催眠療法は記憶を捏造する
記憶回復療法が全米で大ブームを巻き起こすようになると、一部の専門家から疑問の声があがりはじめた。
だが当初、彼らは「蘇った記憶」を支持する一派から「幼児と女性に対する犯罪を擁護する学者たち」としてヒステリックな抗議が浴びせられた。とりわけ、記憶研究の大家でハーマンのトラウマ理論を厳しく批判したワシントン大学のエリザベス・ロスタフ教授は「懐疑派」の筆頭とされ、「殺すぞ」という脅迫状が送りつけられるなど、一時は身辺警護のためにボディガードを雇わなければならないほどだった。
ロスタフは1992年に「ショッピング・モールの迷子記憶実験」という有名な実験を行なって、ハーマンのトラウマ理論に決定的な打撃を与えた。
ロスタフは、催眠療法は抑圧されていた記憶を取り戻すのではなく、記憶を捏造するのだと論じた。そして、きわめてかんたんな方法で偽りの記憶を思い出させることができると実証してみせたのだ。
成人の被験者対し、親や兄が「お前が5歳のとき、ショッピングセンターで迷子になったことを覚えているかい?」と聞く。そんな事実はないのだから、被験者はもちろん「覚えていない」とこたえる。
だが、「ポロシャツを着た親切な老人がお前を母さんのところに連れてきたじゃないか」「暑い日で、お前が泣き止んでからアイスクリームをいっしょに食べたよね」などとディテールを積み重ねられると、被験者はなんとかしてその体験を思い出そうとし、しばらくすると「ああ、そういわれてみれば、そんなこともあったよね」といいだす。
被験者はたんに、親や兄の言葉に同調したのではない。「あのおじいさんが着ていたのはポロシャツじゃなくて黄色のTシャツだったよ」などと相手の間違いを修正したり、「お母さんが何度も頭を下げて礼をいっていた」などと出来事の細部を創作したりするのだ。
これは心理学的には、「ショッピングセンターで迷子になった」という(存在しない)過去の出来事を信頼しているひとから指摘されたにもかかわらず、自分にはその記憶がまったくないという矛盾(認知的不協和)を解決するために、脳が無意識のうちに都合のいい物語をつくりだしているのだと説明できる。だが被験者はこの過程を、忘れていた子ども時代の記憶を思い出しているのだと強く体験する。このように、外部から偽りの記憶を埋め込むことはかんたんなのだ。
この「ショッピング・モールの迷子記憶実験」は、トラウマが幼児期の“原初体験”ではないことを強く示唆している。
なんらかの理由で社会生活に失敗し、精神的に苦しんでいる女性がいるとしよう。そんな彼女がトラウマ理論を知ることで、「この苦しさの原因は幼児期の性的虐待によるものだ(私に責任があるわけではない)」という“真理”に気づき、無意識のうちに自分に都合のいい物語を紡ぎ出していく。ハーマンの本に影響を受けた素人セラピストたちはこの過程に介入することで記憶の捏造を幇助し、“加害者”である親を訴えさせてその損害賠償金から分け前を受け取ろうとしたのだ。
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