糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

07月23日の「今日のダーリン」

・ときどき、じぶんの書いたメモを見るのはおもしろい。
 ただ、それが、じぶんのことばなのか、
 だれかのことばの引用なのかわからないことがある。
 ちょっと添え書きをしておけばよかったのだけれど、
 それがない場合は、ちょっと悩む。
 得意そうにどこかに発表したとき、
 それがだれかのことばだったら困ったことになる。

 しかし、あまりにもくだらないメモの場合は、
 大丈夫、じぶんの考えたことだとわかるから。
 たとえば、こんなのね。
 「数パーセントとスーパー銭湯は、
  ちょっと似過ぎじゃないかい!」
 これはこれで、その通りなのだけれど、
 ここからなにかの原稿を書きはじめることが困難である。
 その近くにこんなメモも見つけた。
 「王様の耳は、パンの耳。」
 …って、しょうがねぇなぁ。
 口で言ってもウケないだろうに、わざわざメモするか。
 さらに、こんなのもあったが、これは可能性がある。
 「ハムカツの位置について考える。」
 これには、さらに考えを足してなにか書くかもしれない。
 その近くに、ちょっと気に入ったのもひとつ発見した。
 これは、このまま、未完成のまま発表したほうがいいな。

 ▼直立二足歩行がはじまって、
  人類は、「歩く看板」になった。
  
  あまりにも、風圧がかかる。
  あまりにも、攻撃されやすい。
  あまりにも、不安定である。
  あまりにも、目立つ。

  それでも、この姿を選んでいるということは、
  その姿によほどのメリットがあるのではないか。
  たがいに、「正面」を大切にするような。

  原人の時代には、前から見て小さく見えるように、
  低い視点で、腰をかがめて歩いていた。
 (今日は、以上でおしまいです)

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ぼくらはみんな「歩く看板」。そこにはなにが書いてある?