最近、「伏線」という用語の誤用が多いなあと感じる。
定義すれば、小説や映画などのフィクションで、「重要な事を、あらかじめ些細な形でほのめかしておく」ことだ。
たとえば、雑談で出てきた主人公の趣味が、クライマックスで殺人事件解決の鍵となるとかさ。そんな奴のことよ。
上手に伏線を張ると、読者なり視聴者を感動させることが可能。「そういやあんとき、なんか態度がおかしいと思ってたんだ。この伏線だったか」とか頷き、印象に強く残るからだ。
見事な伏線の例としては、シャマラン監督の「シックスセンス」とか。これ、精神科医と少年が心を通わせて救いを得るサスペンス映画。
仕事に熱中するあまり、結婚記念日のディナーに主人公が遅れるシーンがある。慌てて席に着くも、奥さんは怒ってガン無視、「いい結婚記念日ね」とか嫌味を残して帰っちゃう。
誰が見ても夫婦喧嘩のシーンだが、これが伏線。ラストの衝撃の展開を目にした視聴者は、「ああ、あのシーン、そういうわけだったのか! シャマランすげえ」と、目から鱗が落ちる。「ヤバいもう一度見て確認しないと」とか大興奮するわけよ。私もそうなったし。
この映画、クライマックスを見た後に、あちこち伏線が張り巡らせてあったと気づく。もう超絶傑作なので、未見の人はぜひご覧あれ。あーわかると思うけど、事前に情報集めたらもったいないよ。とにかく買って、観て、必要ならそれから情報探すといい。
ちなみにシャマラン監督は「これだけの人」であって、彼の他の作品は、いいもので「微妙」、悪い奴は「駄作」な出来。そっちは観なくてもいいとは思うわ。
あと、サスペンスホラー「ソウ」シリーズなんかも、伏線で見せる映画。クライマックスで伏線をいちいち再放映してくれる親切設計なので、面倒がなくていい。
本題に入るが、伏線の誤用。目立つのは、サブプロットのことを「伏線」と表記する人。
サブプロットとは、メインプロット(テーマ)とは別の、副次的なテーマのこと。たとえばミステリーで、メインプロットが「密室殺人解決」だとする。それだけで小説を書くと、広がりのない単調なものになってしまう。そこで「主人公の過去の謎」とかなんとか、副次的なテーマを投入して複雑さやグルーヴを与えるわけよ。
TVドラマ「24」で言えば、ご存知のとおりメインプロット(テーマ)は、「米国を襲うテロリストを排除する」こと。そこに「誘拐された娘を救う」「CTU(同僚)内部の裏切り者を探す」」といったサブプロットを入れて、あちこち振り回される主人公の大活躍(だか大苦労だか)を視聴者に楽しませる。
娘の誘拐は「伏線」ではない。なにせ「気づかせないほど些細」でもなんでもなく、あからさまに大きな問題として立ち塞がるから。
記事
- 2019年07月17日 09:19
「伏線」誤用が多くない? ――けものフレンズ2編
1/2- tokyo editor
- 出版社の編集者。出版業界の実態について執筆している。