1964年の東京オリンピックの食堂を支えた若き料理人たちの物語
「夢食堂の料理人」放送はいよいよ明日、19時30分からです。
さて、「オリンピック選手村」ってどんな所でしょう?
どんな人が働いているのでしょう??
ほとんどの人が、オリンピック選手になった経験はない訳ですから、知らなくて当然ですよね。
しかし、考えてみてください。
各国からやって来た選手とそれをサポートする選手団の人達が、一定の期間、この選手村に住むわけですから、生活が出来る環境、そして生活をサポートする施設が整っているはずです。
そして「あの国の選手村は最高に住みやすかったよ」と海外から来る人達に言わしめたいと、開催国なら当然考えるはずです。
何故なら、オリンピックの時の“おもてなし”が、自分の国の評判に直結するからです。
では、1964年の東京オリンピックは、どんな感じだったんでしょうか??
このドラマでは、選手村で働く様々な職種の人達が登場します。
主人公の三郎(高良健吾さん)は、料理人です。
選手村の中にある「富士食堂」で働いています。
そして、この富士食堂の料理長は、帝国ホテルから来た村山信一(市川猿之助さん)です。
村山料理長の指導の下、若き料理人たち(宮舘涼太さん、渋谷謙人さん、小平大智さん)は、毎日、朝は早くから夜は遅くまで、立ちっぱなしで、およそ7000人にもおよぶ各国選手の為の料理作りの毎日です…。
実際に当時食堂で働いていた人に聞くと、握り飯を昼も夜も立ったまま食べ、料理の準備→料理→次の日の料理の仕込み、という毎日が目まぐるしく続いた、といいます。
又、選手村には、様々な施設がありました。
島田恵子(松本穂香さん)は、選手村内にある理髪室の理髪師さんです。
選手達は、競技の前に気分転換をはかる為に、又、表彰台に上がる事を意識して、髪を切りに来たり、ヒゲをそりに来たりしました。
野島芳江(須藤理彩さん)は、通称“オリンピックママさん”と呼ばれた、管理事務所で働くサービス員です。主に家庭の主婦が選ばれました。
選手たちが日々の生活の中で困る事、例えば、裁縫やアイロンかけなどの手助けを、まるでお母さんのように世話してあげた事から、「ママさん」と呼ばれていました。
その他にも、各国語に対応した通訳の人がいたり、警備は自衛隊員が請け負っていたりしました…。
(ドラマに登場する人々の名前はもちろん役名です)
施設としては、日替りで映画や音楽会が行われる劇場があったり、おみやげが買える購買施設もあったそうです。
又、外国の選手が琴・和服の着付け・茶道・生け花など、様々な日本文化を経験する事ができるようなイベントも、ほぼ毎日開かれていたといいます。
(↑実際のオリンピック劇場)
選手達が競技に集中出来るように、又、リラックスして本番に臨めるように、種々様々な人達が、裏方として選手村で働き、オリンピックの成功に貢献しました。
東京オリンピックに選手として出場した後、いわゆる“日本びいき”となった海外の選手が何人もいた、と言われています。
それはまさしく、ここで紹介してきた様々な裏方さんの勝利、ともいえます‥。
このドラマでは、こういった「おもてなしの原点」
選手村に働く様々な日本人たちの活躍・苦労を描いていきます。
作:鈴木聡 音楽:川村竜 語り:小堺一機
出演:高良健吾 松本穂香 宮舘涼太 渋谷謙人 小平大智 迫田孝也
マックス 岸井ゆきの 德光和夫 須藤理彩 市川猿之助 ほか
放送は、[総合] 明日火曜日、夜19時30分からです
どうぞお楽しみに!!
投稿者:スタッフ | 投稿時間:18:02 | カテゴリ:夢食堂の料理人~1964東京オリンピック選手村物語~