https://megalodon.jp/2008-0427-0107-59/mainichi.jp/kansai/news/20080426ddf001040003000c.html

 

コーヒーとかのプランテーション・ビジネスというのも同じで、地元で労働者が集まらないと、奴隷を連れて来る。アメリカに黒人がいるのも、マレー半島に中国人がいるのも、その名残りです。

 

https://www.imabaritowel.jp/wp/?p=4984

 

こんな不正を見逃したら、他の産地、業者が迷惑だ。不正をしなきゃ存続できないんだったら事業を辞めるしかない。今治はタオルと造船、どちらも問題がある。町ごと滅びろw

世界の国会議員の年間報酬
日本   2281万円
アメリカ 1357万円
ドイツ  947万円
フランス 877万円
イギリス 802万円

世界の公務員平均年収
1:日本・・・・・898万
2:アメリカ・・・357万
3:イギリス・・・256万
6:フランス・・・198万
7:ドイツ・・・・・194万

公務員給与 世界ランキング (主要先進国)
公務員平均給与が国民平均所得の何倍になっているか
1:日本・・・・・・2.15
2:カナダ・・・・・1.48
3:アメリカ・・・・1.40
4:イギリス・・・・1.36
5:イタリア・・・・1.35
6:フランス・・・・1.03
7:ドイツ・・・・・0.95
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> 世界の公務員平均年収
> 1:日本・・・・・898万
それは公務員じゃなくて東証一部二部上場企業の平均

平成29年の公務員の年収平均は月給416,969円プラス4.4か月分ボーナスの683万円
出典 人事院勧告資料
 http://www.jinji.go.jp/kankoku/h29/pdf/29sankou_koumu.pdf
 の第3表
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https://news.nifty.com/article/magazine/12208-20170908-187322/

徳川幕府の功績:
 日本を開国させる
 近代化を進める
 横須賀製鉄所造船所を建設
 樺太を守り抜く

明治政府の功績:
 日本中のお寺、文化財、城郭を破壊(廃仏毀釈・廃城令)
 江戸期の市民文化を全否定(伝統文化の消失)
 華族士族という特権階級をつくる
 日本史上最悪の不平等条約を北ドイツ連邦と結ぶ
 樺太を二束三文でロシアに売り渡す
 日本の国家予算で朝鮮のインフラを整備する
 日本を朝鮮人だらけにする

 

イギリスの直接植民地は土人国
武器持ったら全部植民地解放だろ
日本を直接植民地にできないので長州チョンを間接統治の植民地支配にしたのが
明治維新

 

日本人は維新の真実を知る時だな。
明治の原動力になった長州や薩摩は日本の朝鮮化した地域だったんだよ。
実は、明治維新自体が、イギリスがロシアと対抗するために朝鮮人を操って実行したクーデターだった。
まず、薩長がイギリスと戦争して負けて藩内クーデター起きてるだろ。
イギリス人を含め西洋人は陶器貿易で、朝鮮人が下級武士になっているのを知ってたんだよ。東郷重徳とかが良い例だ。
そいつらを利用した。
長州は、戦国時代まえから守護や戦国大名自体からして、百済王の子孫を称する大内氏や陶氏など帰化人だらけだった。
何しろ長州人は本人たちが朝鮮人の子孫と思っていたから、安土桃山時代に朝鮮出兵した際に降伏した朝鮮人捕虜を連れて帰ってきてどんどん仕官させている。
だから、江戸時代の長州藩士も帰化人だらけ。
例えば、長州藩の御典医の「李家」は、李氏朝鮮の武臣李慶甫の子孫が御殿医として長州藩に仕えた。
子孫の李家 隆介(慶応2年8月(1866年) - 1933年7月23日)は、日本の内務官僚となり、県知事、錦鶏間祗候、下関市長となった。
下関にリトル釜山がありウォンが通用するのも当然だ。
薩摩の奴らは大久保やら鹿児島市高麗町出身がいる。
で、現在、西郷隆盛の子孫の西郷隆文は日置市で窯元を営み、鹿児島県陶業協同組合初代理事長なんだ。
信じがたいだろうけど、大久保利通や西郷隆盛の嫡男の西郷寅太郎も朝鮮出兵の時に連れてきた薩摩焼の陶工を集めた鹿児島市高麗町の出身。生家は百メートルも離れていない。
1600年代の半ばから後半には高麗町の陶工は郊外の日置市に集団移転した ことになっているが、その最後のタイミング(1680年代)で大久保の先祖も高麗町から郊外に移転している。しかし100年後後にまた高麗町に戻っている。
また、西郷も大久保も1600年代半ばに薩摩藩に先祖が仕官しているが、先祖は仕官前の数代は不明。
大久保利通の父の利世は、琉球貿易のための琉球館の通関職員だった。
薩摩は漂着を偽装した朝鮮との密貿易もしていたから朝鮮語か広東語を話せただろう。
天保13年(1842年)、この年までは高麗町に住んでいたことが、『鹿児島城下絵図散歩』で判る。後に琉球館付役に就任、琉球館内の屋敷に転居。
彼らの家系図は適当に、繋いだ偽物の可能性が高い。