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屋根に登る

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07 /23 2018
屋根に登る
Up On The Roof
投稿者:シェリル

 両親は最高の人達でした。姉妹たちと私を機微を持った愛情で育て上げてくれました。私達子供は素晴らしい思い出を紡ぎ、成人してからも成功した人生を送りました。いまからお話するのは私が11歳の頃の経験です。季節は夏。友達のサラが、私とママが滞在しているコテージに一週間泊まることになりました。その年の夏、ママと私はそのコテージにだいたい滞在し、パパは平日の仕事が終わると週末にやってくるのでした。
 コテージに滞在しているあいだ、私たちは3つのルールを守らなければなりませんでした。① 許可なく泳いではいけません。② 許可なく敷地を出てはいけません。③ 屋根に上ってはいけません。③番目については、説明が必要でしょう。母屋につながる車庫の屋根は簡単に登れる傾斜がついていて、登るのに使える古いテレビアンテナがあったのです。

 ママは私のふたりの姉妹たちを連れて買い物に出かけ、私とサラは泳がないように、問題を起こさないように約束させられたうえで、留守番することになりました。もちろん私たちは良い子にしているとママに誓い、車が町に向けて走り去っていくのを見送りました。

 30分が我慢の限界でした。屋根に上って景色を見たいよね、そんなことを二人とも口では言っていましたが、結局親の言いつけを破るハラハラ感を楽しみたい一心だったのです。もし見つかったら大変なことになる、もちろん私はサラにはそう言いましたけれど、無敵の11歳の少女たちにブレーキをかけるものなどありませんでした。

 それでわたしたちは屋根の上に登り、不服従のスリルと、もちろん眺望も楽しんだのでした。しばらく屋根にいたあとで、ママが帰ってくる前に私たちは屋根から降りることにしました。してやったりでした。とにかくその時はそういう気持ちだったのです。

 帰宅したママは普段と変わったところは一切ないように見えました。ママに呼ばれた私達は一緒に食料品などを袋から出すお手伝いをしました。そのあいだママはひとことも言葉を発しませんでした。

 それから約30分ほどして、泳いでいた私達ふたりをママは呼びつけると、ビーチに面していない大きな寝室で何かママに言うことはないかと尋ねてきました。もちろん私たちは「何も」と返事をしました。

 ママは私の顔をまじまじと見つめ、ママが出かけていたあいだに何か悪さをしていないか聞いてきました。「何言ってるのママ、何もしてないよ。泳いでないし何もしてない」私はそう答えました。それからママはサラにも同じ質問をして、サラも私と同じように完璧に嘘をつきました。

 これで話は終わるはずだったのですが、そうは問屋がおろしませんでした。ママは私のほうに顔を向け、言いました。私のライフが0になる言葉を。

 「そう。じゃあ、ママがお出かけしていたときにうちの屋根に登っていた金髪の女の子二人はいったいどこの子だったんでしょうね。ダルリンプルさんの奥さんが、子供が2人屋根に登っているところを見たとママに教えて下さったのよ」

 お隣さんをこれほど憎んだことはありませんでした。死刑宣告を出されたようなものです。私達は顔を見合わせました。そのときサラはもう白状するかのように目に涙を浮かべていたのを覚えています。サラにも殺意が湧きましたが、もう嘘をついてもしょうがないと私は腹をくくりました。私達は捕まったのです。

 ママは私達がしでかしたことの危険性と私達への落胆の大きさをこれでもかと言い募るいつものお説教をはじめました。そして衝撃の一言。 「私の言うことは聞かない、嘘はつく。これからママが悪いおしりをふたつとも温めてあげます。あなたたち二人には反省が必要ですからね。」 数分で戻ると言ってママは私達を部屋に残して出て行きました。

 ママが部屋を出ると私達はこれから起こることについて言葉を交わしました。私がサラに言いました。ママはやたらめったらお尻を叩くような人ではないけれど(私がお尻を前回叩かれた時からはずいぶんと時間が経っていました)、叩くとなったら手加減しないよ。二人とも恐怖していました。サラが言うには、家でお尻を時々叩かれることはまだあるけれど、両親以外の人からお尻を叩かれた経験はないとのことでした。ですから、彼女は私よりも恐怖を感じていたと思います。ママはすぐに戻ってきて、部屋のドアを閉め窓のカーテンを引き下げました。ママの手には、我が家のお仕置きでいつも使われる木のスプーンが握られていました。

 案の定、お願い攻撃がはじまりました。私たちは許しを乞い願い反省の弁を述べたてましたが、ママは黙って腰を落ち着けると、座っている自分の両側に来るように私達に声をかけました。そうしてママは、罰を与えることになってしまって残念だけれどこれはあなたたちの成長に必要なお薬ですからね、と言いました。

 ママはサラに、先にお尻を叩かれるのはサラと私のどちらが良いか尋ねました。サラはおいおい泣きながら、私を先にするように言いました。「ご立派」とだけママは言って、サラを5フィート[約1.5m]ほど離れたところに立たせました。ママは私に視線を向けました。そのときママがしっかりと目を合わせてきたのをいまでも覚えています。準備はOKか尋ねられた私は泣きながらも、「はい」と答えるしかありませんでした。

 ママは座ったまま腕を上げると、私の水着の肩紐を手に取りすべらせて腰まで下ろしました。私も水着をつかみ、サラの前で脱がさないでと頼み込みましたが、ママはそのまま動かず、手を背中に回すように言いました。ついに折れた私が言われたとおりにすると、ママは水着を足首までひと思いに脱がしてしまい、水着から足を抜くように言いつけました。

 気が狂いそうでした。 11歳にもなって、これからお尻を叩かれることが決定しているだけでなく、友人の目の前で素裸にされるだなんて。細かいことは覚えていませんが、すぐに私の視界には床があらわれ、上を向いたお尻の片方のほっぺに、大きなスプーンの一撃が襲ってきたのでした。私は熱に浮かされたように声をあげ続けましたが身体を動かすことはできず、ママはお尻の全面、そして椅子に座る時に接するふとももの上のほう、を12発かそれくらいの数ひっぱたきました。お仕置きはいつまでも続くかに思えましたが、ついに終わりました。このお仕置きは私が受けたものの中で最悪のものでした。

 それからお仕置きの順番が来たサラも、ママに水着を引きずりおろされて私と同じ素裸の状態にされました。泣きわめきながら膝の上に乗せられる一部始終を私はずっと見ていました。サラも私と同じ数だけ叩かれて、そうしてお仕置きは終わりました。ママは自分が戻ってくるまでベッドに座っていなさいと言い残し部屋を出て行きました。それは人生でもっとも恥ずかしい10分間でした。サラも私も泣き顔のままで、お互いの身体を見ない訳にもいかず、穴があったら入りたい心地で、恥ずかしい場所を隠そうと丸裸の無駄なあがきを続けていたのでした。これは不思議な感覚で、自分たちの意思でシャワールームだとか普通の部屋といった場所で相手の裸を見たり自分の裸を見られたりするときよりも、お尻叩きの罰のために服を脱がされたときのほうが、どういうわけか断然恥ずかしい気持ちになるのでした。

 ママはようやく部屋に戻ってきて反省したかどうか尋ねてきたので、もう絶対に嘘はつかないし言いつけは守ると私たちは矢継ぎ早に口を開きました。ママは本心かしらとでも言いたげな顔つきで私達を見てから、水着を着直して外に出て泳ぎに行くように言いました。私たちが水着姿に戻るのに10秒フラット。一直線にビーチへと向かいました。私たちはふたりとも水着のお尻の少し下に赤いスプーン痕をつけていて、それを見つけた姉妹たちにしばらくからかわれました。

 ママはパパにも、サラの両親にもこの出来事を伝えなかったし、一度も言及することはありませんでした。11歳半の女の子ふたりが受けたお仕置きを私はいまに至るまで片時も忘れず教訓にしてきましたし、実際それからというもの私は両親にうそをついたことがありません。

 週の残りの日々を、とても良い子になったサラと私は、一緒に素晴らしい時を過ごしました。サラはコテージにまた遊びに来たいと言ってくれて、実際それからも彼女は何回も遊びに来たのでした。

 いまや子供がいる身として当時をふりかえってみると、生意気盛りな自分の娘と同じくらい生意気盛りな娘の友達のふたりを適切に取り扱ったママの才能には感嘆するしかありません。
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