延長10回に失敗したセーフティースクイズだが、4回には成功した。逆転してなお1死一、三塁。大野雄は最初からバントの構えをしていた。初球を転がす。捕った捕手の磯村が一塁カバーの菊池涼に送る。それを見た三走の京田がスタートを切った。菊池涼から本塁カバーのアドゥワへの返球をかいくぐって、ヘッドスライディングした左手が本塁に触れた。
サインは犠打。つまり、2死二、三塁をつくり、平田に託す。そんなベンチの期待値以上の成果をもたらしたのは京田の判断だ。ポイントは三塁手の安部の動きだった。打球につられ、ベースから大きく離れた分だけ、京田もフリーになる。遊撃の小園は二塁カバーに向かうからだ。
「一塁線に転がっていたら、セーフティースクイズとして走っていたと思います。捕手の前だったので(一度は自重したが)三塁手が離れていたので。事前に(三塁コーチの)奈良原さんとも話していた通りの走塁はできました」
京田の話を聞いて、久しぶりに「チャック・タナープレー」という言葉を思い出した。ブラウン監督が指揮を執っていた2006年から09年までは、無死、1死一、三塁で投手に打席が回れば、まずこの作戦をやってきた。三塁線にバントを転がす。三塁手の動きに合わせ、走者も前に出る。追い掛けてくれば戻って満塁。そのまま一塁に投げれば本塁に突入。転がせた瞬間、悪くても二、三塁は確保できるローリスク戦法は、ワールドシリーズを制したこともあるパイレーツの名将の名から付けられた。タナー監督を尊敬していたブラウン監督が、好んで多用した作戦というわけだ。
今回は意図したプレーではなく、京田の言葉を借りれば「送りバントの延長線上」。結果として「チャック・タナープレー」に近い得点にはなった。この走塁で突き放したときには、まさか未練と後悔のうずまく敗戦になるとは思いもしなかった。