迷子のプレアデス   作:皇帝ペンギン
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第一話

 朝の光が帝城を照らす頃、長い回廊を行く一人の女がいた。黒檀のような髪を夜会巻きに束ねる彼女の名はユリ・アルファ。足取りひとつとってもどこか優雅さを感じさせる。

 

「おはようございます、アルファ様」

「おはようございます」

 

 ユリは柔らかく微笑み、メイドたちと丁寧に挨拶を交わす。仕草ひとつとっても同性ですら見惚れてしまう程だ。凛とした佇まいはそのメイド服が伊達ではないことを窺わせた。歩く姿は百合の花とはよく言ったものだ。当初は〝黄金の姫〟に比肩する容姿故、メイドたちに疎まれていたものだが。数日と経たずしてその評価は一変する。

 ユリとシズには賓客としてそれぞれに部屋が用意されていた。ベッドメイクに立ち入ったメイド曰く、二人が使用した部屋はむしろ以前よりも輝いて見えたという。塵ひとつ、埃ひとつない床。曇りない窓はまるで鏡のよう。ベッドカバーやシーツなどはまるで下ろしたてのように皺ひとつ存在しない。ユリたちが垣間見せた桁外れのメイド力にメイドたちの嫉妬は憧れへと昇華していた。二人には自覚などないが、今では軽くアイドル扱いである。

 すれ違う寸前、廊下の端に寄り会釈するメイドの胸元でユリの視線が止まる。

 

「あら、貴方。リボンが曲がっていますよ」

「あ、ありがとうございます!」

 

 ユリはメイドのリボンを手慣れた手つきで整える。年若いメイドの顔は真っ赤に染まっていた。

 

「気をつけなさい。メイドの立ち振る舞いひとつで主人の品格が見定められることもあるのですから」

「は、はい! ありがとうございます!」

 

 軽く会釈しメイドたちとの会話を切り上げるユリ。背後から聞こえる黄色い歓声が彼女にナザリックでの記憶を思い起こした。妹たち以外の一般メイドも、皆ユリのことをお姉さまと呼び慕ってくれていた。ちょうどあの子たちのように。

 早くナザリックへと帰還しなくては。思いを一層強めたユリの足は帝城を後に歴史研究所に向いていた。省庁ではなく、研究所止まりなのは魔法省などと比べて国としての優先順位が低いためだろうか。

 ジルクニフの許可は既に得ている。すっかり顔馴染みとなった受付職員と挨拶を交わすと、ユリはいつもの棚へと赴いた。見上げるほど大きな棚には分厚い本や巻物がびっしりと敷き詰められている。ユリはその中からアインズ・ウール・ゴウンやナザリック地下大墳墓の手がかりになりそうなものを吟味する。六大神、または四大神。八欲王に十三英雄。十冊ほどを選び出し机に積み上げた。

 この世界はナザリック地下大墳墓があった世界ではないかもしれない――長い議論の末に出したプレアデスの総意だった。言葉こそ通じれどナザリックと全く違う言語。見たことのない通貨に聞き覚えのない国家群。文化、風習。そしてアインズ・ウール・ゴウンという存在を誰一人知らぬという事実。あの名が轟いていないというのはあまりにも奇妙な話である。

 まだナザリックが至高の御方たちで賑わっていた頃、彼らの会話の中にときおり“りある”やムスペルヘイム、アースガルズと言った異世界の話があった。ここは数ある世界のうち、未だ至高の御方の威光の届かぬ辺境の地なのではないか。仮説を裏付ける何かが欲しい。ユリは過去にその情報を求めた。

 

「手がかりになるものがあると良いのだけれど」

 

 幸いなことに、ユリの眼鏡は他言語を自動で翻訳する機能を有していた。創造主たるやまいこに感謝しつつ、ユリは選んだ一冊「六大神がもたらした奇跡」という銘の本を紐解いた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「……え」

 

 思わず漏れた吐息は誰のもの? 妹たちか、それとも自身のものか。ユリは困惑した面持ちで傅いた体勢を解く。先刻までプレアデス(自分たち)はナザリック地下大墳墓、第十階層の玉座の間に控えていた。段上にいたアルベドも傍らのセバスも、玉座に座す至高の御方の姿も見当たらない。どこにも。

 視界に広がるのは鬱蒼と生い茂る木々や草花。一瞬、ナザリック第六階層かと思ったが、木漏れ日から見え隠れする青空と光とがそれを否定する。第六階層は星天の夜空だったはず。そもそも香る草木の匂いも違うし、第六階層守護者(アウラ)が操る魔獣たちの気配もない。

 少なくともナザリック地表の神殿部からは遠く離れているだろう。記憶が確かならば、ナザリックは何人をも寄せ付けぬ毒の沼地に存在したはずだ。目の前に広がる光景とは似ても似つかない。

 

 真っ先に思い当たる可能性は侵入者の仕業。魔法詠唱者(マジック・キャスター)が自分たちをナザリック外へと強制転移させたのでは? 至高の存在は言うに及ばず、守護者統括たるアルベド、プレアデスリーダーのセバスは共に百レベルの絶対的強者。高レベル故、彼らを強制転移させることはできなかったのであろう。

 そこまで思考し、全員の顔色が変わる。血の気の引く思いだった。プレアデスの存在意義、至高の御身を守る盾として死ぬことができないではないか。急ぎナザリックに帰還しなくては。そう結論付けた時、ルプスレギナがくんくんと鼻を鳴らす。人狼(ワーウルフ)の彼女はいち早く異変を察知した。

 

「ユリ姉、何か焦げ臭いっす! 血の臭いも! 向こうの方からっす!」

「あれは……魔法?」

 

 木々の向こう、ルプスレギナが促す方向からいくつも黒煙が立ち昇っている。さらにナーベラルが魔方陣の輝きに気づいた。続いて轟く爆音。

 

「行ってみましょう!」

 

 可能性は低いが至高の存在や仲間たちがいるかもしれない。戦闘メイド(プレアデス)は誰ともなく駆け出した。

 

 

「なっ、何者だ貴様ら! どこから現れた!?」

「――――!」

 

 そこには凄惨な光景が広がっていた。元は小さな集落だったのだろう。徹底的に破壊し尽くされ、燃やされた家屋。そこかしこに転がる村人や戦士風の死体。目の前には数十人の魔法詠唱者(マジック・キャスター)。怒声を上げる金髪の男を除き、皆一様に奇怪なフードで顔を覆っている。さらにその魔法詠唱者(マジック・キャスター)が召喚したと思しき無数の天使。天使たちが持つ光の剣が四方から黒髪の男を貫いていた。金属鎧を纏った屈強な体躯から鮮血が噴出し、黒髪の男は前のめりに崩れ落ちる。その瞳からは既に光が失われ、何も映してはいなかった。

 

「村人の生き残りか? ……まあ、良い。運がなかったな、女!!」

 

 金髪の男が吼える。部下の魔法詠唱者(マジック・キャスター)がすぐさま天使へと命令を下す。一体の天使が勢いよくプレアデスへと躍り掛かった。

 

「…………」

 

 瞬間、ユリの剛拳が唸る。天使の懐へと踏み込み強烈な一撃を叩き込んだ。思い切り吹き飛ぶ天使は、他の個体を巻き込み消滅。光の粒子が舞い散った。

 

「なっ、馬鹿な……!?」

 

魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちにどよめきが広がる。

 

「みんな、戦闘用意!」

「はいっす!」

「はい!」

「了解」

「はぁい」

 

 ユリの瞳が義憤で燃え上がる。黒髪の男の背後、死した村人の中に少女がいた。少女はより幼い少女を庇うように抱きしめ、背中から斬られる形で絶命していた。妹もろともに斬り伏せられたのだろう。同じ妹を持つ姉として、思うところがあったのだ。戦闘メイド(プレアデス)はその本領を発揮した。

 

 

 

「……ユリ姉、こんなことして何の意味があるんすか?」

「ほら、無駄口叩かない。口よりも手を動かして」

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちを始末した後、ユリたっての願いでプレアデスは穴を掘り、死者を弔っていく。村人やおそらく村人を守るために散っていった戦士たちを埋葬した。ルプスレギナとナーベラルは渋々、ソリュシャンとエントマは食事後なので上機嫌に。シズは無表情で淡々と。簡易であるが村人には石を、戦士たちにはその剣をもって墓標とした。それからユリは散っていったものたちへ黙祷を捧げる。

 

「きっと……やまいこ様ならこうすると思うわ」

 

 ユリの言葉は何よりも説得力があった。なるほど、あの慈悲深き御方ならば下等生物(にんげん)にも慈悲を与えるのだろう。妹たちも人間のためというよりは至高の存在へと敬意を払いそれに倣った。

 その後()()()を尋問した結果、そう遠くない位置に大都市エ・ランテルがあり、そこからほぼ同じ距離に三つの大国があると判明した。一刻も早くナザリックに帰還する――そのためにプレアデス六人を二人ペア三チームへと分け、効率的に探索することにした。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「ふう……これもダメね」

 

 ユリは溜息混じりに本を閉じた。アンデッド故疲労はないが、その表情にはどこか落胆の色があった。

 

「六大神のひとり――スルシャーナ」

 

 唯一ユリの興味を惹いたのは最も古きに人類を救ったとされる六人の神。そのうちの死の神、名はスルシャーナ。彼は異形種でありながら、人類を救い今日のスレイン法国の基礎を築いたという。ユリの白磁のような指が無意識のうちに挿絵に描かれた髑髏の相貌をなぞっていた。

 

「……モモンガ様」

 

 脳裏に浮かぶのは至高の存在。その中でも最も慈悲深い君。最後まで自分たちを見捨てずに側にいてくださった御方。口伝するうちに伝承が歪み、()の御名がねじ曲げられた、という説はどうだろうか。我ながら暴論だとユリは自嘲気味に笑う。会いたい気持ちは募るばかりだ。

 

「法国のことはあの子たちに任せましょう」

 

 妹たちの顔を連想した時、遠くから鳴り響く神殿の鐘楼の音。気がつくともう陽が傾き、夜の帳が下りかけていた。

 

「いけない、そろそろシズと合流する時間ね」

 

 シズには今日は中央市場の方を担当してもらっていた。帝城で合流し、本日の情報の擦り合わせをしなければ。

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

「よろしいかしら?」

「はい? ええと、貴方は確か四騎士の……」

 

 帝城に戻ったユリに意外な人物が話しかけてくる。ジルクニフの護衛の一人。帝国四騎士の紅一点、レイナース・ロックブルズだ。

 

「ロックブルズ様?」

「覚えていてくれたのね、嬉しいわ」

 

 笑顔を浮かべるレイナースだが少しも友好的な雰囲気はない。むしろピリピリとした敵愾心があった。

 

「貴方、腕に覚えがあるのでしょう? 少し付き合ってくださいな」

「ええ、喜んで」

 

 普段のユリであればこのような見えすいた挑発になど乗らないだろう。しかし今日はモヤモヤとした気持ちを抱えてしまい、思い切り身体を動かしたい気分なのだ。二人は中庭へと移動した。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「どう思う? じい」

 

 帝城政務室。帝国の支配者、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは窓辺にもたれかかり、その視線を中庭へと一身に注いでいた。

 

「何のことですかな、皇帝陛下?」

 

 長く蓄えたあご髭を撫で上げながら、じいと呼ばれた帝国最高の魔法詠唱者(マジック・キャスター)、フールーダ・パラダインは宣う。

 

「決まっているだろ? アインズ・ウール・ゴウンについてだ」

 

 中庭では二人の美女が激しい模擬戦を繰り広げている。“重爆”の名を冠すレイナースの槍をユリは完璧に見切っていた。初見にも関わらず、一合たりとて掠りもしない。

 

「ふむ……もしもアインズ・ウール・ゴウンなる組織が実在するとしたら、帝国にとって潜在的な脅威となりえるでしょうな」

 

 ジルクニフが頷く。自分と全くの同意見だ。はるか南の砂漠にあるという天空城並みに眉唾ものであるが。しかし現に彼女たちはここにいる。考えたくはないが、帝国最強の四騎士や武王を超える力を持つ存在を、単なるメイドに据え置く。そんな規格外な組織が存在するとしたら? いっそのこと、全てが(ブラフ)であればどんなにいいか。あくまでもユリ・アルファが最高戦力で、そんな彼女にメイドの格好をさせる倒錯者が支配者の組織。それはそれで問題がありそうだ。ともかく、最悪の想定に備えておく必要があるだろう。

 

「……何とか彼女を取り込めないだろうか」

 

 それとなく探りを入れてみたが、ユリの忠誠心は非常に高い。組織を鞍替えさせるのは難しいだろう。妹の方は無表情で反応に乏しい。どうしたものか。ジルクニフは腹部を手で抑えた。何だか胃がキリキリと痛むように感じた。

 

 

「降参です。流石ですわね」

「いえ、非常に実りあるものでした。ロックブルズ様」

 

 何度槍を穿っても掠りもしない。息を切らしたレイナースが槍を収め、降参とばかりに両手を挙げた。

 

「レイナースと呼んで下さいな」

「では私のこともユリとお呼び下さいませ。レイナース様」

 

 拳を合わせることでお互いの実力を認め合ったのだろう。二人が握手を交わす。美しい光景だ。バハルス帝国とアインズ・ウール・ゴウンもそのような関係になれると良いのだが。

 

 

 




次回はシズ編です!


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