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【社説】

五輪まで1年 100年後も誇れる準備を

 東京オリンピックの開会式まで、あと一年と迫った。大会の成功を祈るのはもちろんだが、ここまで準備を進めてきた中で、大切なことを置き去りにしていないか。いま一度、考えたい。

 今月初旬のことだ。東京から約八千二百キロ離れたスウェーデンの首都ストックホルムで、五輪スタジアムの前に立つ七十歳代の日本から来た夫婦がいた。

 「ストックホルムに住む娘を訪ねて来たのですが、金栗さんが走ったスタジアムをどうしても見たくて、ここまで足を運びました」

 一九一二年七月、日本初の五輪代表選手となった金栗四三選手はこの地で開催された五輪のマラソン競技に出場し、日射病のために途中で倒れて民家で手当てを受けた。それから百七年を経て、その軌跡をたどろうと訪れる人がいる。当時の外観、内装をほぼ残したままの競技場を見て、老夫婦は感慨深かったそうだ。

 この話を聞き、一年後に迫った東京五輪について考えてみる。メインとなる国立競技場は、前回の六四年東京五輪で使用された旧国立競技場を壊して新設された。

 日本の戦後復興の思いを託し、さまざまなドラマを生んだ五十五年前の五輪。その象徴を消し去ることからスタートした来年の五輪。のし掛かるものは大きいはずだが、大会終了後の国立競技場の用途はいまだに定まっていない。一時は陸上トラックを撤去して球技専用にするとされていたが、その案もこのほど撤回され、陸上トラックを残す方向になった。

 五輪記念館の新設も同じだ。国内のスポーツや五輪の歴史を資料、映像などで伝える本格的な記念館はレガシー(遺産)の中心となり、観光拠点の一つともなる。コストがかかりすぎると批判された当初の案では競技場内に予定されていたというが、新たな競技場には含まれず、代替案も現時点では見えてこない。

 諸事情があるにせよ、中途半端な地点でふらついていないか。大会を成功させることに精いっぱいで、その後のことがおろそかになっていないか。大会後の施設が廃虚となった過去のいくつかの五輪の悪夢が、頭をよぎる。

 二〇二〇年の私たちが心からスポーツを愛し、その文化を育みながら未来も見据えていた-。百年後に訪れた人たちにも、そう誇れる五輪としたい。そのことを胸に抱きながら、これから一年の準備が進むことを願いたい。

 

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