家のプールとお仕置き
翻訳 Spanked By The Pool
家のプールとお仕置き
投稿者:匿名
私は子供の頃ずいぶんとお尻を叩かれて育ちましたが、お尻叩きのお仕置きが本格的に始まったと言えるのは私が11歳の時、パパと一つ屋根の下で住むようになってからでした。同居をはじめてまもなく、父親との関係はお尻叩き抜きにはありえないと私に確信させる象徴的な出来事が起こったのでした。
家のプールとお仕置き
投稿者:匿名
私は子供の頃ずいぶんとお尻を叩かれて育ちましたが、お尻叩きのお仕置きが本格的に始まったと言えるのは私が11歳の時、パパと一つ屋根の下で住むようになってからでした。同居をはじめてまもなく、父親との関係はお尻叩き抜きにはありえないと私に確信させる象徴的な出来事が起こったのでした。
当時私は12歳で、従姉妹は16歳でした。私は従姉妹の家に遊びに行って、ふたりで裏庭のプールでだらだらと時を過ごしていました。父親たちは家の中でサッカー中継を見ていました。私たちは騒々しく素っ頓狂なこえをだしてふざけあっていたので、何度も家の中から叔父さんが出てきては、静かにするようにと注意を繰り返しました。私たちは聞く耳持たずでした。
私たちの馬鹿騒ぎは隣近所の人達の迷惑になっていました。彼らはドアベルを鳴らし、叔父さんに私達を静かにさせろと文句を言ってきたのです。私たちはそんなことはつゆ知らず、水をあたりにはね散らかすのに熱中していました。いきなり現れた叔父さんに私達はプールからつまみだされ、恥をかかされたと怒り心頭のお説教がはじまりました。パパも出てきて、私を大声で叱り始めました。従姉妹は大きな声で叔父さんに反抗を始め……一線を超える言葉を口にした彼女の腕を叔父さんはひっつかんで、テラスチェアまでひきずっていきました。私もパパに同じようにひきずられていきました。
当時、私も従姉妹も普段からかなりの頻度でお尻をぶたれていましたし、私は従姉妹の家でお尻を叩かれた経験すらありました。しかし、二人同時に父親たちにお尻を叩かれるのははじめてのことでした。
普通にお尻を叩かれるだけでも参るものですが、濡れた水着の上から叩かれた場合は格別の痛みが伴います。ぴったりと貼りつく素材の生地でお尻を覆われた状態で叩かれると、普通の状態のお尻を叩かれるのに比べて痛みが増すのです。
というわけですぐに裏庭は、お尻をひっぱたかれる私たちの叫び声で満たされることになりました。私はもがき、足を蹴り上げ、身体をくねらせました。お尻叩きがある程度続くと私はいつもこんな状態になりました。膝の上で顔をあげた私の目に、叔父さんが従姉妹のビキニの下のひもを解いて地面に放り投げている光景が飛び込んできました。いまや従姉妹はほとんど裸で、叔父さんの大きな手が彼女の真っ白なお尻を鮮やかな赤色で染めていくのがわかりました。
パパに動かないように言われても私はもがくのをやめられませんでした。立ち上がったパパは私の腕をつかんで、家の中へと私をひっぱっていきました。パパはソファに座って手を伸ばし私を膝の上に乗せようとしましたが、何かに気づき目線を落としました。パパが着ているシャツとデニムは、私の水着のせいですっかり濡れてしまっていました。パパは何かぶつくさ言うと、手を伸ばし……私は水着の肩ひもをはずされて、バナナの皮をむくみたいに足首まで水着を下ろされてしまったのでした。私ははじかれたようにあそこを隠しました。私は発育が遅いほうで、そのころ身体の変化はまだはじまったばかりでした。胸はわずかにふくらんでいるだけで、そこにちょっと腫れものができたみたいな乳首が乗っかっていて、下の毛にしても割れ目のはじまるところに無いよりはまし程度に薄く生えているにすぎませんでした。変化がはじまった身体を見られたのはこれがはじめてのことで、いままで経験したことがないくらいひどく自尊心を傷つけられました。ほんの一瞬でしたけれど、それはパパに私のなにもかもを見られてしまうには十分すぎる時間でした。
パパは手際よく私を膝の上に乗せると、お尻叩きを再開しました。お尻をしっかり温めた後は、ターゲットをお尻のすぐ下の太ももに定めて、一定の間隔で叩き続けました。お尻を叩きながらパパは、もう小さい子でもないだろうに恥を知りなさい、と言いました。そのあいだずっと、従姉妹が中庭でお尻をひっぱたかれている物音が聞こえていました。
私は大混乱に陥り、泣きわめき、ごめんなさいを言い、許しを乞い続け、パパがやめてくれることを願いました。そしてパパはとうとう手を止めましたが、それは叔父さんに首根っこをつかまれた従姉妹が家の中に引っ張られて入ってきたからでした。今の従姉妹は水着のトップも取り上げられて、私と同じく一糸まとわぬ状態でした。従姉妹は私よりも年上でしたから身体つきのラインもそれ相応で、ゆさゆさと揺れる乳房のほかに、印象に残ったのは下の毛が深い茂みになっていることでした。従姉妹が後で教えてくれたところによると、その日は新しいビキニ(この騒ぎのあと捨てられてしまいました)に合わせて彼女は下の毛を処理していたそうなのですが、とにかく目に入ってきた光景に自分の心が吸い寄せられていたのは記憶に残っているのです。私たちは涙のたまった目でお互いに見つめあいました。叔父さんはパパに「躾け直しは済んだかい?」みたいなことを言いました。それから叔父さんは従姉妹を追いたてるようにして、彼女の部屋に連れて行ってしまいました。
私はそれからあともお尻をしばらく叩かれ続け、しまいに泣きすぎて窒息したようになり、呼吸困難な状態に陥りました。パパはようやく手を止めると膝の上で私を泣くがままにして待っていました。5分くらい経ってパパは私を立ち上がらせると、壁際まで連れて行き部屋の隅に向かって立たせました。すこしは乾きかけていましたが、私の身体と髪の毛はまだまだ濡れた状態でした。数分後パパはタオルを手に戻ってきて髪の毛と背中を荒っぽく拭くと、私に正面を向かせて身体のおなか側を拭きました。その時は疲れすぎて抵抗もできませんでしたが、あとになって考えると、そんな状態でも無抵抗になってしまうほど感情が死ぬような目にあわされていたのだと思います。パパは乾き具合に満足すると、私の両手を取り頭の上に持っていかせて、また身体の向きを変えて壁に向かって立たせました。そして私のお尻に強烈な一発をお見舞いすると、動かないようにと言いました。
少しして、従姉妹が叔父さんに連れられて戻ってきて、私の隣に立たされました。私と同じように、手は頭の上において身体は動かさないようにと指示が飛びました。動くなと言われていても好奇心には勝てず、私は隣の従姉妹の真赤な模様がついたお尻と太ももに視線を向けました。私のお尻も翌日は同じような状態になっていたのをよく覚えています。しかしその日私が心に刻んだのは、自分のお尻が従姉妹のお尻と比べて貧相な形をしているという事実でした。
パパと叔父さんはサッカー観戦に戻りビールを飲みはじめました。パパたちはちょくちょく後ろを振り返って行儀の悪い娘たちについてあれこれ論評し、キッチンに向かうたびに私たちのお尻に平手打ちを見舞いました。私たちふたりがあの日どれくらいの時間立たされていたのか覚えていませんが、パパが帰宅を決めた頃には外は完全に暗くなっていました。
私たちは前を向くように言われました。手は頭の上で組んだままで、顔をあげていなくてはいけません。叔父さんとパパの前で裸を晒している現実は信じがたいものでした。パパと叔父さんは口をそろえて言いました。お前たちの今日の振る舞いにはがっかりした。パパ達がお仕置きをするのも、娘のことをいつも気にかけていて、節度ある立派な女性に育つ手助けをするためなんだ、と。
パパからサマードレスが手渡されました。私はすぐにそれを着ましたが、下に何も身に着けていない状態で服を着るのはどうにも居心地が悪く、しかし身体が覆われている感覚だけは戻ってきたのは意外なことでした。パパは私が着てきたり持ってきたりしたものを集めさせて、私たちは帰路につきました。家に帰るとすぐに、ドレスを脱いで自分の部屋の隅に立って待っているように言いつけられました。15分後、部屋にやってきたパパに私はまたもやお尻を痛めつけられたのでした。私が涙を流し始めるのにたいした時間はかかりませんでしたが、パパはとにかく私の泣き顔が見たかったのでしょう。
これは私が受けた中で最悪のお仕置きというわけではありませんでしたし、素裸でお尻を叩かれた唯一の機会でもありませんでしたが、確かなのはこれは私がはじめて体験した「パパが本気を出した」お尻叩きだったということです。パパと暮らすこれからの日々が辛いものになるだろうことを、この日私は身を持って知ったのです。
私たちの馬鹿騒ぎは隣近所の人達の迷惑になっていました。彼らはドアベルを鳴らし、叔父さんに私達を静かにさせろと文句を言ってきたのです。私たちはそんなことはつゆ知らず、水をあたりにはね散らかすのに熱中していました。いきなり現れた叔父さんに私達はプールからつまみだされ、恥をかかされたと怒り心頭のお説教がはじまりました。パパも出てきて、私を大声で叱り始めました。従姉妹は大きな声で叔父さんに反抗を始め……一線を超える言葉を口にした彼女の腕を叔父さんはひっつかんで、テラスチェアまでひきずっていきました。私もパパに同じようにひきずられていきました。
当時、私も従姉妹も普段からかなりの頻度でお尻をぶたれていましたし、私は従姉妹の家でお尻を叩かれた経験すらありました。しかし、二人同時に父親たちにお尻を叩かれるのははじめてのことでした。
普通にお尻を叩かれるだけでも参るものですが、濡れた水着の上から叩かれた場合は格別の痛みが伴います。ぴったりと貼りつく素材の生地でお尻を覆われた状態で叩かれると、普通の状態のお尻を叩かれるのに比べて痛みが増すのです。
というわけですぐに裏庭は、お尻をひっぱたかれる私たちの叫び声で満たされることになりました。私はもがき、足を蹴り上げ、身体をくねらせました。お尻叩きがある程度続くと私はいつもこんな状態になりました。膝の上で顔をあげた私の目に、叔父さんが従姉妹のビキニの下のひもを解いて地面に放り投げている光景が飛び込んできました。いまや従姉妹はほとんど裸で、叔父さんの大きな手が彼女の真っ白なお尻を鮮やかな赤色で染めていくのがわかりました。
パパに動かないように言われても私はもがくのをやめられませんでした。立ち上がったパパは私の腕をつかんで、家の中へと私をひっぱっていきました。パパはソファに座って手を伸ばし私を膝の上に乗せようとしましたが、何かに気づき目線を落としました。パパが着ているシャツとデニムは、私の水着のせいですっかり濡れてしまっていました。パパは何かぶつくさ言うと、手を伸ばし……私は水着の肩ひもをはずされて、バナナの皮をむくみたいに足首まで水着を下ろされてしまったのでした。私ははじかれたようにあそこを隠しました。私は発育が遅いほうで、そのころ身体の変化はまだはじまったばかりでした。胸はわずかにふくらんでいるだけで、そこにちょっと腫れものができたみたいな乳首が乗っかっていて、下の毛にしても割れ目のはじまるところに無いよりはまし程度に薄く生えているにすぎませんでした。変化がはじまった身体を見られたのはこれがはじめてのことで、いままで経験したことがないくらいひどく自尊心を傷つけられました。ほんの一瞬でしたけれど、それはパパに私のなにもかもを見られてしまうには十分すぎる時間でした。
パパは手際よく私を膝の上に乗せると、お尻叩きを再開しました。お尻をしっかり温めた後は、ターゲットをお尻のすぐ下の太ももに定めて、一定の間隔で叩き続けました。お尻を叩きながらパパは、もう小さい子でもないだろうに恥を知りなさい、と言いました。そのあいだずっと、従姉妹が中庭でお尻をひっぱたかれている物音が聞こえていました。
私は大混乱に陥り、泣きわめき、ごめんなさいを言い、許しを乞い続け、パパがやめてくれることを願いました。そしてパパはとうとう手を止めましたが、それは叔父さんに首根っこをつかまれた従姉妹が家の中に引っ張られて入ってきたからでした。今の従姉妹は水着のトップも取り上げられて、私と同じく一糸まとわぬ状態でした。従姉妹は私よりも年上でしたから身体つきのラインもそれ相応で、ゆさゆさと揺れる乳房のほかに、印象に残ったのは下の毛が深い茂みになっていることでした。従姉妹が後で教えてくれたところによると、その日は新しいビキニ(この騒ぎのあと捨てられてしまいました)に合わせて彼女は下の毛を処理していたそうなのですが、とにかく目に入ってきた光景に自分の心が吸い寄せられていたのは記憶に残っているのです。私たちは涙のたまった目でお互いに見つめあいました。叔父さんはパパに「躾け直しは済んだかい?」みたいなことを言いました。それから叔父さんは従姉妹を追いたてるようにして、彼女の部屋に連れて行ってしまいました。
私はそれからあともお尻をしばらく叩かれ続け、しまいに泣きすぎて窒息したようになり、呼吸困難な状態に陥りました。パパはようやく手を止めると膝の上で私を泣くがままにして待っていました。5分くらい経ってパパは私を立ち上がらせると、壁際まで連れて行き部屋の隅に向かって立たせました。すこしは乾きかけていましたが、私の身体と髪の毛はまだまだ濡れた状態でした。数分後パパはタオルを手に戻ってきて髪の毛と背中を荒っぽく拭くと、私に正面を向かせて身体のおなか側を拭きました。その時は疲れすぎて抵抗もできませんでしたが、あとになって考えると、そんな状態でも無抵抗になってしまうほど感情が死ぬような目にあわされていたのだと思います。パパは乾き具合に満足すると、私の両手を取り頭の上に持っていかせて、また身体の向きを変えて壁に向かって立たせました。そして私のお尻に強烈な一発をお見舞いすると、動かないようにと言いました。
少しして、従姉妹が叔父さんに連れられて戻ってきて、私の隣に立たされました。私と同じように、手は頭の上において身体は動かさないようにと指示が飛びました。動くなと言われていても好奇心には勝てず、私は隣の従姉妹の真赤な模様がついたお尻と太ももに視線を向けました。私のお尻も翌日は同じような状態になっていたのをよく覚えています。しかしその日私が心に刻んだのは、自分のお尻が従姉妹のお尻と比べて貧相な形をしているという事実でした。
パパと叔父さんはサッカー観戦に戻りビールを飲みはじめました。パパたちはちょくちょく後ろを振り返って行儀の悪い娘たちについてあれこれ論評し、キッチンに向かうたびに私たちのお尻に平手打ちを見舞いました。私たちふたりがあの日どれくらいの時間立たされていたのか覚えていませんが、パパが帰宅を決めた頃には外は完全に暗くなっていました。
私たちは前を向くように言われました。手は頭の上で組んだままで、顔をあげていなくてはいけません。叔父さんとパパの前で裸を晒している現実は信じがたいものでした。パパと叔父さんは口をそろえて言いました。お前たちの今日の振る舞いにはがっかりした。パパ達がお仕置きをするのも、娘のことをいつも気にかけていて、節度ある立派な女性に育つ手助けをするためなんだ、と。
パパからサマードレスが手渡されました。私はすぐにそれを着ましたが、下に何も身に着けていない状態で服を着るのはどうにも居心地が悪く、しかし身体が覆われている感覚だけは戻ってきたのは意外なことでした。パパは私が着てきたり持ってきたりしたものを集めさせて、私たちは帰路につきました。家に帰るとすぐに、ドレスを脱いで自分の部屋の隅に立って待っているように言いつけられました。15分後、部屋にやってきたパパに私はまたもやお尻を痛めつけられたのでした。私が涙を流し始めるのにたいした時間はかかりませんでしたが、パパはとにかく私の泣き顔が見たかったのでしょう。
これは私が受けた中で最悪のお仕置きというわけではありませんでしたし、素裸でお尻を叩かれた唯一の機会でもありませんでしたが、確かなのはこれは私がはじめて体験した「パパが本気を出した」お尻叩きだったということです。パパと暮らすこれからの日々が辛いものになるだろうことを、この日私は身を持って知ったのです。
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