連敗が止まった。勝ち投手はもちろん笠原。負け投手はプロ初登板の中川虎だった。ラミレス監督によると意図したわけではないようだが結果的に2イニング、44球。はやりの「ショートスターター」というやつだ。「オープナー」もそうだが、抑えても勝ち投手にはならないのに、1失点でも負け投手にはなる。何だか報われない起用法である。
「肩透かしではあったけど、投げっぷりは良かったね。この先、楽しみな投手でしょう」。笑顔でこう話したのは阪神の嶋田宗彦スコアラーだ。次カードは甲子園での阪神戦。竜の分析に目を光らせていたはずなのにDeNAの中川虎の投球をほめたのは、和歌山・箕島高の後輩だからだ。
年配の野球ファンなら膝を打つ名前。1979年8月16日、箕島は石川・星稜と延長18回の死闘を演じた。100年を超える大会史において「最高の試合」とも語り継がれるのは、延長に入り、2死走者なしから2度も同点本塁打が飛び出したからだ。延長12回。尾藤公監督に「ホームラン打ってきます」と宣言し、打ったのが嶋田さん。延長18回、サヨナラで星稜を振り切った箕島は、そのまま春夏連覇への階段を駆け上がった。
伝説の強豪も甲子園との距離は遠くなり、プロ入りする卒業生もめっきり減った。だからこそ、他球団でもかわいい。昨春のキャンプで、嶋田さんは球団関係者に紹介してもらい、中川虎と対面した。「僕のこと知ってた?」と聞く嶋田さんに、中川虎は「はい。お話はうかがっています」と応じた。実は中川虎の母のいとこが、嶋田さんのときのエースだった石井毅(元西武、現在は木村竹志)さんという血縁をたどり、箕島に進んだからだ。
伝説の試合では石井さんは18イニング、257球を投げきったが、今や決勝戦でもエースを温存し、プロでも先発が44球で降板する時代になった。昭和から令和へ。40年の月日は野球を変えている。