『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌

遊里跡(遊廓・赤線・カフェー街)をブラブラあてどなく歩いた記録です。観光案内には全くなっておりませんのであしからず。

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新潟県 上越市直江津201205 その2

2012-06-17 19:32:53 | 甲信越

こんなところに三越!?・・・なわけないですよね(笑)


 『直江津遊廓 北陸線直江津駅下車する。此の町は上杉謙信の春日山城址を眺め左方には五智の国分寺がある。国分寺は聖武天皇の勅願行基の開基した天台宗の古刹で大口、多宝、宝生、薬師、阿弥陀の五大仏を安置してある。妓楼約十二軒娼妓は百二十人位居り近県人が多い。店は陰店制であり娼妓は全部居稼制遊廓になつて居る』以上が『全国遊廓案内』による直江津の紹介なのですが、これじゃ何処に存在していたのか見当もつきませんよね。案内と名乗っておきながら親切じゃないなあ・・・とブツブツ言いながら地図を眺めていて発見したのがその1で紹介したメインストリートと勘違いした奇妙な通りなのですが・・・説明しにくいので航空写真をご覧下さい。



 地図を貼るのは本意ではありませんので、見辛い航空写真で我慢してくだされ。右上の少し幅員が広い通りがそれ、地図ではもっとはっきりと違いがわかるのですけどね。そして、左下に同じくその1で紹介した割烹松風園があります。問題はその上(北)、明らかにおかしな一画があるのがおわかりになります???テニスコートがある広場を囲むように広い通りがグルリと回っていますね。此処が直江津遊廓跡なんだそうです。そうなると、松風園さんも嘗ては・・・ということになるのかもしれません。その事実を知ったのは探索後のこと・・・まあ、それが記してあったのがちょっと胡散臭い掲示板ですので、どこまで正しいのかはあれですが、おそらく此処で間違いないと私は思っています。ですからレポの中の私は、依然として遊廓跡は何処なんだ???という状態なわけです。以降もこのスタンスでいきますので、宜しくお願い致しますぞ(笑)それにしても、どうしてこれに気付かなかったんだろう・・・。



今度は中央三丁目へ・・・途中、こんな段差があります。これが砂丘の上にあったという旧今町の痕跡かもしれません。




柴ワンコが気持ち良さそうに爆睡中・・・この子、ちょっとやそっとでは起きそうもありません。フガフガとイビキまでかいてるし(笑)




おそらく元は料亭関係だったのではないかと思われる建物・・・こういうのがあるので、てっきりこの界隈が遊廓跡かと・・・後にも出てきますが、この界隈『匂う』建物が多いのですよ。




鑑札でも残っていれば正体がわかるかもしれないのですがね。ガラスに写り込む真新しいアパート、強烈な対比です。




隣には廃墟と化したビル・・・逆光でひどい写真になってしまいました。




なんと、これが映画館・・・直江津第一劇場というんだそうです。ご覧のとおり、とっくの昔にその役目を終えているようです。柱に貼られた大理石だけが妙に新しく見えるのが不思議。こういった娯楽施設があるということは・・・近くには!?・・・と普通思うでしょ(笑)あ、ぽっかりと口を開けた階段がオイデオイデをしてる・・・『3F 麻雀』とありますよ。




薄暗い階段を登っていくと・・・うわ、本当に雀荘があった(笑)見事なまでに昭和で時が止まっておりました。




もう一本向こうの通りにも気になる物件が・・・




重厚な船(せがい)造りのお宅です。かなり直されておりますが、トタン製のサイディングの内側、木製窓に粋な桟が入っているのです。くどいようですが、事実を知らない私はもしかして!?と思ってしまったわけですね。お恥ずかしい・・・照明の痕跡と思っていた軒下の白い物体・・・よくよく見ましたら単なる碍子ですがな(笑)




こ、これは・・・この枝ぶり、邪魔じゃないのですかね(笑)一瞬、オオッとなりましたが、たぶん元お医者さんではないでしょうか。




こちらのお宅、外壁の構成がカオス状態(笑)ステキですねえ。




日本海に出る手前、古びた門柱を構えたお宅が目に留まりました。




『旅館 通多屋』とあります。すでに現役ではないようですが、妙に気になり調べてみましたら意外な結果が・・・こんなもの見つけちゃいました。この絵葉書、柏崎市立図書館の所蔵品で、小竹忠三郎という石油で財を成した人物のコレクションなんだそうです。他にも、この直江津の次にレポする高田栄町遊廓なんてものもあったりして、参考になりました。この通多屋(つたや)さん、明治の頃は三階建てだったのですねえ・・・。門柱は当時のままなのではないでしょうか。




すぐ近くにあるのがこのなんとも表現しようのない物件・・・高達回漕店、元々は明治25年(1892)頃に建てられた旧直江津銀行でした。大正4年(1915)に海運業の高橋達太郎が買い取り、現在地に移築して自分のオフィスとして使っていたようです。




なんといってもこの屋根、不思議な形状ですなあ。窓はアルミサッシに変わっています。タイルも後から張り替えたのではないでしょうか。市内最古の洋風建築なんだとか。




そして謎のライオン像(笑)最初におふざけで三越と書きましたが、実は本当にモデルにしていたそうです。¥2000かかっているとか・・・当時の貨幣価値がよくわかりませんが・・・。まあ、富の象徴といった感じだったのでしょうね。




向かい合う別棟の側面、まるで刃物でバッサリいってしまったような状態・・・何があったのでしょうか。




タイルを貼る前はこういった漆喰塗りだったと思われます。




で、建物の裏手に回ると、こんな赤煉瓦の長大な塀が・・・これは大正期に造られた防火壁、高さ6mあります。頻繁に大火が起こった直江津らしい構造物ですね。




その防火壁の内側に建物が並んでいたようです。切り妻屋根の痕跡・・・所謂トマソンですな。この建物、不定期ですが内部の公開もされているようです。たまたま私が訪れた日もそうだったのですが、残念!!30分前遅かった・・・。




町の東を流れる関川、この先で日本海に注いでいます。




関川の河口そばにあるのが琴平神社、ここにも句碑があります。こちらは松尾芭蕉のもの、奥の細道の途中、元禄2年(1698)に直江津今町に寄っているそうです。『文月や 六日も常の 夜には似ず』




そろそろ駅に戻りましょう。帰り道、遊廓跡を通り過ぎていたことを知らない私・・・ちょっとガッカリしていました。




林正寺・・・珍しい土蔵造りのお寺です。大火の多かった直江津ならではの建物です。




駅前通りに残っていた大門の残骸・・・この通りを辿っていけば遊廓跡に行けるはずです(笑)


知らないうちに遊廓跡を通り過ぎていたとは・・・後から知った事実に愕然とした直江津の探索でした。次回は越後路シリーズのラスボス、高田をフラフラ致します。実際、歩き疲れてフラフラになってしまうわけ・・・高田は広すぎました・・・お楽しみに。



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2 コメント

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Unknown (地元民)
2013-09-15 12:59:56
地元に住んでる者です。
勝手に人の家撮影したり、ビル登ったり、外観の評価したりしてあなた何様ですか?
失礼だと思わないんですか?
凄く気分が悪いです。
名誉毀損で訴えれるレベルだと思います。
今後のブログ内容によっては近所の人達と警察に相談に行きますので暫く見させていただきます。
Unknown (Unknown)
2013-09-24 23:27:17
>おそらく元は料亭関係だったのではないかと思われる建物・・・
>こういうのがあるので、てっきりこの界隈が遊廓跡かと・・・
>後にも出てきますが、この界隈『匂う』建物が多いのですよ

ここは40年前見たときは駄菓子屋でした。
その前はわかりませんが…
家の外観撮影して訴えられるのなら
公園で園児を勝手に写真撮影したら死刑ですねww

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