妹が受けた最悪のお尻叩き
翻訳 妹が受けた最悪のお尻叩き
my_sisters_sorest_bottom
投稿者:ニック
1954年当時、12歳の私は、母と11歳の妹と一緒にリバプールに住んでいました。父は大戦の最後の週に戦死していました。乗っていた飛行機を撃墜され、捕虜にならないよう逃げ回っているところを殺されたのです。私達三人の生活は日増しに苦しくなっていきました。母は幼い頃にかかった病気のせいで体調を崩しがちだったからです。
my_sisters_sorest_bottom
投稿者:ニック
1954年当時、12歳の私は、母と11歳の妹と一緒にリバプールに住んでいました。父は大戦の最後の週に戦死していました。乗っていた飛行機を撃墜され、捕虜にならないよう逃げ回っているところを殺されたのです。私達三人の生活は日増しに苦しくなっていきました。母は幼い頃にかかった病気のせいで体調を崩しがちだったからです。
ついに、母が私と妹の面倒を見ることは不可能になってしまいました。悲しみにくれながら、自分が下した決断が意味するところをすべて把握できない中で、母はオーストラリアで子供たちが新しい人生を送る書面にサインしたのでした。当時は貧しい家の子供たちや孤児たちを対象とした大規模な移民が行われていたのです。
私達はリバプールにある養護施設に連れていかれました。ほぼ二カ月はかかるオーストラリアへの旅路の準備をするためです。準備の一環として、妹は扁桃腺を切除され、私は歯を三本抜かれました。移住船に医療設備は用意されていなかったからです。
養護施設で過ごした二週間は、ざっくり言って最低でした。身の回りの世話をしてくれるスタッフ達、正式な名称で言えば「管理者」達は厳格で、女校長の指導の元で、男子女子の区別なく私達子供にしばしば容赦ない折檻を加えました。
その中で、今でも覚えているスタッフが一人います。彼女はオールドミスで、年齢は50歳くらいに見えました。身長は少なくとも6フィート[約182cm]はあったように思います。養護施設で過ごす二週目がはじまる日のこと、妹がトラブルに巻き込まれました。ほかの二人の子供たちと一緒に寮の屋根に上ったのです。絶対に登ってはいけないという規則は、子供たち全員に伝えられていたことでした。女校長は、妹を含む子供たち三人を、大広間に呼びつけました。私も来るようにと命じられました。
私が大広間に着いた時、妹、妹と同じくらいの年頃の女の子、そして彼女たちよりも幼い男の子の三人が、女校長から尽きるとも果てないお説教を女校長から受けていました。広間の中央には椅子が置かれ、その椅子には私達が「デカブツ」とあだ名していたあの巨大な女が座っていて、彼女は木製の持ち手がついた1フィート[約30cm]はあろうかという分厚い革のストラップを携えていました。部屋の隅には一番上のシートが革で覆われている木製の跳び箱が置いてありました。跳び箱の下二段は取り外されて3フィート[約0.9m]の高さに調整されていました。
お説教はついに終わり、妹たちにひとりずつ罰の中身が宣告されました。妹ともう一人の女の子はデカブツから革のストラップをそれぞれ8発、男の子は女校長から12発を受けることになりました。
罰が発表されると妹たちは息を呑み、まともに呼吸もできないようでした。妹がお仕置きされる光景をこれまで私は一度も見たことがありませんでした。妹は母に何回か厳しくお尻を叩かれたことはありましたが、いまから妹が受けることになった罰はそれとは似ても似つかないものになるのは確実でした。
女校長は男の子に跳び箱まで行ってズボンとパンツを脱ぐように言いつけました。次に彼女は、跳び箱に上半身をあずけて、シートの反対側の出っ張りをつかむように命じました。男の子は言われたとおりにするしかありませんでした。
男の子が言われた姿勢をとると、女校長はデカブツのところに歩いていきストラップを手に取りました。そして、罰のあいだにもし身体を動かしたら最初からやり直すと宣言しました。早くも鼻をすすって泣き始めている男の子のところに戻った女校長は怒号をあげました。「めそめそ泣くのはやめなさい!これからはじめるのですよ」
その言葉が終わるやいなや、一発目のストラップの音が部屋中に響き渡りました。男の子は部屋中の空気を吸い込んでしまいそうなくらい深く息を吸い込むと、途方もない大声で叫び声をあげました。男の子がそうして叫び声をあげたのと同時に、二発目が彼のむきだしのお尻に命中しました。お仕置きは三発、四発と続き…
「12!」女校長がついに宣言しました。男の子はもはや悲鳴をあげることすらできず、上体を跳び箱にあずけたままでむせび泣いていました。息を深く吸っては吐いてを繰り返していましたが、そうして呼吸すること自体が彼に苦痛をもたらしているようでした。男の子のお尻は、1インチ[約2.54センチ]位の太さがある虹色をしたみみず腫れの重なりがお端から端まで横切っている状態で、炎が赤々と燃え上がっているようでした。
女校長に命じられるまま男の子は跳び箱から降りました。男の子は肩を落とし深くうなだれていました。彼が感じる苦痛は時間が経つにつれ増していくようでした。それから男の子は、壁のところまで行って部屋に背を向けて立っているように言いつけられ、気力を振り絞ってその通りに身体を動かしました。
私達のお仕置きをデカブツに命じて、女校長は広間を出ていきました。デカブツが椅子から立ち上がると、妹は恐怖のあまり失禁しました。二人とも恐ろしさに泣くことすら忘れているようでした。跳び箱のところまで移動するよう命じられた女の子二人は、そこで言いつけどおりにドレスとショーツを脱いで、キャミソールだけを身に着けた状態になりました。それから二人は言われるまま、跳び箱の側面の両側から、それぞれ上体をあずける姿勢をとりました。
デカブツはストラップをしっかりと握り、頭の上まで振りかぶりました。またしても大広間に幼いおしりの肉をひっぱたく強烈な打擲音が響き渡りました。突き刺さるような痛みをお尻に感じた女の子は、金切声を上げ両脚をばたつかせました。
デカブツは跳び箱をぐるりと回り妹のところまでやってきました。私の位置からは妹の顔は見えません。デカブツがストラップをまたしても高く掲げると、妹はお尻の肉をこわばらせ、そのお尻のど真ん中にストラップが叩きつけられました。搾り出すように息を吐いた妹はむせび泣きをはじめました。この罰は、昔母から受けていたお仕置きとは似ても似つかないものになると悟ったのでしょう。
デカブツが二発目を向かいの女の子にお見舞いするために移動したので、妹のお尻に幅広の真赤なみみずばれが浮かび上がっているのが見えました。まるで誰かがお尻にぱっきりと線を引いたみたいでした。
デカブツは跳び箱の周りをぐるぐると回り続け、正確に位置を捉えた力のこもった一発一発を最後まで女の子二人のお尻に打ち込み続けました。8発目を受けるときには、二人ともなりふりかまわず泣きわめいていました。妹のお尻は、赤色や青色をした凸状に盛り上がったみみず腫れで覆われていました。
女の子ふたりは跳び箱から起き上がるように命じられ、ドレスを着るよう指示されましたが、ショーツを履き直すことは許されませんでした。デカブツはふたりを男の子の所に連れて行きました。男の子はすすり泣きながら、色とりどりの痕に覆われた裸のお尻を晒して壁に向かって立っていました。ふたりは男の子の両脇に壁に向かって立たされたあと、ドレスのすそを持ちあげ腰のベルトにたくしこみ、お尻をさらけ出すように命じられました。
デカブツは向き直り私に言いつけました。 「お前は三人組の横で、動かないように見張っていなさい」 その時ちょうど扉が開き、女校長が養護施設の子供たち全員を引き連れて入ってきました。
子供たちは全員、罰を受けた三人の後ろまで歩いていき、ルールを破った生徒の顛末をよく見ておくよう命令されました。三人はそれから二時間近く立たされ続けたあと、やっと寮に戻ることを許されました。
私は妹の様子を見に行きました。妹はバスルームの洗面台に座ってお尻を冷やそうとしていました。彼女は飛び降りると、私にお尻を見せてくれました。
「触ってみて、洗濯板みたいだよ」 触ってみると確かに妹の言うとおりでした。妹はへこたれていない様子でしたが、もう屋根に上るような真似はしないだろうことは確実でした。
私達はリバプールにある養護施設に連れていかれました。ほぼ二カ月はかかるオーストラリアへの旅路の準備をするためです。準備の一環として、妹は扁桃腺を切除され、私は歯を三本抜かれました。移住船に医療設備は用意されていなかったからです。
養護施設で過ごした二週間は、ざっくり言って最低でした。身の回りの世話をしてくれるスタッフ達、正式な名称で言えば「管理者」達は厳格で、女校長の指導の元で、男子女子の区別なく私達子供にしばしば容赦ない折檻を加えました。
その中で、今でも覚えているスタッフが一人います。彼女はオールドミスで、年齢は50歳くらいに見えました。身長は少なくとも6フィート[約182cm]はあったように思います。養護施設で過ごす二週目がはじまる日のこと、妹がトラブルに巻き込まれました。ほかの二人の子供たちと一緒に寮の屋根に上ったのです。絶対に登ってはいけないという規則は、子供たち全員に伝えられていたことでした。女校長は、妹を含む子供たち三人を、大広間に呼びつけました。私も来るようにと命じられました。
私が大広間に着いた時、妹、妹と同じくらいの年頃の女の子、そして彼女たちよりも幼い男の子の三人が、女校長から尽きるとも果てないお説教を女校長から受けていました。広間の中央には椅子が置かれ、その椅子には私達が「デカブツ」とあだ名していたあの巨大な女が座っていて、彼女は木製の持ち手がついた1フィート[約30cm]はあろうかという分厚い革のストラップを携えていました。部屋の隅には一番上のシートが革で覆われている木製の跳び箱が置いてありました。跳び箱の下二段は取り外されて3フィート[約0.9m]の高さに調整されていました。
お説教はついに終わり、妹たちにひとりずつ罰の中身が宣告されました。妹ともう一人の女の子はデカブツから革のストラップをそれぞれ8発、男の子は女校長から12発を受けることになりました。
罰が発表されると妹たちは息を呑み、まともに呼吸もできないようでした。妹がお仕置きされる光景をこれまで私は一度も見たことがありませんでした。妹は母に何回か厳しくお尻を叩かれたことはありましたが、いまから妹が受けることになった罰はそれとは似ても似つかないものになるのは確実でした。
女校長は男の子に跳び箱まで行ってズボンとパンツを脱ぐように言いつけました。次に彼女は、跳び箱に上半身をあずけて、シートの反対側の出っ張りをつかむように命じました。男の子は言われたとおりにするしかありませんでした。
男の子が言われた姿勢をとると、女校長はデカブツのところに歩いていきストラップを手に取りました。そして、罰のあいだにもし身体を動かしたら最初からやり直すと宣言しました。早くも鼻をすすって泣き始めている男の子のところに戻った女校長は怒号をあげました。「めそめそ泣くのはやめなさい!これからはじめるのですよ」
その言葉が終わるやいなや、一発目のストラップの音が部屋中に響き渡りました。男の子は部屋中の空気を吸い込んでしまいそうなくらい深く息を吸い込むと、途方もない大声で叫び声をあげました。男の子がそうして叫び声をあげたのと同時に、二発目が彼のむきだしのお尻に命中しました。お仕置きは三発、四発と続き…
「12!」女校長がついに宣言しました。男の子はもはや悲鳴をあげることすらできず、上体を跳び箱にあずけたままでむせび泣いていました。息を深く吸っては吐いてを繰り返していましたが、そうして呼吸すること自体が彼に苦痛をもたらしているようでした。男の子のお尻は、1インチ[約2.54センチ]位の太さがある虹色をしたみみず腫れの重なりがお端から端まで横切っている状態で、炎が赤々と燃え上がっているようでした。
女校長に命じられるまま男の子は跳び箱から降りました。男の子は肩を落とし深くうなだれていました。彼が感じる苦痛は時間が経つにつれ増していくようでした。それから男の子は、壁のところまで行って部屋に背を向けて立っているように言いつけられ、気力を振り絞ってその通りに身体を動かしました。
私達のお仕置きをデカブツに命じて、女校長は広間を出ていきました。デカブツが椅子から立ち上がると、妹は恐怖のあまり失禁しました。二人とも恐ろしさに泣くことすら忘れているようでした。跳び箱のところまで移動するよう命じられた女の子二人は、そこで言いつけどおりにドレスとショーツを脱いで、キャミソールだけを身に着けた状態になりました。それから二人は言われるまま、跳び箱の側面の両側から、それぞれ上体をあずける姿勢をとりました。
デカブツはストラップをしっかりと握り、頭の上まで振りかぶりました。またしても大広間に幼いおしりの肉をひっぱたく強烈な打擲音が響き渡りました。突き刺さるような痛みをお尻に感じた女の子は、金切声を上げ両脚をばたつかせました。
デカブツは跳び箱をぐるりと回り妹のところまでやってきました。私の位置からは妹の顔は見えません。デカブツがストラップをまたしても高く掲げると、妹はお尻の肉をこわばらせ、そのお尻のど真ん中にストラップが叩きつけられました。搾り出すように息を吐いた妹はむせび泣きをはじめました。この罰は、昔母から受けていたお仕置きとは似ても似つかないものになると悟ったのでしょう。
デカブツが二発目を向かいの女の子にお見舞いするために移動したので、妹のお尻に幅広の真赤なみみずばれが浮かび上がっているのが見えました。まるで誰かがお尻にぱっきりと線を引いたみたいでした。
デカブツは跳び箱の周りをぐるぐると回り続け、正確に位置を捉えた力のこもった一発一発を最後まで女の子二人のお尻に打ち込み続けました。8発目を受けるときには、二人ともなりふりかまわず泣きわめいていました。妹のお尻は、赤色や青色をした凸状に盛り上がったみみず腫れで覆われていました。
女の子ふたりは跳び箱から起き上がるように命じられ、ドレスを着るよう指示されましたが、ショーツを履き直すことは許されませんでした。デカブツはふたりを男の子の所に連れて行きました。男の子はすすり泣きながら、色とりどりの痕に覆われた裸のお尻を晒して壁に向かって立っていました。ふたりは男の子の両脇に壁に向かって立たされたあと、ドレスのすそを持ちあげ腰のベルトにたくしこみ、お尻をさらけ出すように命じられました。
デカブツは向き直り私に言いつけました。 「お前は三人組の横で、動かないように見張っていなさい」 その時ちょうど扉が開き、女校長が養護施設の子供たち全員を引き連れて入ってきました。
子供たちは全員、罰を受けた三人の後ろまで歩いていき、ルールを破った生徒の顛末をよく見ておくよう命令されました。三人はそれから二時間近く立たされ続けたあと、やっと寮に戻ることを許されました。
私は妹の様子を見に行きました。妹はバスルームの洗面台に座ってお尻を冷やそうとしていました。彼女は飛び降りると、私にお尻を見せてくれました。
「触ってみて、洗濯板みたいだよ」 触ってみると確かに妹の言うとおりでした。妹はへこたれていない様子でしたが、もう屋根に上るような真似はしないだろうことは確実でした。
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