2018年4月号「SDGs×イノベーション」完売!
会員になって購読すれば、バックナンバー全記事が読めます。PC・スマートフォン・タブレットで読める電子ブックもご用意しています。
パラリンピックでもっとも人気の高い種目といわれる、車椅子バスケットボール。今ではパラスポーツという概念を超えて、一般のスポーツとして広がりを見せている。日本でのその人気の立役者の一人といえば、京谷和幸の名が挙げられるだろう。4大会に出場したパラリンピアンであり、「元・Jリーガー」という肩書きも背負い活動している。
文・油井なおみ
子どものころからサッカーで頭角を現し、全国高校サッカー選手権では最優秀選手に選出。京谷は、高校生にしてバルセロナオリンピック代表候補となるサッカーの天才少年だった。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が設立された1991年には、ジェフ市原(現・ジェフ千葉)と契約し、プロサッカー選手としてデビュー。日本ユース代表などのチームも掛け持ちし、誰もがその活躍に期待を寄せていた。
「自分よりうまいやつはいないと思っていました。誰よりも練習しているという自負もありましたし、会社からも“10年に一人の逸材”と言われ調子に乗っていたんです。先輩にも失礼な態度を取るような傲慢な選手でした」
プライベートでは、ようやく射止めた最愛の人との結婚が決まり、人生は順風満帆に進むように見えていた。
ところが、1993年、Jリーグ開幕直前の海外キャンプ中に負傷。トップチームから離脱し、焦りばかりが募った。そんなときに起きたのが、自ら運転する車での事故。「命があるのが奇跡」といわれた大事故だったが、ひどい外傷がなかったため、京谷はすぐに退院して復帰するつもりでいた。
「手術後間もなく、彼女が“すぐ入籍しよう”と言ったんです。そんなに焦らなくてもと言いましたが、彼女が聞かなくて。式が延期になった申し訳なさもあったので望むようにしました」
残り83%
会員の方はここからログイン
バックナンバー
購読申し込みで全記事が読める
バックナンバー検索
週間ランキング
事業構想セミナー・説明会
ピックアップテーマ
会員になると 最新「事業構想」が読み放題。さらに
会員の特典をもっとみる ご覧いただいている記事のレコメンド結果は、ログリー株式会社のレコメンドサービス「logly lift」から、あなたの読んでいる記事の内容や興味に基づいて表示されます。
また、レコメンドの結果は、サイト内の記事だけではなく、外部サイトの記事も含まれます。
logly liftでは、あなたに「もっと詳細に知りたい情報」や「欲しい情報」を適切なタイミングで提供できるよう、日々レコメンドのアルゴリズムを研究し、改良をし続けています。
プライバシーポリシーについては、こちらに公開しています。
また、レコメンドサービスに興味のある媒体社や、この枠にコンテンツを表示したい広告主の方は、お問い合わせフォームよりご連絡ください。