迷子のプレアデス 作:皇帝ペンギン
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「もういいわよ」
「ぷはぁ、苦しかったぁ」
虚空へ語りかけるソリュシャンの豊満な双丘が揺れる。水面から飛び出るようにエントマが顔を出した。大の男十人は収納出来るのだ、体内の酸の強度を調整すればエントマ一人運ぶくらい容易だった。エントマは濡れた体をプルプル振り粘液を落とす。それから可愛らしくエプロンドレスの裾をポンポン払う。準備完了だ。
「みんなぁ、頑張ってねぇ。それぇぇ」
カサカサ。カサカサ。
エントマの割烹着を思わせる裾から多数の眷属たちが飛び出してくる。長い触角を持ち黒光りする小さな蟲。街にたくさんいても違和感のない、恐怖公の眷属と同種だ。空を舞い、地を這い、家屋に侵入し、果ては下水路にまで潜る。後は待っているだけ。果報は寝て待てと至高の御方も仰っていた。
「じゃあエントマ、何かあったら〈
「了解ぃ」
都市のマッピングはエントマに任せ、ソリュシャンは堂々と表通りを歩く。黄金の姫に伍する相貌に女性らしい見事なスタイルは見るもの全てを魅了した。すれ違う者が老若男女問わず思わず振り返ってしまう。情報収集の際、この美貌が非常に大きな武器となる。旅の者を装い、笑顔で現地人に話しかける。少し胸の谷間を見せるだけで男たちはぺらぺらと聞いていないことまで喋ってくれた。笑顔で手を振り情報提供者たちと別れると、ソリュシャンは顎に手をやり思案する。
(なるほど……)
法都には主要施設がいくつか存在する。まずは六色を戴く六大神殿。司法、立法、行政の三機関。魔法の開発を担う魔法研究館。そして軍事機関。他にも小さな子を集めて教育を施す教育機関、商業施設など。加えて数百万人もの人口を有する法都は相応に広大な領地を誇る。一つ一つ調べていては流石に骨が折れるというもの。まずは主要施設に狙いを定めるべきだ。人伝てに六大神殿の場所を訪ね歩く。
六つの神殿の内、ソリュシャンは迷わず闇の神殿を選んだ。積み重なった歴史を感じさせる重厚な扉を開け放つ。途端、視界に飛び込む死の支配者の像。反射的に畏敬の念を覚え跪きかけるが、
「モモンガ様! ……いいえ、違うわ」
ソリュシャンは冷静に分析する。姉が得た情報に六大神唯一の異形種、スルシャーナという存在がいた。おそらくは彼を象ったものだろう。人類至上主義という愚かなスローガンを掲げる国の明らかな矛盾点。二律背反もいいところだ。スルシャーナ像の前で神父らしき男が説法を説き、少なくない数の信者たちが祈りを捧げている。
ソリュシャンは周囲に不審がられない程度に神殿内を歩き回る。見上げるほどに巨大な偶像にステンドグラス、〈
(当てが外れたかしら。次は……あら?)
エントマからの〈
『やっほぉ、今どこぉ?』
(六大神殿の一つ、闇の神殿よ)
『おおおぉ!』
声に出さず返答すると、〈
『あのねぇ、みんなが集めた情報によるとぉ……この都市にはぁ、大きな地下下水道があるみたいぃ』
(それがどうしたの?)
『鈍いなぁソリュシャ〜ン。ちょうど
(……へえ)
もたらされた情報にソリュシャンの動きがピタリと止まる。人口に比して生活のための下水道は整備されて然るべきだ。だが六つの同規模の神殿。その一ヶ所だけに過分な下水路が通っているのは奇妙な話である。
『後ねぇ、建物自体、みんなが侵入出来そうな通気口が少ないのぅ』
周辺国家最古の建造物の一つ。他の神殿よりも余分に多い地下水路、対して厳重に塞がれている通気口。その意味するところは、
(うふふ、楽しみ)
ソリュシャンはエントマに合流ポイントを伝えると、闇の神殿を後にする。人間に擬態可能なソリュシャンはともかく、エントマが動くには日の下は目立ち過ぎる。夜を待って闇に紛れる算段である。それまで疑惑を確証に変えるのだ。
太陽が完全に死に絶えた世界。紺碧の空に輝く満天の星々。それはまるで宝石箱をひっくり返したかのよう。ソリュシャンは合流地点の建物屋上に飛び乗った。予定通り、そこにはエントマがいた。待つのに飽きたのだろう、手足を投げ出しゴロゴロ床を転がっている。ソリュシャンに気づいたエントマが気怠げに上体を起こした。
「あー、ソリュシャン。お疲れ様ぁ。どうだったぁ?」
「ふふ、貴方の眷属はいい働きをしたわ」
ソリュシャンは自慢の金髪を優雅にかきあげる。二人の予想通り、闇の神殿には隠し通路が存在していた。さらには対侵入者用の物理的、魔法的トラップが至る所に張り巡らされていたのだ。ソリュシャンは疑惑を確証に変えるため、闇の神殿を除く五大神殿や他主要な行政機関も偵察した。いくつかの施設には罠が張り巡らされていたが、闇の神殿に仕掛けられたものに比べるとそのランクは数段落ちる。
何故ならエントマが送り込んだ無数の眷属たちの内、闇の神殿地下水路に潜り込んだ蟲たちが、誰一匹として帰って来ないのだ。そこだ。その場にこそ法国が秘したい“何か”があるのだ。それがアインズ・ウール・ゴウンやナザリック地下大墳墓に繋がるものならば最高なのだが。
「行くわよ」
「はーいぃ」
ソリュシャンが大きく口を開ける。その美貌が醜く歪みエントマを丸呑みにした。音もなく跳躍する。
(……ここね)
エントマの眷属たちが発見した水路の入り口は鉄格子で封鎖されていた。されど
(うふふ、一体何を隠してるのかしら?)
(お腹すいたなぁ)
ソリュシャンらに落ち度はない。彼女たちの不幸は最初に接触したのが陽光聖典──この世界における人類の精鋭部隊ということだ。
迷宮の如く入り組んだ水路はやがて地下通路へと繋がっていた。その最奥、突き当たりからかちゃかちゃと何かを弄る音。また一匹、エントマの眷属が屠られる。その音を出す相手に踏み付けられたようだ。
「今日はやけに虫が多いなー」
年若い女がいた。少女と言っても差し支えない年齢だ。闇のような漆黒と、光のような白銀。対なる色合いの髪と
(ッ──)
全身に怖気が走る。少女から感じる圧力は、まるで──ナザリック地下大墳墓、階層守護者たちに近いものがあった。そう、まるで第一から第三階層守護者、シャルティア・ブラッドフォールンのような。あれは、強い。ソリュシャンは戦士ではないがその強さを肌で感じた。不定形の肉体が身震いを覚える。身振り手振りでエントマに撤退を伝える。エントマも首肯した。
「ねえ、そこの人たちー。貴方たちもそう思うでしょ?」
「ッ──」
バレた。気配遮断を看破する特殊技術持ちか。ソリュシャンの左腕がどろりと溶ける。すぐさま〈
「おっと」
「くっ──」
「ソリュシャン!」
エントマが悲鳴を上げる。不定形の腕が石床に落ちた。ソリュシャンの濁った瞳が驚愕に染まる。反応すら出来なかった。一瞬で間合いを詰められ、斬り落とされたのだ。痛みこそないが相手の疾さはソリュシャン、エントマのそれをはるかに凌駕していた。女は身の丈を優に超える
「わーお、美人さんじゃん。こんな場所に何の用?」
「ええ、少し道に迷ってしまって」
ジリジリと後退するソリュシャンに何が面白いのか女は狂ったように嗤う。
「くすくす、いつからこの国は聖域を余所者に見せるくらいオープンになったのかな? 普通なら絶対見つかりっこない場所なんだけど」
逃げられない。逃げられない。逃げられない。背を見せた瞬間待つのは死だ。ソリュシャンは軽い気持ちでこの場に訪れたことを心の底から後悔した。
「ソリュシャンから離れろぉおおお!!」
「エントマ! 来ては駄目! 逃げ──」
絶対絶命の姉を妹が庇う。符を撒きながらエントマが特攻をかけた。女が面倒そうに視線を送る。
「──あ」
「んー?」
一閃。白刃が翻る。
「あれ? 私、の……あ、し……?」
刹那、エントマは泣き別れた自身の半身を見た。緑色が鮮血のごとく噴き出す。胴の中ほどから真っ二つ。零れ落ちる臓物が周囲を汚した。
「エントマぁ!!」
「ああ゛アああァアアア゛ア゛……!!?」
エントマの擬態が解ける。仮面状の蟲や口唇蟲が剥がれ落ちた。女郎蜘蛛を想起させる真の姿が苦悶に歪む。蜘蛛の脚が痙攣した。
「蟲の魔神? 十三英雄が屠ったって聞いたけど」
女はエントマにまだ息があることを確認すると口元を吊り上げた。あの一撃を受けてまだ生きているとは。自分や第一席次以外では相手にならないだろう。
「何だ今のおぞましい声は!?」
「こ、これは……これは!」
「異形種……魔神!」
「な、何故こんなところに!?」
女が守る後方の扉が開かれる。エントマのおぞましい声は室内にまで響いたようだ。騒ぎを聞きつけた老人たちが飛び出して来た。
「ちょっと、まだ出てこない方がいいよ?」
女は既に勝ちを確信していた。余裕綽々にソリュシャンから視線を外し老人たちを振り返る。
今だ。この瞬間しかない。
ソリュシャンは勢い良く胸元をはだけた。メイド服から豊かな乳房が零れ落ちる。凶悪なまでの質量が外気に晒されぷるるんと揺れた。
「なっ──」
「そ、それは!?」
老人たちが二重の意味で言葉を失う。突如として奇行に走る女の胸から六大神の至宝──魔封じの水晶が零れ落ちたのだ。それは、その輝きは。忘れもしない。陽光聖典隊長ニグンに預けていた神の遺物。あのような稀少アイテムが二つと存在するだろうか。否、ありえない。つまるところ彼女達は、
瞬間、眩いばかりの閃光が全てを包み込む。
皆、息を呑んだ。厳かに、それでいて悠然と。神聖なる空気を纏て光り輝く翼の集合体が姿を現した。その輝きの凄まじさは薄暗い通路が瞬間的に朝になったと錯覚する程だった。
黄金の笏丈を持つ腕以外、頭も足もない異形。
「──なさい」
ソリュシャンの言葉に呼応し、
「止せ! 止すのだ!」
「最高位天使に敵うわけがない!」
「お主だけでも早く逃げるのだ!」
「左様、お主さえ無事であれば」
「……そんな悠長なこと言ってる場合?」
制止し、逃走を促す
第七位階魔法──〈
人の身では決して到達できぬ奇跡の御業が光の柱となりて降り注いだ。