ちょっと前に書いた、一連のけものフレンズ絡みのエントリーが急に読まれた。
なんだかよくわからないけど、ご愛読感謝デーとして「けもフレ2の伏線」についてもう少し書こうかなと。
この間の記事ではけもフレ2にある数少ない伏線の例として、「細い溝跳び」を挙げた。長くなるんで書かなかったが、実はまだ他にも伏線はある(少ないが)。
たとえばイエイヌの「かばんさんはちょっと違う」という発言だ。
人間と暮らした記憶を持つイエイヌは、彼らとの再会を熱望していた。なのに「ちょっと違う」というのは、かばんちゃんは人間ではなく「人間のフレンズ」だからだ。これは一期最終話の「着衣復活」で開示済みの事実であって、この発言は特に答え合わせというわけでもない。
イエイヌは、鋭い嗅覚でそのことを悟ったのだろう。
でまあ2主人公キュルルと会って「やっと人間に会えたー」と感激したわけだ。
これは当然、「キュルルは人間のフレンズではなく、本当の人間」という展開に向けての伏線だと、私には思われた。かばんちゃんとの対比をしていることから「見え見え」になっていて伏線としてはやや稚拙だが、まあそういうことだろう。
だがこの伏線は回収されなかった。最終話まで観ても、キュルルは本物の人間であるという事実開示はない。
あともうひとつ伏線を挙げると、月の周囲に見えた人工衛星もそう。あれだっておそらく「人類の一部はあの衛星か、あるいは月に逃亡している」という展開の伏線なのだと推察できる。
ただこの伏線も見え見えだった上に、こちらも回収されなかった。
この間も書いたが、伏線とサブプロットは違う。サブプロットの例は、「キュルルの正体」だの「前作主人公達の離別・記憶喪失の理由」「ビーストの正体と救済」など。
イエイヌ発言や衛星ちら見せは、サブプロットでなく、伏線であることはわかってもらえると思う。イエイヌ発言で言えば、「キュルルの正体」というサブプロットに対しての伏線になっているわけさ。
まあ回収されてないので、本当に伏線なのかどうかも不明なのが悲しいがw
伏線技術というのは物語の読後の印象にすごく影響を与える。見事な伏線に騙されれば、「すげえ作品」となる。
ミステリーなんかだと、謎解きで感動させる分野だけに、伏線技術はすごく進化している。「見え見えの伏線じゃん。作者だせえ」とわざと思わせておいて、実はそれは作者が仕掛けた「ミスリーディング」「ミスディレクション」で、別の意味があってどんでん返しに繋がるとか。そういう作品が普通だ。
全体に粗製乱造感のあるけもフレ2に、そこまでを求めるのは酷だろう。見え見えの伏線すら回収できてないわけで。でもなんというか、脚本とシリーズプロット構築のとき、もう少し練っておけば大分違っていたんじゃないかな。
この伏線未回収やサブプロット・メインプロットの未解決だけじゃなく、あと少しだけ気が利いていれば、多くの問題は回避できたんじゃないかと思うわ。炎上したイエイヌ虐待だって、ひとことふたことセリフを修正し構図やカットを変えるだけで、大炎上じゃなく、ぼやくらいで済んだはずだし。
もったいないよなあ。
あと蛇足。前回、ホーリー・マウンテンを「プロットぶん投げ例」として挙げたが、個人的には大好きな映画なので、そこんとこは書いておく。あれ失敗じゃなくて故意にやってるわけで、歌舞伎の屋台崩しみたいなもん。ホドロフスキーは天才だ。ちょっと頭おかしいところはあるけどさw
記事
- 2019年07月22日 15:43
けものフレンズ2にだって伏線はあるもん!
- tokyo editor
- 出版社の編集者。出版業界の実態について執筆している。