糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

07月20日の「今日のダーリン」

・スポーツの場合なんかだとわかりやすいですが、
 多くのものごとに勝ち負けというものがあります。
 勝つこともあれば、負けることもあります。
 当然ですが、ぜんぶ勝つことはありません。
 一所懸命に戦ったから勝ったとか、
 いい加減にやったから負けたというものではありません。
 勝てばうれしいし、負ければくやしいと思います。
 そのことは、それでいいのですが、
 負けた試合を大切にできるかどうか、
 これがとても大事なことだというふうに、
 最近のぼくは考えるようになりました。
 負けたことは忘れて、気を取り直して明日に備える、
 という戦い方もよくわかるのですけれど、
 負けは負けで、いいところを探してやりたいのです。

 負けのなかで、じぶんたちの力量が発揮できたこと。
 負けたけれど、相手を怖がらせたこと。
 かつて苦手だった相手に善戦できたこと。
 予定してなかった選手が活躍できたこと。
 ほんの1度の失敗がなければ、あとは勝っていたこと。
 そして、なによりも、頭のなかが白紙になることなく、
 どうすればいいのか必死で考えてやったこと。
 …というようなことが、ちょっとでもあったら、
 その事実は尊重するに値すると思うのです。
 そこから、次にどうするか、次の次にどうするかが、
 見えてくるのだと思います。
 負けは負けなので、なかったことにしようというのでは、
 負けのなかにあったいいことが見つけられません。
 負けは大きな経験の一部分ですし、
 少しだけ階段を上ったある日なのです。

 ぼくが、こういう考えになったのは、最近のことです。
 ぜんぶ勝つことが当たり前じゃない、
 勝ったり負けたりがどっちもあるのが当たり前なのだと、
 ごくふつうのことを、やっとわかってきたからです。
 負けはあるに決っているのだから、
 ないことにしてはいけないんだと気が付きました。
 この負けという息子は、どんないいこだったのだろうか。
 それをちゃんと見てやらないとね、と思ったのでした。
 人生の勝率は、五割五分で優勝みたいなものですからね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
大敗、惜敗、来るなら来い。勝ったら勝ったでうれしいし。