迷子のプレアデス   作:皇帝ペンギン
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第四話

「ハァ……ハァ」

 

 息はとうに上がっていた。致命傷こそ避けているものの、無数の刺し傷が至るところに刻まれていた。血濡れのブレイン・アングラウスはそれでも闘志を燃やす。相対するクレマンティーヌはまだまだ余裕がある。彼女は未だ無傷だった。涼しげな顔でブレインを嘲笑う。

 

「結構頑張るじゃないのさー。私相手にここまでやれるなんてねー」

 

 ふざけた口調だがクレマンティーヌなりの賛辞だ。裏を知らぬ表の人間がここまでやれるとは正直思ってもみなかった。ルプスレギナやナーベラル、神人といった例外中の例外を除き、クレマンティーヌと対峙し五体満足のままでいられるのは奇跡に等しい。

 

 ブレインは苦々しげに呻く。〈能力向上〉〈領域〉〈流水加速〉といった武技の数々。天稟と言っていい剣技の才と生まれついての異能(タレント)、そして血の滲むような努力。全てを総動員してなお、クレマンティーヌを捉えきれない。彼女はブレインの一歩も二歩も先を行っているのだ。ブレインにも誇りがある。モンスター相手ならば格上とも幾度となく戦ってきた。相手が格上ならそれ相応のやり方がある。

 

「はっ、俺の首はまだついてるぞ? 案外アンタも大したことないんだな」

「んだとコラ……?」

 

 見え透いた安い挑発。だが強さに絶対的な自信を持っているクレマンティーヌには効果てきめんだった。遠目にも額に浮かぶ青筋が見える。

 

「じゃあ、そろそろ終わりにしよっか? 私もう飽きちゃった」

 

 クレマンティーヌの雰囲気が一変する。本気でブレインを仕留めにくるようだ。地面に手をつき、超々前傾姿勢でブレインを睨みつける。

 

「ふう……」

 

 対するブレインは静かに呼吸を整えた。刀を鞘にしまい居合の構えを取る。これは賭けだ。わずかな気の乱れも許されない。〈領域〉で感覚を最大限に研ぎ澄ませ、雑念を削ぎ落とす。全てはこの一振りのために。

 

「逝っちまいなぁあああ──!!」

 

 〈能力向上〉〈能力超向上〉──クレマンティーヌの脚の筋肉が倍くらい膨れ上がったような錯覚。次の瞬間、女が矢のように放たれた。足首、大腿、体幹、腕、指先と滑らかな力の伝達。その全てがスティレットの切っ先に集中し、クレマンティーヌは流星と化した。刹那、ブレインとの距離がゼロになる。

 

 秘剣──〈虎落笛〉

 

 〈領域〉をクレマンティーヌが犯した。瞬きすら許さぬ世界の狭間で。何千、何万と振るい〈瞬閃〉を昇華させた姿、〈神閃〉が放たれる。限界ぎりぎり、クレマンティーヌが決して躱せぬ間合い。放たれた一振りは正確に女の頸部を狙う。この瞬間のためにブレインは〈神閃〉を温存し、今までじっと耐えてきたのだ。

 

「ッ──!? 〈超回避〉〈不落要塞〉〈流水加速〉」

 

(野郎……今まで本気じゃなかっ──!!)

 

 咄嗟に武技を使う。疾い。予想を遥かに上回る剣速。クレマンティーヌは首が吹っ飛ぶ己の姿を幻視した。

 

 不協和音が轟く。

 

 雌雄が決した。

 

 

「…………俺の、負けか」

 

 ブレインの眼前に女の姿があった。クレマンティーヌはブレインを押し倒し、馬乗りの形になっていた。あの一瞬、肺の中の空気が全てなくなったのだろう。空気を求め必至に喘いでいる。女の額から珠のような汗が伝った。ブレインは鋭い痛みに顔を歪ませる。視線の先、右肩にスティレットが深々と穿たれていた。鮮血が地面を濡らす。

 

「チッ……クソが」

 

 勝者であるはずのクレマンティーヌから余裕の色が消えていた。首に押し当てた指の隙間から赤黒い血が見え隠れする。ブレインの〈神閃〉はクレマンティーヌに届いていた。あと数センチ。否、ほんの数ミリ内側を抉っていれば頸動脈を斬り裂けたはずだった。格下と侮った存在にそこまで追い詰められた事実。クレマンティーヌは忌々しげにブレインを見下ろしていた。ブレインは諦念に瞼を閉じた。全てを出し切ってなお負けたのだ。ならば仕方がない。道半ばであるが自由に生きた結果だ。もう悔いは何ひとつ……いや、あった。たったひとつだけ。

 

「ああ……ガゼフに勝ちたかったなあ」

 

 今際の際、最後に洩れたのは未練がましい言葉。その言葉にクレマンティーヌは意味深な反応をみせた。

 

「ガゼフ・ストロノーフ? はっ、何も知らないんだねー……行方不明だよ、そいつ」

「……は?」

 

 死を覚悟したはずのブレインは、我知らず間の抜けた声を上げた。

 

「どういう──ぐあっ」

 

 身を起こそうとした彼の左肩に激痛が走る。新たなスティレットが杭のように穿たれた。さらに左右の腕が踏みつけられ制圧されてしまう。クレマンティーヌがサディスティックな笑みを浮かべた。

 

「ちょっとちょっとぉ、自分の立場わかってるー? アンタに他人(ひと)のこと気にしてる余裕なんてないはずだけど?」

「ガゼフは! あいつが行方不明ってどういうことだ!」

 

 痛みも、相手が生殺与奪権を握っている事実すら忘れてブレインは食ってかかる。

 

「知るかよ、王都で小耳に挟んだだけ」

 

 そんなブレインにクレマンティーヌは呆れたように吐き捨てた。半分真実で半分嘘だ。大方の検討はつく。周辺国家最強と謳われたガゼフ・ストロノーフほどの人物が行方不明。十中八九法国絡みだろう。陽光か漆黒かの色の違いはあろうが。

 

「そんな……ガゼフが……あいつが」

 

 ブレインの知るガゼフ・ストロノーフは質実剛健を絵に描いたような人物だ。王への忠誠心も厚く、何より職務を途中で放棄するような男ではないと、剣を交えたブレインが一番よく知っていた。彼の身に何かあったに違いない。死にかけていたブレインの目に活力が宿る。生への執着が頭をもたげた。

 

「頼む……俺を王都に行かせてくれ。この目で確かめたい──があっ」

「はああ? 何虫のいいこと言ってんの? てめえはここで死ぬんだよ!」

 

 トドメを刺そうと、クレマンティーヌは更なるスティレットを取り出した。男の胸の中心に突き立てようとして、

 

(…………待てよ? こいつも奴隷に堕とせば……)

 

 寸止めした。素晴らしい考えが天啓の如く閃いたのだ。

 

「いいよー、私からご主人様に話を通してあげるねー」

「──痛っ!」

 

 百八十度ころっと態度を変え、スティレットを引き抜いていく。すこぶる機嫌が良い。はっきり言って不気味だった。

 

 

「愚図で鈍間で脆弱。やはり下等生物ね」

 

 カツカツとヒールを鳴らし、女が一人、ブレインが守っていたはずの洞窟奥からやってくる。

 

「なっ──」

 

 ブレインは絶句した。如何にクレマンティーヌ一人に集中してたとはいえ〈領域〉を発動していたのだ。たとえ小石が落ちようと、透明化しようと範囲内であれば気づかないはずがない。驚いたことにもう一人の女も姿を消していた。

 

「あれー? ナーベラル様、ルプスレギナ様はどうしたんですー?」

「……メインディッシュを味わっているわ。全く、あの娘の悪食にも困ったものね」

「……メイン……ディッシュ? ぐえっ」

 

 首根っこを掴まれたブレインがクレマンティーヌに乱暴に引きずられる。強制的にナーベラルの前へ放り出された。

 

「ナーベラル様〜、この男が奴隷になりたいってー」

「はあ? 何を言っ──ぐっ」

 

 口を開こうとしたブレインは髪を掴まれ、無理矢理地に頭を押し付けられる。土下座の形となった。

 

「いいから黙って私の言う通りにしな? それともここで死ぬか?」

「…………!」

 

 クレマンティーヌのあまりの剣幕に気圧される。ブレインは訳がわからなかった。この女の矜持のなさはどうだ。ブレイン以上の強者にもかかわらず、ひたすら弱者のように振舞っている。ナーベラルは傅く下等生物(にんげん)たちを値踏みするかのように見つめる。一部の例外を除き、ナザリックに属するものにはナザリック外の存在は全て等しく無価値という共通認識がある。だが分を弁え恭順するものには多少の慈悲をかけることもある。

 

「ふん、下等生物なりに程度は弁えているようね。でも役に立つのかしら?」

「それはもう! 私ほどじゃないけど結構強いと思いますよー。殺すより絶対役に立ちますって」

「貴方より弱い? 存在価値ないじゃないの」

「あははー、ナーベラル様キッツいなあ〜」

 

「……とりあえず保留ね。ルプーと合流してから考えましょう」

 

 ナーベラルは踵を返し洞穴奥へと進んでいく。愛想笑いのクレマンティーヌはその背を追いかけながらブレインを振り返る。

 

「ああ、そうそう。言い忘れてた。ご主人様は二人とも私よりずぅっと強いから。そこのとこよろしくー」

「馬鹿……な」

 

 驚愕に顔を歪ませる。ブレインは今度こそ言葉を失った。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 極悪非道という言葉は『死を撒く剣団』のためにあった。戦時は傭兵、平時は野盗。王都近郊を行き来する馬車を襲い、盗み、殺し、犯した。犠牲となった商人、涙を飲んだ貴族やその娘は数知れず。奪われるよりは奪う方に回った方がいい。身勝手な考えの元、好き勝手に生きてきた男たちに今、巡りくる因果の報いの時がきた。

 

 

「ええー、もう足腰立たないんっすかあ? 大の男が情けないっすねえ」

 

 洞窟奥、広間。普段は食事を取るための開けた場所に、立っているのはルプスレギナだけだった。彼女を中心に放射状に血と肉とが散乱していた。呻き声がそこかしこから聞こえる。ぎりぎり生き残るように調整したのだから当然だ。最初の一回目こそきっちり殺していたが、〈死者復活(レイズデッド)〉をかけたら半数ほどが灰と化してしまった。遊べる玩具が減ってしまったルプスレギナは大層悲しんだ。学習した彼女は壊した玩具を治しながら大事に遊ぶことにした。ルプスレギナは満面の笑みを浮かべると、巨大な聖印を象った杖をバトンのようにくるくる回し、地に付き立てた。

 

「はーい、じゃあお代わりいっきまーす! 〈全体上位治癒(オール・グレーター・ヒール)〉」

「やめてくれ──」

「もう嫌だ……」

 

 嗚咽を洩らし懇願する男たちを知らんぷり、慈悲深くも無償で完全回復してあげる。散らばった肉片が消失し、男たちの肉体が元に戻る。これでもう五度目だ。

 

「さあルプスレギナ選手、次はどうするっす? そうですね、じゃあ人間スイカ割りで! はいどーん!」

 

 言うが否やルプスレギナは聖杖をフルスイング。一番近くにいた男の頭が石榴のように叩き割られる。飛び散る脳漿を浴び隣にいた男が情けない悲鳴を上げて崩れ落ちた。

 

「あははははは!! ぐちゅっ! だってうけるー!」

 

 この遊びをお気に召したルプスレギナは続けざまに男たちを殴打。鮮血が飛び散った。逃げ惑うものもいればもう動く気力もないものもいた。初めこそ果敢に挑みかかった男たちだが、ボウガンの矢の雨を浴びせても、剣で斬りつけても、槍で突いても。如何なる手段を用いても女のメイド装束に傷一つつけることができず、やがて皆心が折られていった。爆笑しながら杖を振り続けるルプスレギナは、やがて物憂げに溜め息を吐いた。顔だけ見ればまさしく深遠の令嬢。その実深淵の魔性。

 

「うーん、やっぱりクーちゃんほどの逸材はいないか」

 

 他者を残虐に甚振れるものほど、得てして痛みに弱いものだ。ここの男たちは全然遊び甲斐がない。虐殺と治癒をもう一巡し、やがて飽きがきた。重点的に男たちの足を折ると仕上げとばかりに指を鳴らした。

 

 火柱が上がる。広間が一瞬で燃え上がった。炎に煽られる男たちが必至に逃げようと這いずり回る。足を折られているため満足に動けず、あっという間に火に包まれた。

 

「こんがりウェルダ〜ン! 上手に焼けたっす!」

 

 断末魔の心地良い悲鳴を愉しんでいると、肉の焦げる匂いとは別な独特な匂いが鼻孔をくすぐった。ルプスレギナが邪悪に嗤う。

 

「ああ、デザートまで用意してあるなんて! 至れり尽くせりっすね、ゴチっす!」

 

 ルプスレギナはアリの巣のように入り組んだ袋小路を迷いなく進む。その内の一室、粗末な木の扉に手をかけた。そこは男達が拐った戦利品を楽しむための部屋だった。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 空がオレンジ色に染まる頃。案内された双子お気に入りの小さな広場で。シズを真ん中に三人、噴水の縁に腰掛けていた。鷲馬(ヒポグリフ)を象った像に流れる水の音。遠くで教会の鐘楼が鳴り響いた。もうすぐ陽が暮れる。双子はシズからもらったジュースを嬉しそうに啜っていた。ちなみにウレイリカはチョコ味、クーデリカはいちご味がお気に入りらしい。少女たちのヘアバンドに1円シールが自己主張していた。当初は髪かおでこに貼ってあげようとしたシズだが、今日の経験を思い出し学習した結果である。沈みゆく陽を眺めながらシズはゆっくりと問いかける。

 

「…………そろそろ帰らなくていいの?」

 

 幼い双子の姉妹はシズの手をぎゅっと握った。離そうとしない。焦らせず、じっと待っているとやがてどちらからともなく理由を語り出した。

 

「……帰りたくないの」

「…………どうして?」

「今日はお姉さまが帰って来ない日だから」

 

 たどたどしく話す二人の言葉を要約すると。少し前から優しかった両親が変わってしまったらしい。些細なことですぐ怒るようになり、使用人に怒鳴り散らすことが多くなったという。そのせいで家の雰囲気はすっかり暗くなってしまった。日に日に減っていく使用人の数に、増えていく豪華な調度品の数々。家を頻繁に出入りするようになった怪しい男。その頃から姉は仕事で家を空けることが多くなった。たまに帰って来ても両親と口論ばかり。姉も両親も大好きな双子は、家族が言い争っている姿など見たくない。

 

 語る内に悲しくなってきたのか、少女たちが泣きそうになる。こんな時どうすればいいかシズにはわからない。困り果てたシズの耳に声が届く。

 

「ウレイ〜! クーデ〜! どこー!」

 

 遠くから双子を呼ぶ声。少女たちは飛び上がると一目散に駆け出した。シズの視線が追う先。双子によく似た、少女たちを十歳は成長させたような容姿の少女が息を切らせて走り寄る。広げる両手に双子が勢い良く飛び込んだ。

 

「お姉さま! おかえりなさい!」

「おかえりなさい! お仕事はもういいの?」

「ただいま。思ったより早く済んだから……じゃなくて、二人とも? もうお家に帰る時間でしょ」

 

 姉に抱きしめられながら妹たちがはにかむ。

 

「えへへ、ごめんなさい」

「ごめんなさーい」

「……ごめんね、寂しい思いをさせて」

 

 本当は彼女にもわかっていた。二人が悪いわけではないと。本当に悪いのはもう貴族でもないのに散財し続ける父。それを咎めない母、そして無力な自分だ。予想に反し、妹たちは明るく笑った。

 

「ううん、大丈夫だよ!」

「今日はね、シズお姉ちゃんが一緒に遊んでくれたんだよ!」

「遊んでくれたんだよ!」

「シズお姉ちゃん?」

「…………そう、シズお姉ちゃんが遊んであげたの」

 

 空気を読み黙っていたシズが姉妹たちに近づき、えへんとない胸を張る。少女たちの姉は居住まいを正し、シズにペコリと頭を下げた。

 

「妹たちと遊んでくれて感謝する。私はアルシェ。アルシェ・イーブ・リイル・フルト」

「シズ・デルタ。シズでいい」

「では私のこともアルシェで」

 

 沈黙が降りる。

 

「…………」

「…………」

 

 自己紹介の後、二人は無言でしばし見つめ合う。どちらともなく握手を交わす。

 

「貴方とは気が合いそう」

「…………奇遇。私もそう思った」

「うふふ、お姉さまとシズお姉ちゃんお話の仕方いっしょ〜」

「いっしょ〜」

 

 双子が笑い、釣られてアルシェも笑う。シズの顔にも微笑みが浮かんでいた。

 

「シズお姉ちゃん今日はありがと〜!」

「また絶対一緒に遊んでね〜!」

「では、また」

 

 いつまでもこちらに手を振り去っていく三つの影を見つめながらシズは思う。アルシェの格好、そして背負う大きな杖。おそらく彼女は冒険者なのだろう。双子から得た情報を総合するとアルシェの家は……いや、やめておこう。そこから先は彼女たちの問題だ。そう結論付けるとシズは帝城へと歩き出す。心なしかその足取りは普段より少しだけ速かった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「…………ただいま」

「おかえりなさい、シズ」

 

 帝城に帰還し、ユリの部屋を訪れる。シズは窓辺に立つユリに近づくとそっと腰に手を回した。その胸に顔を埋める。

 

「どうしたの?」

「…………何となく」

「ふふ、今日は甘えん坊さんね」

 

 滅多に甘えてこない妹に嬉しくなった長女はそっと妹の髪を撫で挙げた。しばらく後、すっかりいつもの調子に戻ったシズはユリと今日得た情報を交わす。中央市場、北市場共に目立った発見はなかったし、それは市街地も同じだった。膨大な書物を紐解くユリもまた、目新しい情報はない。となると妹たちに期待するしかない。

 

 

「そろそろ始めようかしら。シズ、お願いね」

「…………了解」

 

 〈伝言(メッセージ)〉を起動、遠方の姉妹たちに連絡を取る。プレアデス定例報告会。毎日、朝晩と連絡を取り合い情報交換を行うのがプレアデスの日課だった。こんな時、末妹のオーレオール・オメガがいてくれたらなとユリは思う。彼女がいれば指揮官の特殊技術で全員で一斉に〈伝言(メッセージ)〉でやり取り出来るだろうに。無い物ねだりしても仕方がない。

 今朝の報告ではルプスレギナ、ナーベラル組はエ・ランテルを出立し王都リ・エスティーゼへ。ソリュシャン・エントマ組はそろそろ法国首都に潜入するとのこと。皆上手くやっていればいいが。人様に迷惑をかけていないか長女としては気が気でない。

 

「…………こちらシズ。聞こえる?」

『あー、シズちゃんちーす! 元気っすかー?』

 

 まずは帝国組のルプスレギナ。馬の駆ける蹄と車輪の音。馬車内と容易に推測できた。

 

「いつもと同じ。そちらはどう?」

『絶好調っすよー! 今ねー、クーちゃんに次いでブーちゃんっていう玩具が──』

「ルプーの様子は……聞くまでもなさそうね」

「…………うん、とても元気」

 

 シズは耳を押さえて少しうるさそうにする。ユリにも〈伝言(メッセージ)〉が届く。ナーベラルからだ。

 

『こんばんは、ユリ姉さま。お元気そうで何よりです』

「ええ、貴女もね、ナーベラル」

『はい。つい先刻も下等で下賎な野党どもの住処を壊滅させたところです』

「そう、よくやったわね」

 

 ナザリックの人間嫌いにおいて、ナーベラルは突出している。いくら言っても下等生物呼ばわりは直らなかった。今回のケースは珍しく文脈が正しいのでユリは手放しで妹を褒めた。

 

『ところでユリ姉さま、ソリュシャンとエントマにはもう連絡を?』

「いいえ、これからよ。どうかしたの?」

『ああ、そうそう! クーちゃんが気になること言うから教えてあげようとしたんっすよ。でもソーちゃんにもエンちゃんにも繋がらないっす!』

「…………そうなの?」

 

 ソリュシャンは巻物(スクロール)を騙すことで、エントマは呪札でそれぞれ〈伝言(メッセージ)〉を使用可能だ。片方が手を離せない時はもう一方と連絡を取る。それが常だった。両者ともに連絡を取れないというのは奇妙な話だ。シズはルプスレギナとの〈伝言(メッセージ)〉を終了すると、エントマに〈伝言(メッセージ)〉を送る。姉たちの言う通り、反応がない。ソリュシャンに試しても同じだった。

 

「潜入捜査でもしているのかもしれないわ。少し様子を見ましょう」

「…………うん」

 

 結局、深夜まで待っても〈伝言(メッセージ)〉は返ってこなかった。シズは窓辺から空を仰ぐ。いつのまにか立ち込めた暗雲から水滴が零れ落ちた。一滴、二滴……やがてそれは無数の雨粒となり帝国全土のみならず、周辺国家中に降り注いだ。



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