「韓国併合」100年日韓知識人共同声明
2010年5月10日 東京・ソウル
1910年8月29日、日本帝国は大韓帝国をこの地上から抹殺し、朝鮮半島をみずからの領土に併合することを宣言した。そのときからちょうど100年となる2010年を迎え、私たちは、韓国併合の過程がいかなるものであったか、「韓国併合条約」をどのように考えるべきかについて、日韓両国の政府と国民が共同の認識を確認することが重要であると考える。この問題こそが両民族の間の歴史問題の核心であり、われわれの和解と協力のための基本である。 今日まで両国の歴史家は、日本による韓国併合が長期にわたる日本の侵略、数次にわたる日本軍の占領、王后の殺害と国王・政府要人への脅迫、そして朝鮮の人々の抵抗の圧殺の結果実現されたものであることを明らかにしている。 近代日本国家は1875年江華島に軍艦を送り込み、砲台を攻撃、占領するなどの軍事作戦を行った。翌年、日本側は、特使を派遣し、不平等条約をおしつけ、開国させた。1894年朝鮮に大規模な農民の蜂起がおこり、清国軍が出兵すると、日本は大軍を派遣して、ソウルを制圧した。そして王宮を占領して、国王王后をとりことしたあとで、清国軍を攻撃し、日清戦争を開始した。他方で朝鮮の農民軍を武力で鎮圧した。日清戦争の勝利で、日本は清国の勢力を朝鮮から一掃することに成功したが、三国干渉をうけ、獲得した遼東半島を還付させられるにいたった。この結果、獲得した朝鮮での地位も失うと心配した日本は王后閔氏の殺害を実行し、国王に恐怖を与えんとした。国王高宗がロシア公使館に保護をもとめるにいたり、日本はロシアとの協定によって、態勢を挽回することをよぎなくされた。 しかし、義和団事件とロシアの満州占領ののち、1903年には日本は韓国全土を自らの保護国とすることを認めるようにロシアに求めるにいたった。ロシアがこれを峻拒すると、日本は戦争を決意し、1904年戦時中立宣言をした大韓帝国に大軍を侵入させ、ソウルを占領した。その占領軍の圧力のもと、2月23日韓国保護国化の第一歩となる日韓議定書の調印を強制した。はじまった日露戦争は日本の優勢勝ちにおわり、日本はポーツマス講和において、ロシアに朝鮮での自らの支配を認めさせた。伊藤博文はただちにソウルに乗り込み、日本軍の力を背景に、威嚇と懐柔をおりまぜながら、1905年11月18日、外交権を剥奪する第二次日韓協約を結ばせた。義兵運動が各地におこる中、皇帝高宗はこの協約が無効であるとの訴えを列国に送った。1907年ハーグ平和会議に密使を送ったことで、伊藤統監は高宗の責任を問い、ついに軍隊解散、高宗退位を実現させた。7月24日第三次日韓協約により日本は韓国内政の監督権をも掌握した。このような日本の支配の強化に対して、義兵運動が高まったが、日本は軍隊、憲兵、警察の力で弾圧し、1910年の韓国併合に進んだのである。 以上のとおり、韓国併合は、この国の皇帝から民衆までの激しい抗議を軍隊の力で押しつぶして、実現された、文字通りの帝国主義の行為であり、不義不正の行為である。 日本国家の韓国併合の宣言は1910年8月22日の併合条約に基づいていると説明されている。この条約の前文には、日本と韓国の皇帝が日本と韓国の親密な関係を願い、相互の幸福と東洋の平和の永久確保のために、「韓国ヲ日本帝国ニ併合スルニ如カザル」、併合するのが最善だと確信して、本条約を結ぶにいたったと述べられている。そして第一条に、「韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且ツ永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス」と記され、第二条に「日本国皇帝陛下ハ前条ニ掲ゲタル譲与ヲ受諾シ、且全然韓国ヲ日本帝国ニ併合スルコトヲ承諾ス」と記されている。 ここにおいて、力によって民族の意志を踏みにじった併合の歴史的真実は、平等な両者の自発的な合意によって、韓国皇帝が日本に国権の譲与を申し出て、日本の天皇がそれをうけとって、韓国併合に同意したという神話によって覆い隠されている。前文も偽りであり、条約本文も偽りである。条約締結の手続き、形式にも重大な欠点と欠陥が見いだされる。 かくして韓国併合にいたる過程が不義不当であると同様に、韓国併合条約も不義不当である。 日本帝国がその侵略戦争のはてに敗北した1945年、朝鮮は植民地支配から解放された。解放された朝鮮半島の南側に生まれた大韓民国と日本は、1965年に国交を樹立した。そのさい結ばれた日韓基本条約の第二条において、1910年8月22日及びそれ以前に締結されたすべての条約および協定はalready null and voidであると宣言された。しかし、この条項の解釈が日韓両政府間で分かれた。 日本政府は、併合条約等は「対等の立場で、また自由意思で結ばれた」ものであり、締結時より効力を発生し、有効であったが、1948年の大韓民国成立時に無効になったと解釈した。これに対し、韓国政府は、「過去日本の侵略主義の所産」の不義不当な条約は当初より不法無効であると解釈したのである。 併合の歴史について今日明らかにされた事実と歪みなき認識に立って振り返れば、もはや日本側の解釈を維持することはできない。 併合条約は元来不義不当なものであったという意味において、当初よりnull and voidであるとする韓国側の解釈が共通に受け入れられるべきである。 現在にいたるまで、日本でも緩慢ながら、植民地支配に関する認識は前進してきた。新しい認識は、1990年代に入って、河野官房長官談話(1993年)、村山総理談話(1995年)、日韓共同宣言(1998年)、日朝平壌宣言(2002年)などにあらわれている。とくに1995年8月15日村山総理談話において、日本政府は「植民地支配」がもたらした「多大の損害と苦痛」に対して、「痛切な反省の意」、「心からのおわびの気持ち」を表明した。 なお、村山首相は1995年10月13日衆議院予算委員会で「韓国併合条約」について「双方の立場が平等であったというふうには考えておりません」と答弁し、野坂官房長官も同日の記者会見で「日韓併合条約は…極めて強制的なものだった」と認めている。村山首相は11月14日、金泳三大統領への親書で、併合条約とこれに先立つ日韓協約について、「民族の自決と尊厳を認めない帝国主義時代の条約であることは疑いをいれない」と強調した。 そこでつくられた基礎が、その後のさまざまな試練と検証をへて、今日日本政府が公式的に、併合と併合条約について判断を示し、日韓基本条約第二条の解釈を修正することを可能にしている。米国議会も、ハワイ併合の前提をなしたハワイ王国転覆の行為を100年目にあたる1993年に「不法な illegal 行為」であったと認め、謝罪する決議を採択した。近年「人道に反する罪」や「植民地犯罪」に関する国際法学界でのさまざまな努力も進められている。いまや、日本でも新しい正義感の風を受けて、侵略と併合、植民地支配の歴史を根本的に反省する時がきているのである。 韓国併合100年にあたり、われわれはこのような共通の歴史認識を有する。この共通の歴史認識に立って、日本と韓国のあいだにある、歴史に由来する多くの問題を問い直し、共同の努力によって解決していくことができるだろう。和解のためのプロセスが一層自覚的に進められなければならない。 共通の歴史認識をさらに強固なものにするために、過去100年以上にわたる日本と朝鮮半島との歴史的関係に関わる資料は、隠すことなく公開されねばならない。とりわけ、植民地支配の時期に記録文書の作成を独占していた日本政府当局は、歴史資料を積極的に収集し公開する義務を負っている。 罪の許しは乞わねばならず、許しはあたえられねばならない。苦痛は癒され、損害は償われなければならない。関東大震災のさいになされた朝鮮人住民の大量殺害をはじめとするすべての理不尽なる行為は振り返られなければならない。日本軍「慰安婦」問題はいまだ解決されたとはいえない状態にある。韓国政府が取り組みを開始した強制動員労働者・軍人軍属に対する慰労と医療支援の措置に、日本政府と企業、国民は積極的な努力で応えることが望まれる。 対立する問題は、過去を省察し、未来を見据えることで、先のばしすることなく解決をはからねばならない。朝鮮半島の北側にあるもうひとつの国、朝鮮民主主義人民共和国と日本との国交正常化も、この併合100年という年に進められなければならない。 このようにすることによって、韓国と日本の間に、真の和解と友好に基づいた新しい100年を切り開くことができる。私たちは、この趣意を韓日両国の政府と国民に広く知らせ、これを厳粛に受け止めることを訴える。 日本側署名者 ※発起人
荒井 献 | 東京大学名誉教授・聖書学 | 荒井信一※ | 茨城大学名誉教授・日本の戦争責任資料センター共同代表 | 井口和起※ | 京都府立大学名誉教授・日本史 | 石坂浩一※ | 立教大学准教授・韓国社会論 | 石田 雄 | 東京大学名誉教授・政治学 | 石山久男 | 歴史教育者協議会会員 | 李順愛 | 早稲田大学講師・女性学 | 出水 薫 | 九州大学教授・韓国政治 | 李成市※ | 早稲田大学教授・朝鮮史 | 李鍾元※ | 立教大学教授・国際政治 | 板垣雄三 | 東京大学名誉教授・イスラム学 | 井筒和幸 | 映画監督 | 井出孫六 | 作家 | 伊藤成彦 | 中央大学名誉教授・社会思想 | 井上勝生※ | 北海道大学名誉教授・日本史 | 今津 弘 | 元朝日新聞論説副主幹 | 上杉 聡 | 大阪市立大学教授 | 上田正昭 | 京都大学名誉教授・日本史 | 内田雅敏 | 弁護士 | 内海愛子※ | 早稲田大学大学院客員教授・日本―アジア関係史 | 大江健三郎 | 作家 | 太田 修※ | 同志社大学教授・朝鮮史 | 岡本 厚※ | 雑誌『世界』編集長 | 沖浦和光 | 桃山学院大学名誉教授 | 小田川興※ | 元朝日新聞編集委員 | 糟谷憲一※ | 一橋大学教授・朝鮮史 | 鹿野政直※ | 早稲田大学名誉教授・日本史 | 加納実紀代 | 敬和学園大学教授・女性史 | 川村 湊 | 文芸評論家・法政大学教授 | 姜尚中 | 東京大学教授・政治学 | 姜徳相 | 滋賀県立大学名誉教授・朝鮮史 | 木田献一 | 山梨英和学院大学院長・キリスト教学 | 木畑洋一 | 成城大学教授・国際関係史 | 君島和彦 | ソウル大学教授・日本史 | 金石範 | 作家 | 金文子 | 歴史家 | 小谷汪之 | 首都大学・東京教授・インド史 | 小林知子 | 福岡教育大学准教授・在日朝鮮人史 | 小森陽一※ | 東京大学教授・日本文学 | 坂本義和※ | 東京大学名誉教授・国際政治 | 笹川紀勝 | 明治大学教授・国際法 | 佐高 信 | 雑誌『週刊金曜日』発行人 | 沢地久枝 | ノンフィクション作家 | 重藤 都 | 東京日朝女性の集い世話人 | 清水澄子 | 日朝国交正常化連絡会代表委員・元参議院議員 | 東海林勤※ | 日本キリスト教団牧師 | 進藤栄一 | 筑波大学名誉教授・東アジア共同体学会会長 | 末本雛子 | 日朝友好促進京都婦人会議代表 | 鈴木道彦 | 独協大学名誉教授・フランス文学 | 鈴木伶子 | 平和を実現するキリスト者ネット代表 | 関田寛雄 | 青山学院大学名誉教授・日本キリスト教団牧師 | 徐京植 | 作家・東京経済大学教授 | 高木健一 | 弁護士 | 高崎宗司※ | 津田塾大学教授・日本史 | 高橋哲哉 | 東京大学教授・哲学 | 田中 宏 | 一橋大学名誉教授・戦後補償問題 | 俵 義文 | 子どもと教科書全国ネット21事務局長 | 趙景達※ | 千葉大学教授・朝鮮史 | 鶴見俊輔 | 哲学者 | 外村 大 | 東京大学准教授・朝鮮史 | 仲尾 宏 | 京都造形芸術大学客員教授 | 中塚 明※ | 奈良女子大名誉教授・日朝関係史 | 中野 聡 | 一橋大学教授・歴史学研究会事務局長 | 中村政則※ | 一橋大学名誉教授・日本史 | 中山弘正 | 明治学院大学名誉教授・経済学 | 永久睦子 | I女性会議・大阪会員 | 成田龍一 | 日本女子大学教授・日本史 | 朴一 | 大阪市立大学教授・経済学 | 林 雄介 | 明星大学教授・朝鮮史 | 原 寿雄 | ジャーナリスト | 針生一郎 | 美術評論家 | 樋口雄一 | 高麗博物館館長 | 飛田雄一 | 神戸学生青年センター館長 | 平川 均 | 名古屋大学教授・経済学 | 深水正勝 | カトリック司祭 | 藤沢房俊 | 東京経済大学教授・イタリア近代史 | 藤永 壮 | 大阪産業大学教授・朝鮮史 | 福山真劫 | フォーラム平和・人権・環境代表 | 古田 武 | 高麗野遊会実行委員会代表 | 布袋敏博 | 早稲田大学教授・朝鮮文学 | 前田憲二 | 映画監督・NPO法人ハヌルハウス代表理事 | 松尾尊兊※ | 京都大学名誉教授・日本史 | 水野直樹※ | 京都大学人文科学研究所教授・朝鮮史 | 三谷太一郎 | 政治学者 | 南塚信吾 | 法政大学教授・世界史研究所所長 | 宮崎 勇 | 経済学者・元経済企画庁長官 | 宮嶋博史※ | 成均館大学教授・朝鮮史 | 宮田毬栄 | 文筆家 | 宮地正人 | 東京大学名誉教授・日本史 | 宮田節子※ | 歴史学者・元朝鮮史研究会会長 | 文京洙 | 立命館大学教授・政治学 | 百瀬 宏 | 津田塾大学名誉教授・国際関係学 | 山口啓二 | 歴史研究者・元日朝協会会長 | 山崎朋子 | 女性史研究家 | 山田昭次※ | 立教大学名誉教授・日本史 | 山室英男※ | 元NHK解説委員長 | 梁石日 | 作家 | 油井大三郎 | 東京女子大学教授・アメリカ史 | 吉岡達也 | ピースボート共同代表 | 吉沢文寿 | 新潟国際情報大学准教授・朝鮮史 | 吉野 誠 | 東海大学教授・朝鮮史 | 吉松 繁 | 王子北教会牧師 | 吉見義明 | 中央大学教授・日本史 | 李進煕 | 和光大学名誉教授・朝鮮史 | 和田春樹※ | 東京大学名誉教授 | | 総 105人 |
韓国側署名者 ※発起人
姜萬吉※ | 高麗大名誉教授,元尚志大総長・韓国史 | 姜天錫※ | 朝鮮日報主筆 | 高光憲※ | ハンギョレ新聞社長 | 高銀※ | 詩人 | 權泰檍 | ソウル大教授・韓国史 | 具正謨 | 江原大教授・経済学,東北亞大学教授協議会会長 | 金京熙※ | 知識産業社社長 | 金基ソク | ソウル大教授・教育学 | 金度亨 | 延世大教授・韓国史 | 金炳翼 | 文学&知性社常任顧問 | 金成国 | 釜山大教授・社会学 | 金彦鎬 | 圖書出版ハンギル社代表 | 金永一 | 光復会会長 | 金泳鎬※ | 柳韓大総長 | 金容九 | 翰林大翰林科学院教授 | 金容徳※ | ソウル大名誉教授・光州科学技術院碩座教授・東洋史 | 金容燮 | 延世大名誉教授・韓国史 | 金潤煥 | 高麗大名誉教授・経済学,韓国経済学会名誉会長 | 金鍾圭 | 韓国博物館協会会長,韓国文化財トラスト協会会長 | 金芝河※ | 詩人 | 金鎭炫※ | 元韓国経済新聞会長,元ソウル市立大総長 | 金昌祿※ | 慶北大教授・国際法 | 金泰永 | 慶熙大名誉教授・韓国史 | 金平祐 | 大韓弁護士協会会長 | 金炫 | ソウル弁護士協会会長 | 金皓起 | 延世大教授・社会学 | 金和經 | 嶺南大教授・韓国文学 | 金薰 | 小説家 | 金喜坤 | 安東大教授・韓国史 | 羅鍾一 | 友石大総長,元駐日大使 | 南時旭※ | 世宗大碩座教授,元文化日報社長 | 盧明鎬 | ソウル大教授・韓国史 | 盧泰敦 | ソウル大教授・韓国史 | 都珍淳 | 昌原大教授・韓国史 | 朴孟浩 | 民音社会長 | 朴明圭 | ソウル大教授・社会学 | 朴秉濠 | 大韓民国学術院会員・法制史 | 朴元淳※ | 希望制作所常任理事 | 朴在勝 | 元大韓弁護士協会会長 | 朴維徹 | 安重根義士百周年記念館建立委員会委員長 | 裵仁俊※ | 東亞日報主筆 | 白楽晴※ | ソウル大名誉教授・英文学 | 白承憲 | 民主社会のための弁護士会会長 | 白永瑞 | 延世大教授・東洋史 | 朴宇熙 | 世宗大総長,韓国経済学会名誉会長 | 朴仁奎 | プレシァン社長 | 徐仲錫 | 成均館大教授・韓国史 | 成大慶 | 成均館大名誉教授・韓国史 | 宋永丞 | 京鄕新聞社長 | 宋虎根 | ソウル大教授・社会学 | 申庚林 | 詩人 | 申榮福 | 聖公会大碩座教授・経済学 | 愼鏞廈※ | 梨花女子大碩座教授・韓国史 | 安秉祐 | 韓信大教授・韓国史 | 安秉旭 | カトリック大教授・韓国史 | 安哲秀 | KAIST(韓国科学技術院)席座教授 | 梁民滸 | 東北亞平和センター運営委員長 | 嚴昌玉 | 慶北大教授・経済学,国債報償記念事業会常任理事 | 廉武雄 | 嶺南大名誉教授・文学評論 | 呉世榮 | ソウル大名誉教授,韓国詩人協会会長 | 呉連鎬 | Oh My News 社長 | 劉在天 | 尚志大総長 | 尹炳ソク | 仁荷大名誉教授・韓国史 | 尹炯斗 | 汎友社社長,韓国出版学会会長 | 李根寬 | ソウル大教授・国際法 | 李基相 | 外国語大教授・韓国史 | 李琦ソク | ソウル大名誉教授・地理学 | 李起雄 | 悅話堂社長,出版都市文化財団理事長 | 李萬烈※ | 淑明女子大名誉教授・韓国史 | 李文烈 | 小説家 | 李相燦 | ソウル大教授・韓国史 | 李成茂 | 韓国学中央研究院名誉教授,元国史編纂委員会委員長 | 李時載 | カトリック大教授・社会学,環境運動聯合代表 | 李御寧 | 梨花女子大碩座教授,元文化部長官 | 李元德 | 国民大教授・国際政治学 | 李長熙※ | 外国語大教授・国制法,国際常設仲裁裁判所(PCA) 裁判官 | 李泰鎭※ | ソウル大名誉教授・韓国史 | 李效再 | 梨花女子大名誉教授・社会学 | 李学永 | 韓国YMCA全国聯盟事務総長 | 林玉相 | 画家 | 林賑澤 | 韓国民族芸術人総聯合副会長 | 任喆淳 | 韓国日報主筆 | 林ヒョン澤 | 成均館大教授・韓国文学 | 任軒永 | 民族問題研究所所長 | 林玄鎭 | ソウル大教授・社会学 | 張萬基 | 韓国人間開発研究院会長 | 張寅成 | ソウル大教授・外交学 | 張忠植 | 檀国大名誉総長 | 鄭聖憲 | DMZ生命平和東山理事長 | 鄭在貞 | ソウル市立大教授・韓国史,東北亞歴史財團理事長 | 鄭昌烈※ | 漢陽大名誉教授・韓国史 | 鄭泰寅 | 高麗大教授・韓国史 | 趙光 | 高麗大教授・韓国史 | 趙東杰 | 国民大名誉教授・韓国史 | 趙東成 | ソウル大教授・経営学 | 趙東一 | ソウル大名誉教授・韓国文学 | 曺ヒヨン | 聖公会大教授・社会学 | 朱宗桓 | 東国大名誉教授・経済学,市民社会新聞論説顧問 | 車河淳 | 西江大名誉教授・西洋史,大韓民国学術院会員 | 蔡雄錫 | カトリック大教授・韓国史 | 崔元植※ | 仁荷大教授・韓国文学 | 崔章集 | 高麗大教授・政治学 | 韓敬九 | ソウル大教授・人類学 | 韓相震 | ソウル大名誉教授,中国淸華大教授・社会学 | 韓水山 | 小説家 | 韓勝憲 | 弁護士,元監査院長 | 許南振 | 中央日報論説主幹 | 許粹烈 | 忠南大教授・農業経済学 | 黄晳暎 | 小説家 | | 総 109人 | |