実は渡航前にも、連絡を取り合っていた女性から、絶対に本名を明かさないこと、そして顔写真の撮影は不可であると告げられた。デモ参加者たちは今、デモが行われている場所に移動する際、足がつかないように地下鉄で使用するICカード「オクトパスカード」の使用を控え、マスクやサングラスなどで顔を隠し、駅や政府機関の建物や物に指紋が残らないように手袋を着けるなど、徹底したセキュリティ対策が取られている。
前出のメリーさんも、帽子で髪を隠し、サングラスとマスクを着け、手首のタトゥーが見えないよう手袋をしてデモに参加しているようだ。立法会周辺の指紋やDNAサンプルが回収されていると噂されているため、軍手や手袋をする人が多いのだという。香港の気温は日中も夜も30度近くあり、湿度は日本より高い。私は香港で、とてもそんな格好をしたいと思えなかった。
デモが行われていない日でも、立法会周辺は警戒体制が敷かれている。この日は、デモで破壊された標識や残されたゴミや残骸の片付けが行われていた。そんな中、英国の国旗を持ち、度々視察に現場を訪れる政府関係者たちに対して声を上げる女性がいた。
アレクサンドラ・ワンさん、63歳。彼女の顔と名を知らない者は香港ではいないほど、毎回デモに参加して抗議活動を続ける有名人だ。また今回話を聞いた中で、唯一顔出しの写真撮影を許してくれた1人でもある。彼女は立ち入り禁止のテープが貼られているにもかかわらず、何食わぬ顔で立法会の敷地内に入り、旗を振り続ける。
オーストリアで音楽留学をしていた経験のあるワンさんは、デモに参加する多くの若者とは異なり、英国領時代から香港で生活してきた。英国から解放され、中国に返還されたときは、ようやく自由になったと喜んだという。
しかし、「それからの香港は良くなるどころか、悪化するばかりで、英国領時代に許されてきた言論の自由が今なくなろうとしている」と語る。だからこそ、あえて植民地支配していた英国の国旗を持ち、毎日立法会前で自由と民主化を訴えているのだという。
「私たちの多くは、元をたどれば中国人。中国の血を引く香港人がほとんどだ。だから私は、中国人を悪く言おうとは思わない。だが今の中国のように、香港に自由がなくなってしまうのは許せない」。