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皆様、こんにちは!
大雨もひと段落し、夏を感じる日曜です。
早いものでエイリアンインタビューも10回目を迎えております。
中にはこれ以上知りたくない、とか、知りたくない、これは嘘の話だ!と思う方もいらっしゃるでしょう。
それでいいのですよ。
確かめようが無い話なのですから‥
では、続きです‥
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エイリアンインタビューその10
第8章 近代史のレッスン
マチルダ・オードネル・マックエルロイの個人的記録
このインタビューは、地球で書かれた教科書の中では決して読むことのない、歴史の授業を私に教えました。
出来事に対するドメインの視点は、私達とずいぶん違います。
インタビューの公式記録文書
機密
合衆国陸軍航空隊公式記録文書
ロズウエル陸軍飛行場、第509爆撃大隊
件名:エイリアンインタビュー、1947年7月26日
第1セッション
ドメイン遠征軍は、この太陽系の中の「旧帝国」の宇宙艦隊の残存勢力が破壊された西暦1150年から、西洋社会の科学と文化の復活を観察してきた。
遠隔操作による催眠術オペレーションの影響力はその時代のあと少し減少したが、いまだにその殆どは効力が残っている。
「旧帝国」の遠隔マインドコントロール・オペレーションに少量の損害が与えられたようであり、それはこの装置の力を少量低下させる結果となった。
その結果、IS・BEたちが地球に来る前に知っていたテクノロジーの記憶のいくつかが思い出され始めた。
その後、ヨーロッパの暗黒時代と呼ばれる知識の弾圧はその時代からは減少し始めた。
そのときから物理と電気の基本法則の知識がほぼ1晩で、地球の文化に革命をもたらした。
西暦1150年以前のように活発に抑圧されなくなったとき、地球のIS・BEの住民の中にいる天才達の多くが、テクノロジーを思い出す能力を部分的に回復した。
アイザック・ニュートンはこれの最も良い例の一つである。
たった数十年で、彼は一人で主要で根本的な科学と数学の分野のいくつかを再発明した。
これらの科学を思い出した男達は、地球に送られる前からそれらをすでに知っていた。
普通では一つの人生、または数百の人生を費やしても、科学と数学についてこれだけのことを観察、または発見するものはいない。
これらの科学を築くのに、いくつもの文明が何十億年も費やしたのだ。
地球のIS・BEたちは、宇宙のいたるところで存在しているあらゆるテクノロジ-の断片を、思い出し始めたばかりである。
理論上は地球に対して使われている記憶喪失装置を完全に破壊することができれば、IS・BEたちは自分の記憶のすべてを思い出すことになる。
残念なことに人間性に関しては、同じような進化は見られていない。
なぜなら地球のIS・BEたちは、お互いに対してとてもひどく振舞い続けている。
しかしこの振る舞いは、転生と転生の間に各IS・BEに与えられる催眠暗示に、とても大きく影響されている。
そして地球の囚人達のとても異常な組み合わせ、犯罪者、変質者、芸術家、革命家と天才は、とても落ち着かない騒然とした環境の原因となっている。
牢獄惑星の目的は、IS・BEたちを永遠に閉じ込めることである。
無知、迷信とIS・BE間の戦争を促進することが、囚人達を障害者にし、電子バリアの壁の裏で捕らえられたままにするのに役にたつ。
IS・BEたちはこの銀河系のいたるところ、隣接する銀河とシリウス、アルデバラン、プレアデス、オリオン、ドラコニス等の無数の地の、旧帝国中の惑星からこの地球に捨てられてきた。
名も無き種族、文明、文化的背景と惑星環境からのIS・BE達が地球にいる。
様々なIS・BEの住民のすべては、自分の言語、信仰体系、道徳的価値観、宗教的信仰、教育と、知られていないし話されていない歴史を持っている。
これらのIS・BEたちは、40万年以上も前に他の星から来て存在したアトランティスとレムーリアの文明を築いた地球の住人たちと混ざっている。
これらの文明は現在の監獄の囚人達が到着し始める何千年も前に、惑星のポールシフトが引き起こした津波の下に消えた。
それらの星系からのIS・BEたちは、オーストラリアを起源とした地球の原初の東洋の人種たちの源だったようである。
(注!これらの原初の地球にいたものたちこそが、古代の日本人および東洋人の祖先ではないか?と言うことらしい。このものたちは旧帝国の犯罪者の住民ではなかったので、この観点に立って考えれば、古代の日本および東洋の人種たちは、旧帝国の牢獄システムを構築した者達ではないと言えるが…。)
それとは別に、旧帝国の牢獄システムによって地球に築かれた文明は、他の銀河のIS・BEたちによって核兵器で征服され植民地化された、それ以前の文明の複合体である原子力の電子スペースオペラである、旧帝国そのものの文明とは大きく違ったものだった。
(注!旧帝国が侵略してきて、この東洋人の祖先たちの文明は征服され植民地化されたわけなのか?)
かつての旧帝国を支配していた官僚機構は、古代のスペースオペラ文明からきたものであり、王族を名目上の君主とした残忍な社会的、経済的と政治的な階層によって管理されている、全体主義の惑星政府の連盟である。
(注!王族システムを構築していたのですね…であるならば、地球でも同じような‥と言う疑いが…)
市民が自立した自己規制のための個人的な責任を放棄した惑星では、このような政府は頻繁に出現する。
他のあらゆるIS・BEは支配されるか、滅ぼされなければならない自分たちの敵であるという、圧倒的な偏執症を患う発狂したIS・BEたちによって、彼らはしばしば自由を失ってしまう。
彼らが愛し、大切だと信奉している最も近い友人や協力者は、言葉通り彼らによって死ぬほど愛されるのである。
そのようなIS・BEたちが存在しているため、ドメインが学んだのは、自由とは勝ち取り、永続的な警戒と自衛力の行使を通して保たなければならないということである。
その結果、ドメインは、もうすでに「旧帝国」の統治惑星を征服した。
ドメインの文明はそれよりもかなり規模が小さく、若いにもかかわらず、もうすでに力を持っており、より良く組織されており、「旧帝国」の歴史では一度も知られることがなかった平等主義の団結心によって結ばれてる。
つい最近崩壊したドイツの全体主義国家は(1947年当時)旧帝国に似ていたが、それに比べてはるかに残酷でなく、約1万分の一の力しかなかった。
地球のIS・BE達の多くがここにいるのは、彼らが全体主義政府に対して猛烈に反対しているからである。
または彼らがあまりに凶暴であるため、「旧帝国」の政府が支配することができなかったからである。
その結果地球の人口はそのような存在たちの割合が不均衡に高い構成となっている。
地球のIS・BEたちの対立する文化的、または道徳的、論理的規範は極めて異常である。
ドメインによる「旧帝国」の中心惑星の制服は電子カノン砲で戦われた。
「旧帝国」の政府の中枢を形成している惑星の市民たちは、不潔で堕落した、自分で考えない愚かな納税義務のある労働者の奴隷社会であり、共食いの習慣がある。
彼らの唯一の娯楽は、暴力的な自動車のレースと血みどろなローマの闘技場型のエンターテイメントである。
旧帝国の惑星を征服するために、核兵器を使うどのような正当な理由があったにせよ、ドメインは原始的な放射能の力を使う武器を使用することによって、それらの惑星の資源を台無しにしてしまわないように気をつけている。
ドメインにとって代わられる前の旧帝国の政府は、あなたたちのつい最近の世界大戦の枢軸国にとても似た、とても臆病な知性を持った存在たちによって構成されていた。
その存在たちは、彼らを地球に永遠に監禁するために追放した銀河系政府の者達と、全く同じ振る舞いを示した。
それはIS・BEは多くの場合、他人から受けた扱いを顕現させる、と言う古き格言を身の毛もよだつ形で思い出させるものだった。
やさしさは優しさを育む、残忍さは残忍さを生み出す。
人は力を持ち、それをいとわない必要があるが、無実のものに危害を加えるのを防ぐために、それを知性でおさえなければならない。
しかし、残忍性の動機となった悪意によって抑圧されずに、効果的に残忍さを防ぐには、尋常ではない理解、自制と勇気が必要である。
論理、または科学を使い、あらゆる問題の最終的解決が、すべての芸術家、天才、才能のあるマネージャーと発明家を殺し、その記憶を永遠に消し、
一つの銀河全体の政敵、殺人者、泥棒、変質者と障害を持った存在たちと一緒に牢獄惑星へ放り込むことである、と考え付くのは、悪魔のような独善的な政府だけである。
続く→
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1150年前後に地球はどのようであったか、ウイキペディアで見てみましょう。
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12世紀の歴史[編集]
ヨーロッパ[編集]
西ヨーロッパでは、前世紀に続き二度、第2回と第3回の十字軍の遠征が行なわれた(詳しくは以下の「西アジア」の節を参照)。また古典の文化がイスラム・ビザンツの文化を経由してヨーロッパに伝えられ、哲学、美術、文学などの分野でも新しい動きを見せた(12世紀ルネサンス)。
西アジア[編集]
十字軍に対するイスラムの反撃が始まり、1144年にエデッサが陥落する。これを受け、第2回十字軍がシリアのダマスカスを攻撃したが、敗退した。1187年、アイユーブ朝のスルタン、サラーフッディーンによりエルサレム王国軍が壊滅し(ヒッティーンの戦い)、約90年ぶりにエルサレムがイスラム側によって奪還された。この事件は第3回十字軍遠征(1189年-1192年)に発展したが、イングランドとフランス、そして神聖ローマ帝国の十字軍は薄く延びる沿岸地域の奪還にとどまった(ただし、休戦協定によりキリスト教徒のエルサレム巡礼の自由は保証された)。
東アジア[編集]
中国[編集]
中国では、遼に服属していた女真が指導者完顔阿骨打により独立し金が建国された。金はその10年後には遼および北宋を滅ぼし北半を征服、新たに再興した南半を制する南宋と対峙することになる。
日本[編集]
平安時代後期から鎌倉時代最初期にあたる。
天皇家・摂関家を巻き込む政争「保元の乱」「平治の乱」により武士の政治的地位が上昇した。両乱で活躍した平清盛の打ち立てた平氏政権が栄えたが、治承・寿永の乱(源平合戦)における最終決戦「壇ノ浦の戦い」で源氏を筆頭とする勢力が勝利し平家が滅亡したことにより、源氏の頭領源頼朝による新たな武家政権である鎌倉幕府の成立に至る。
1100年代[編集]
詳細は「1100年代」を参照
1101年 源義親の乱(康和の乱)( - 1108年)。
大地震により興福寺金堂・大門倒壊する。興福寺と金峰山の僧徒争う。
メルシヴァンの戦いで、ルーム・セルジューク朝軍が「1101年の十字軍」を壊滅させる。
1102年 北宋の蔡京が「元祐党籍碑」を建て、旧法党関係者を追放する。
村上源氏が公卿の過半数を占める。
1103年 - 神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世による最古のラント平和令。
1107年 堀河天皇が没し、宗仁親王が即位(第74代鳥羽天皇)。
ウェストミンスター合意。 イングランドでの叙任権闘争が終結し、国王ヘンリー1世とカンタベリー大司教アンセルムスが和解。
ノルウェー王シグール1世の十字軍遠征始まる(ノルウェー十字軍。 - 1110年)。
1110年代[編集]
詳細は「1110年代」を参照
1112年 - 白河法皇の還暦祝いで「三十六人歌集(西本願寺本)」が宮廷で制作される。
1113年 永久の変。
聖ヨハネ騎士団が認可される(創設は1023年頃か)。
キエフ洞窟修道院の修道士で年代記者ネストルにより『原初年代記』がまとめられる。
1115年 女真族の完顔阿骨打が金を建国。
異端とされたアントウェルペンのタンケルムが殺害される。
1117年 - ホイサラ朝のヴィシュヌヴァルダナがチェナケシェヴァ寺院を建立する。
1118年 アラゴン王アルフォンソ1世のサラゴサ占領。サラゴサはアラゴンの首都となる。
東ローマ皇帝ヨハネス2世コムネノスが即位。姉のアンナ・コムネナの陰謀事件。
1119年 - 金の太祖阿骨打の命により完顔希于や葉魯らが女真大字を作成(小字は1138年に熙宗により制定)。
1120年代[編集]
詳細は「1120年代」を参照
1120年 北宋と金との海上の盟が結ばれる。北宋で方臘の乱が起こる。
ホワイトシップの遭難。
1120年頃 - ホイサラ朝のヴィシュヌヴァルダナがホイサレシューヴァラ寺院を建立する。
1121年 - ソワソン教会会議でアベラールが異端宣告される。
1122年 - ヴォルムス協約。 叙任権闘争全般が終結し、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世とローマ教皇カリストゥス2世が和解。
1123年 鳥羽天皇が譲位し、第75代崇徳天皇が即位する。
第1ラテラン公会議。
1124年 - 藤原清衡が平泉の中尊寺金色堂を建立。
1125年 - 金が遼を滅ぼす。
1126年 - 靖康の変により金が北宋を滅ぼす。徽宗・欽宗が金に連行される(二帝北行)。
1127年 欽宗の弟康王趙構が南京で南宋を立てる。
新立の荘園を停止する(大治の荘園停止令)。
1128年 - トロワ教会会議でテンプル騎士団が認可される(創設は1119年)。
1129年 白河法皇が没し、鳥羽上皇が院政を開始する。
明受の変。
1130年代[編集]
詳細は「1130年代」を参照
1130年 アナクレトゥスのシスマ。
ノルマン人ルッジェーロ2世が南イタリア・シチリアにシチリア王国を建国。
トランカヴェル家によりカルカソンヌの城塞都市の建設が始まる。
1130年頃 - ノルウェーにあるウルネスの木造教会が建設される。
1131年 - コンスタンティノポリス総主教からキエフ大公ユーリー・ドルゴルーキーに「ウラジーミルの聖母」が贈られる。
1132年 遼の皇族耶律大石が西遼を建国。
南宋が臨安(杭州)に都を定める。
1136年 - ノヴゴロド公フセヴォロドが追放される(12世紀のノヴゴロドの革命)。
1137年 - アラゴン王国とバルセロナ伯国の連合によるアラゴン連合王国の成立。
1139年 ポルトガル王国が建国される。
第2ラテラン公会議。
1140年代[編集]
詳細は「1140年代」を参照
1140年 スコットランド王デイヴィッド1世がイングランドよりカーライルの貨幣鋳造所を支配下に納め、スコットランドで初めてコインを製造。
サンス教会会議でのクレルヴォーのベルナールの告発で、アベラールが再び異端宣告される。
ヴァインスベルクの戦いで、ホーエンシュタウフェン家のコンラート3世がヴェルフ家に勝利する。 この戦いでヴェルフ派は「ヴェルフ」とホーエンシュタウフェン派は「ウィーベリン」と呼ばれ、イタリアでは「教皇派(ゲルフ)」と「皇帝派(ギベリン)」と呼ばれるようになる。
1141年 カトワーンの戦いで西遼の耶律大石がセルジューク朝のアフマド・サンジャルに勝利する。
南宋で主戦派の岳飛が和平派の秦檜の陰謀により反逆罪で処刑される。
1142年 南宋と金の紹興の和議。
崇徳天皇が譲位し、第76代近衛天皇が即位。
聖ヨハネ騎士団がクラック・デ・シュヴァリエを獲得。以後大幅な拡張工事を行う( - 1170年)。
1145年 - モールス太守ザンギーが十字軍国家エデッサ伯領を征服する。
1147年 第2回十字軍(-1149年)。ヴェンド十字軍。
ポルトガル王アフォンソ1世がリスボン攻防戦でリスボンをイスラム勢力から奪回。
ムワッヒド朝がムラービト朝を滅ぼす。
祇園闘乱事件。
1148年 シチリア王国が北アフリカのマフディーヤを制圧しズィール朝が滅亡。
(注!ここがドメインによって旧帝国を倒したことにより、ほんのすこ〜し、変わってきた境目になるわけですね。)
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1150年代[編集]
詳細は「1150年代」を参照
1150年 - ゴール朝のアラーウッディーンがガズナ朝の都ガズナを占領。
1152年 アリエノール・ダキテーヌがフランス王ルイ7世と離婚し、同年アンジュー伯アンリと再婚する。
シャンパーニュ伯アンリ1世が伯位を継ぐ。シャンパーニュの大市などの振興政策を行う。
1154年 - アンジュー伯アンリがイングランド王ヘンリ2世となりプランタジネット朝を開く(アンジュー帝国)。
1155年 スウェーデン王エリク9世のフィンランド遠征。北方十字軍始まる。
オーストリア辺境伯ハインリヒ2世がオーストリア公に昇爵。
この時期までにハインリヒ2世はクロスターノイブルクからウィーンへ遷都する。
近衛天皇が没し、第77代後白河天皇が即位。
1156年 - 鳥羽法皇が没する。保元の乱。
1157年 - スルタンのアフマド・サンジャルの病没により、統一セルジューク朝が滅亡。
1158年 - 後白河天皇が譲位し、第78代二条天皇が即位。
1159年 平治の乱。
ザクセンのハインリヒ獅子公がリューベック市を建設。
1160年代[編集]
詳細は「1160年代」を参照
1160年 ウラジーミルの生神女就寝大聖堂が完成する。
南宋で会子が紙幣として発行される。
1161年 - 金が南宋との采石機の戦いで敗北。海陵王が廃位殺害され世宗が即位。
1162年頃 - セーナ朝のバッラーラ・セーナ王がパーラ朝を滅ぼしベンガルを統一。
1163年 - パリのノートルダム大聖堂が着工される(最終的な完成は1345年)。
1164年 平重盛が正三位に叙される。平家一門が厳島神社に装飾経を寄進(平家納経)。
南宋と金の隆興の和議(乾道の和議)。
スウェーデンのガムラ・ウプサラに大司教座が置かれる。
1165年 - 二条天皇が譲位し、第79代六条天皇が即位。
1165年頃 - 東ローマ皇帝マヌエル1世コムネノスのもとに司祭王ヨハネス(プレスター・ジョン)を差出人とする書簡が届けられる。
1167年 平清盛が太政大臣となる。
南フランスのカラマンにてカタリ派の教会会議が開催される。 この会議を主催したのは東方から来たボゴミル派(ドラゴヴィツァ派)のニケタスとされている。
1168年 朱熹と陸九淵の鵞湖の会がもたれる。
六条天皇が譲位し、第80代高倉天皇が即位。
ロスキレ司教アブサロンの指揮でデンマーク軍がスラブ系異教徒ラーン人の根拠地リューゲン島を征服。
1169年 - エジプトでサラーフッディーンがファーティマ朝の宰相となる。
1170年代[編集]
詳細は「1170年代」を参照
1170年 - カンタベリー大司教トマス・ベケット暗殺事件。
1171年 エジプトのファーティマ朝が断絶。代わってサラーフッディーンがアイユーブ朝を興す。
イングランド王として初めてヘンリ2世がアイルランドに上陸し東海岸地帯を支配。
1173年 - ピサの斜塔が着工される(最終的な完成は1372年)。
1174年 - 平清盛が大輪田泊(神戸)に経が島(経ヶ島)を築く。
1176年 レニャーノの戦いで、ロンバルディア同盟が神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世に勝利。
ミュリオケファロンの戦いで、ルーム・セルジューク朝軍が東ローマ皇帝マヌエル1世に勝利。
1177年 後白河法皇の側近達が鹿ケ谷の陰謀を企てるが失敗。安元の大火(太郎焼亡)。
カスティーリャ王アルフォンソ8世が要塞都市クエンカを占領。
モンジザールの戦いで、エルサレム国王ボードゥアン4世がサラーフッディーンに勝利する。
1178年 - 治承の大火(次郎焼亡)
1179年 第3ラテラン公会議。
治承三年の政変。
1180年代[編集]
詳細は「1180年代」を参照
1180年 ゲルンハウゼン帝国議会。 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世が、ザクセン・バイエルン公ハインリヒ3世を帝国追放刑に処し所領を没収。
バイエルンはヴィッテルスバッハ家が、ザクセンはアスカーニエン家が領有する。
レバノンのマロン派教会が教会合同でローマ教会に復帰する。
高倉天皇が譲位し、第81代安徳天皇が即位。
以仁王が令旨を下し挙兵(以仁王の挙兵)。源頼朝ら各地の源氏が平氏に対して挙兵。福原行幸。
1181年 平清盛死去。養和の大飢饉。
クメール朝カンボジア国王にジャヤーヴァルマン7世が即位。 最初の仏教信者の王としてアンコール・トム(バイヨン・象のテラス・ライ王のテラス他)の都城を建設。
ハンガリー国王ベーラ3世がザダル(ザラ)を含むアドリア海沿岸のダルマティア地方を占領する。
1182年 - アンドロニコス・コムネノスが東ローマ帝国皇太后マリアを殺害。 皇太后暗殺と同時にコンスタンティノポリス在留のヴェネツィアやジェノヴァなどラテン人も虐殺する。
1183年 - 源義仲が京に進軍し平氏が都落ち。平氏とともに西走した安徳天皇と並立して第82代後鳥羽天皇が即位。
1184年 - 宇治川の戦い。一ノ谷の戦い。
1185年 屋島の戦い。壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡。安徳天皇は祖母平時子に抱かれて入水し8歳で崩御。
後白河法皇による東大寺大仏再建の開眼供養が行われる。
シチリア王国のノルマン人が東ローマ帝国のテッサロニキを陥落させる これで狂乱状態となった首都市民により皇帝アンドロニコス1世が殺害され、コムネノス朝が断絶する。
アセンとペタルの蜂起。第二次ブルガリア帝国が建国され皇帝ペタル4世が即位。
ロシアのイーゴリ公がポロヴェツ族(キプチャク族)に大敗。
1187年 - ヒッティーンの戦いで、アイユーブ朝のサラーフッディーンがエルサレム王国の十字軍を壊滅させる。 エルサレム国王ギー・ド・リュジニャンは捕縛され、エルサレム市街はアイユーブ朝に降伏する。
1189年 スコットランド王ウィリアム1世がイングランドからの主権を回復(カンタベリー協定)。
第3回十字軍(-1192年)。
奥州合戦により奥州藤原氏滅亡。
ホイサラ朝のバッラーラ2世が後期チャールキヤ朝を滅ぼす。
1190年代[編集]
詳細は「1190年代」を参照
1190年 - フランス王フィリップ2世がセーヌ川右岸のシテ島近辺に城砦を構える(ルーヴル宮殿の始まり)。
1191年 アルスフの戦いで、リチャード1世の十字軍がサラーフッディーンを撃退。
イングランドのグラストンベリー修道院の墓地でアーサー王の古墓が発見されたとの報告がなされる。
1192年 源頼朝が征夷大将軍となる(一般的にはこれを以って、鎌倉時代の始まりとされる)。
サラーフッディーンとリチャード1世の休戦協定。 十字軍はシリアの海岸の領土とエルサレム巡礼の許可を得るだけにとどまる。
帰国途中のリチャード1世をオーストリア公レオポルト5世が拘束する。
タラーインの戦いで、ゴール朝のシハーブッディーン・ムハンマドがチャーハマーナ朝のプリトヴィーラージャ3世に勝利する。 翌年にはデリーを占領しゴール朝の北インド支配が確定、ラージプート勢力は支配に服する。
金の都燕京(北京)の盧溝橋が完成する。
1193年 曾我祐成・曾我時致兄弟が父の仇工藤祐経を討つ(曾我兄弟の仇討ち)。
ゴール朝の将軍ムハンマド・バフティヤール・ハルジーがインドのナーランダ寺院を破却。
1194年 南宋の孝宗(太上皇帝)が死去。皇帝光宗が趙汝愚・韓侂冑らに廃位され寧宗が即位(紹煕の内禅)。
ホラズム・シャー朝がセルジューク朝を滅ぼし、イラン・イラクを制圧。
神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世のシチリア遠征。パレルモは降伏しオートヴィル朝は断絶。
1195年 アラコルスの戦いでムワッヒド朝のヤアクーブ・マンスールがカスティーリャ軍に勝利。
東ローマ皇帝イサキオス2世が廃位され、弟のアレクシオス3世が即位。
1196年 慶元の党禁により朱熹の学派が弾圧される。
建久七年の政変。
1197年 - ムワッヒド朝のヤアクーブ・マンスールが哲学を禁止し哲学者イブン・ルシュドを追放。
1198年 後鳥羽天皇が譲位し、第83代土御門天皇が即位。
プシェミスル朝のボヘミア公オタカル1世が陞爵してボヘミア王となる。
教皇インノケンティウス3世がフランス国王フィリップ2世を離婚問題から聖務停止に処す。
1199年 ハーリチ・ヴォルィーニ大公国(ガリツィア・ロドメリア大公国)が成立。
イングランド王リチャード1世が死去、弟ジョンが国王となる。
教皇インノケンティウス3世がドイツ騎士団を騎士修道会として認可する。
以上転記終了
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続く→
言っていますね!
これ
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「「旧帝国」の政府の中枢を形成している惑星の市民たちは、不潔で堕落した、自分で考えない愚かな納税義務のある労働者の奴隷社会であり、共食いの習慣がある。」
↑
カバールを連想してしまうのですが…