手で前を覆って待ちました。
 母に名前を呼ばれた子供は、膝の上におずおずと上半身を乗せました。母は私達のお尻をヘアブラシか木べらで撫でるようにして、その時にはすでに罰を受ける子供のすすり泣きが始まっていました。そしてお尻叩きが始まりました。
 強く間隔の短い叩き方で、お尻の全面をカバーするようにお仕置きははじまります。私達はすぐにもがきはじめ、両脚を空中で全力でばたつかせました。リビングは私達の泣き声で満たされました。
 母は叩く数を決めておらず、私達が泣き喚いて赤ん坊のように口からよだれを垂らしお尻が深い紅色に染まるまで、まるで永遠に終わらないかのようにお仕置きを続けました。もしも子供達がお尻をかばうために手を後ろに出したとしたら、母はただ手を止めて待ち、数分後にはいままでよりも力のこもった終わらないお尻叩きがはじまることになりました。ですから、子供達はなんとしてでも努力して、お尻をかばわないように我慢する必要がありました。
 お尻を叩き終えると、母は私達を膝から下ろして目の前に立たせました。私達はその場にとどまったまま、駆け足するみたいに足踏みして、痛いお尻をさすりました。恥ずかしいところを皆に見えてしまっていても、構ってはいられませんでした。母は私達の腕をつかんで暖炉まで引っ張っていき、そこで立たせました。続けてほかの子供がお仕置きが行われる時もそこで待たされました。たいてい暖炉の前のお立たせは1時間ほど続き、その時間で私達は痛みを和らげるためにお尻をさすり、涙を乾かしました。
 全員のお仕置きが終わると、私達は自分が脱いだ服を拾い集めさせられて、それから自分の部屋に連れていかれて朝まで外に出ないように命じられました。
 私は、大学に通うために家を出るまで、平均して1カ月に一回のペースでこのお仕置きを受けていました。記憶している限り、子供達のうち誰かがお仕置きを受けることなく一週間が過ぎることはなかったと思います。
 お仕置きの後、お尻は数日間ひどく痛みました。それでも、怒りにまかせてお仕置きされたと私が感じたことはありませんでしたし、大事なのは、当時私はお仕置きは完全に自分が悪いことをした結果であると納得して受けていたことです。罰はもっとも苦痛を伴う経験になるように考え抜かれ実行されていましたが、その甲斐あって私達は責任を学び、より良い人間に成長することができたのです。
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