迷子のプレアデス 作:皇帝ペンギン
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地獄。そう形容する他ない光景が広がっていた。
「あはははははは!! たっのしいぃいい! もう最っ高ー!!」
恍惚の女が踊る。クレマンティーヌは返り血を浴びながら狂ったように嗤う。眼、こめかみ、脳天、頸静脈、心の臓、各種主要臓器。的確に急所を射抜き野盗たちの命を散らす。
「ひ、ひぃいいいい!?」
「こいつ、ヤバ……ぐげっ」
「助け──」
一人、また一人と唯の肉片と化す。眼が抉れ舌が引き抜かれ指が飛ぶ。阿鼻叫喚。男たちは散り散りに逃げ出そうとするがその背が容赦なく穿たれる。ある者にはモーニングスターが後頭部に命中、頭蓋が陥没した。周囲に脳漿をぶち撒ける。瞬く間に野党の数は減り、遂には最後の一人となる。最後尾にいた男は千切れかけた片腕を庇いながら必死の形相で逃げた。
「んん〜、ダメだよぉ? もっと私を楽しませなきゃ──!!」
「クーちゃんステイ!」
ビクンと身を竦める。クレマンティーヌは投擲の構えのまま固まった。文字通り骨の髄まで恐怖で縛られているのだ。ルプスレギナの言葉一つでどんな命令でも従わざるを得ない
「あ〜あ、逃げられちゃった。どうして止めた……んですか?」
ノリノリのところを止められたクレマンティーヌは憮然とした表情で抗議の意を示した。外したスティレットを回収する。
「これで終わりじゃあつまんないっす! あの大世帯、きっとどこかにあいつらの巣があるに違いないっすよ」
「下等生物の考えそうなことね。私たちに弓を引いた罪、死を持って贖ってもらいましょう」
二人は点々と続く血の跡を眺める。プレアデスに喧嘩を売ること。それ即ちナザリックに──至高の御方々への無礼に繋がるのだ。相手が取るに足らない雑魚とはいえ、このままで終われる筈がない。
「〈
ナーベラルが上空へと飛翔する。それを見届けるとルプスレギナはクンクンと鼻を鳴らした。万一にも獲物を逃さぬように血の匂いを辿る。
「それじゃあクーちゃん! 行くっすよー」
「はーいご主人様」
かつて疾風走破の二つ名で呼ばれたクレマンティーヌをはるかに上回る速度でルプスレギナが駆け出した。クレマンティーヌも後に続く。
「あーあ、ご愁傷さま。あのまま私に殺されてれば良かったのにねー」
クレマンティーヌは性格破綻者であるが感情がないわけではない。滅多にしないも今回ばかりは敵対者への同情を禁じ得なかった。
◇◆◇
バハルス帝国西部、帝都アーウィンタール。中央市場から離れたあまり人が寄り付かない裏通りの一角。白、黒、三毛、サバシロ、茶トラ。シズと少女たちはもふもふした生き物に囲まれていた。
「…………ふわふわ。もふもふ」
「ねこさん可愛いよね」
「ねー」
シズは猫をぎゅっと抱きしめる。なるほど、至高の御方の話題に上るのも頷ける。ねことは非常によいものだ。しかし理解したのは猫が可愛いという事実だけ。この場に至高の存在の手がかりはない様子だ。本来ならばすぐにでも別な手がかりを求めてこの場を離れるべきだろう。だがシズを抗えがたい衝動が襲う。もっともふもふしていたい。〈
シズはどこからともなく1円シールを取り出すとそっと猫へと近づけた。
「…………む」
途端、今の今まで大人しかった猫が暴れ出す。するりとシズの腕を逃れると少し離れたところで毛を逆立てた。どうやら威嚇しているようだ。
「…………どうして逃げる?」
シズは若干むっとした顔になる。どうして嫌がるのか理解できない。
「シズお姉ちゃんダメだよぉ、ねこさんは毛が汚れるとすっごく怒るんだよ」
「この間もお水の入ったお皿をひっくり返して大変だったんだから!」
「「ねー」」
クーデリカ、ウレイリカが声を揃えて教えてくれる。なるほど、確かに髪の毛に変なものがつくと嫌なものだ。シズは自分の髪に変なもの──例えば生肉などが──べっとりつく光景を想像した。
「…………うん、すっごく嫌」
表情にこそ出ないがシズとて感情はある。シズに近しいものが見ればわずかに寄った眉根に気づいたことだろう。
「シズお姉ちゃん、ねこさんに一緒にご飯あげようよ!」
「あげよー!」
双子は小さな袋を掲げた。中には肉や野菜の切れ端が入っていた。使用人に頼んで用意してもらったとのこと。つまりはこの双子は貴族の子なのだろうか。シズは二人に倣い手のひらにそれを載せる。途端、猫たちがにゃーにゃー我先にと集まった。よほどお腹を空かせていたのだろう、ものすごい勢いで食べ始めた。
「…………ん」
シズは空いた手にも野菜片を乗せ、先ほど逃げてしまった猫へと向ける。警戒していた猫が恐る恐る近づき鼻先を鳴らす。ゆっくりとシズの手のひらから餌を食べ始めた。
「…………おお」
シズの瞳の輝きが増す。食べ終えた猫がぴょんとシズの肩に飛び乗った。そのままシズに身を寄せ頬擦り。ぺろぺろと彼女の頬を舐めた。
「……くすぐったい」
「あー、シズお姉ちゃんいいなあ!」
「いいなあ」
シズが柔らかく目を細める。双子たちが羨ましそうに歓声を上げた。
◇◆◇
ブレイン・アングラウスという男がいた。青みがかったボサボサの髪、冷ややかな口元には伸ばしっぱなしの無精髭。対して茶の眼光は鋭く、細身ながら鍛え抜かれた体躯はたゆまぬ努力の結晶だ。農夫の生まれながら剣の才は天稟といっていいほど。それまで才能だけでやってきた彼の鼻を叩き折ったのは現王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。御前試合決勝戦にて彼に負け、人生初の敗北を味わった。以来、ガゼフを越えるため、血の滲むような修行に明け暮れる。結果以前の自分はもちろん、ガゼフをも超えたと自負している。そんな彼が望むのはガゼフとの再戦。かつての敗北を勝利で塗り替えること。それから最強の称号。そのためには己をより高めるため、対人戦が必要不可欠だった。それが彼が此処にいる理由だ。
傭兵団『死を撒く剣団』。根城とする洞窟内は慌ただしかった。男たちは行ったり来たりと忙しなく動き回る。武器を手に「侵入者だ!?」「何人だ!」と怒号が飛び交っていた。これには理由があった。狩りに行った一団の一人が半死半生の体で帰ってきたのだ。発狂したように怯える男が言うには化け物がやってくると。ついに討伐隊でも編成されたのか? それにしては様子がおかしい。とにかく、急ぎ入り口の防備を固めようとして、
「〈
入り口から轟く轟音、それと光。遅れて衝撃が洞窟を揺らした。立ち込める土煙の向こう、待ち構えるブレインに近づいてくる三つの影。いずれも女のものだ。王国アダマンタイト級冒険者チーム蒼の薔薇かと思ったが、どうやら違うようだ。
「よう、ご機嫌じゃないか」
「まぁね。久しぶりに殺れまくって最高の気分だよ! 雑魚ばっかで歯ごたえはないのがちょっち残念だけどねー」
先頭にいた軽装の女が軽口で答える。戦士一人に
「それは悪かった。俺が楽しませてやるよ」
「えー、アンタが? 一人で? ふぅん」
女が値踏みするようにブレインを一瞥し、
「じゃあやってみな──よっ」
刹那、女の足元が爆ぜた。前傾姿勢のまま信じられない速度で刺突剣が穿たれる。甲高い金属音が響いた。
「ッ──」
「ッ──」
男は高速で穿たれた刺突剣を咄嗟に抜刀した刃で凌いだ。それだけで充分だった。瞬間、互いの力量を把握した。女が大きく跳びのき距離を取る。
「マジかよ……」
男は思った。この女は強い。自分はおろか、もしかしたらガゼフ・ストロノーフをも上回るかもしれない。
「──へえ」
女は思った。本気の一撃ではないがアレを受け止めるなんて。表の人間にしては相当やる。瞬時に思考を巡らせる。風貌、推定年齢、使う獲物。風花が集めた情報に一人、該当しそうな人物がいた。
「ブレインだ。ブレイン・アングラウス」
「やっぱり。知ってるよー、アンタのこと。有名人じゃん」
名乗りをあげるブレインに女は大きな口元を歪める。
「それは光栄だな。で、お前は?」
ブレインは女に全く心当たりがなかった。これだけ強ければ噂くらい聞いてもいいはずだ。他国のアダマンタイト級冒険者だろうか。
「ん? 私? 私はクレマンティーヌ。今はご主人様たちの奴隷やってまーす」
「どうもー、ご主人様その一のルプスレギナっす〜!」
「私は違うわよ? そんな下等生物の主人になった覚えないもの」
よくわからないパーティだ。メイド服の女が主人とは。何かしらの倒錯的趣味か。クレマンティーヌとやらは剣奴なのだろうか。まあ、良いだろう。戦う上で何も問題はない。たとえ農夫でも王でも一切関係ないのだ。強い方が勝つ。ただそれだけだ。
「いいねいいねー、アンタなら少しは楽しめそう」
「ほざけ──!」
逆に試金石にしてやると息巻き、ブレインは刀を上段に振り上げた。彼女に勝てたなら、その時はきっとガゼフ・ストロノーフを超えたと確信できる。対するクレマンティーヌは腰をひくく落とし、得意の前傾姿勢で突貫。人類屈指の二人がぶつかり合った。
「……もうやってもいいかしら?」
「えー、もう少しいいじゃないっすか。潰しあえ〜」
痺れを切らしそうなナーベラルにルプスレギナが腹を抱えて笑った。
◇◆◇
その頃、スレイン法国では由々しき事態が起きていた。連続行方不明事件。後に上層部はそう名付けた。主に赤児や幼児、それから働き盛りの男や若い女。時には老若男女問わず。ある日何の脈絡もなく忽然と姿を消したのだ。国民全てを戸籍登録している法国だからこそいち早く察知することができた。
不可思議なことにその事件にはある奇妙な法則があった。それが多いのか少ないのか議論の余地があるが、行方不明者は一つの村や都市で数人単位。さらに一度被害に見舞われた地域で二度目は確認されていない。そして、被害はエ・ランテル近郊の村から始まり、徐々に神都に近づいているのだ。
法国最奥、限られたものしか入れぬ一室にて最高幹部らは頭を悩ませていた。
「……やはり、
「まだそうと決まった訳ではないだろ?」
「しかし発生時期が陽光聖典失踪とほぼ同時期ではないか」
最高神官長の言葉に六人の神官長が各々の意見で答える。同調する者、反論する者、答えあぐねる者。議論は紛糾しまた長引くだろうことは誰の目にも明らかだった。
「二百年振りの来訪者は……人類に敵対する者ということか」
「いや、事情を知らぬその者が義憤によりニグンたちと敵対しても不思議ではあるまい」
腐敗した王国を弱体化させるための王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ暗殺計画。彼を誘い出すために犠牲になった辺境の村々、王国の民。人類を守る──大事の前の小事と切り捨てる覚悟が法国にあった。だが偶然その現場に彼の者が遭遇したとしたら? 陽光聖典の所業は明確な〝悪〟として映るに違いない。だとしたら不幸な事故だ。誤解さえ解けたなら、和解の余地は十二分にある。
「その場合、
「ではあの行方不明事件は何だ? 全くの無関係と言うのか? あれはただの偶然で、たまたま人を攫う何者かがこの地に近づいていると!」
「落ち着くのだ。どちらにせよ、未だ推測の域を出ぬ」
「巫女姫による監視は?」
「ダメだ、対象であるニグンが既に滅ぼされたようだ。何も見えぬ」
「手がかりは彼の者がおそらくは女性で、メイド服のようなものを身に纏っているというだけか……」
神々の残した秘宝にも似たようなアイテムがある。例えそれが本当にメイド服だとしても何も不思議はないだろう。
「漆黒聖典を呼び戻すか?」
「いや、彼らは今重要任務の最中だ」
「
「全く……頭痛の種が尽きぬものよ」
「とにかく、何らかの手を打つ必要があるな」
漆黒聖典の一人、〝占星千里〟による