教える側も、教わる側も、多くの人が勘違いしていることがある。身近なところで、学校を考えてごらん。多くの子どもたちや保護者、そして先生も含めて、多くの人が「先生がいるから子どもたちがいる」と考えているのじゃないだろうか。
それは間違いだ。「子どもたちがいるから先生がいる」という方が正しい。そもそも、先生は誰のために存在するのか。子どもたちのためだ。子どもたちがいなかったら先生はいらない。指導者としてこの世に存在できるのは、教え子あってこそなのだ。僕が、高校、社会人の指導者として半世紀以上を過ごせたのは、常に生徒や教え子たちがいてくれたからである。子どもたちには感謝しかない。
僕はかつて、有森裕子を「有森先生」と呼んでいた。オリンピック2連続メダリストを指導できたのは、彼女が教え子として存在してくれたからだ。確かに「師」は僕で、「弟」は有森だったが、あくまでも主役は有森だった。このことは、有森だけではない。僕の指導を受けた教え子たちはすべて、僕を支えてくれた。
さらに言えば、彼、彼女らの存在は“気付き”を教えてくれた。いい指導法は1日にして習得できるものではない。実は、逆に子どもたちから教わることが多々あるものなのだ。子どもたちは日々成長を遂げながら、いろいろな局面に遭遇する。そんな時、先生は考え、工夫しながら、いい方向に導いてあげなければならない。子どもたちの目線で考えると、新たな指導法も生まれて来るというものだ。
生徒がいるから先生はいる。ふんぞり返っていたら、いい指導者になれないよ。