こんなにも屈辱を味わったのは、国松長官の時と世田谷の事件の時
以来だ。
以前、実家に居た頃、障碍者手帳と年金の為に大学病院から週に1度
派遣されてくる主治医が診断書を書いた時、理学療法士が左上下肢
に障碍があるとしてたのに医者は上肢しか書いておらす、その事を
言ったら、いきなり「俺がそんなに暇そうに見えるか、折角書いてやっ
たのに有難いと思わないのか」と診察拒否され看護師に指示して車椅
子に乗ってた僕を診察から追い出し処方箋も出して貰えず次の診察
の予定も出して貰えず、仕方なく相談室に行き処方箋と次の予約を
出して貰ったけど主治医は交代になった。
あの時、その事を記事にしたら僕が悪いと滅茶滅茶叩かれ嫌になって
自分で退会したのが初代NEXTでした。
でも、その悔しさよりも今回の方が悔しい。
このブログは3代目NEXTになってしまった。
前のブログは幾ら叩かれても退会する気は無かった。
自分の歴史だけじゃなく、家内との出逢いから昨日迄の事が書いてあ
り家族の娘の大事な大事な記録だった。
前のブログでも書いたけど僕の目から耳から得た記事と家内の目と耳
で感じた事を書いていた。
考えない様にして寝ようと思うのだけど悔しくて悔しくて無念で寝れな
いのです。
僕は、そんなに嫌われ憎まれていたのか?
自分から喧嘩を売った事も無ければ自分から他人の記事を批判する
様な事はしなかった。いや一度だけ家内の事を葉っぱ1枚の恥じらい
の無い女と書かれた時は家内は子供を守る為なら、その葉っぱ1枚も
捨てると書いた事があった。
そしてその女性には子供が居なくて、実はそれまでは友人だと思って
た人で病気で子宮を全摘出してた事を忘れ「子供のいない人には気
持ちが判らない」と書いてしまい、書いて指摘されて思い出し直ぐに記
事を削除して丁重に謝罪し、彼女も自分の非を認め仲直りした筈でし
た。でも、それから1ヵ月も経たない内に再度、手の平を返された。
でも、もう良いと思った。
あの時の仲直りの言葉は本音では無かったのだと諦めた。
そして彼女は僕を責める側に回り中心的な存在になってた。
他の友人の事も薄っぺらい人と書き、人間関係なんて3年で入れ替わ
るとまで他の人のコメント欄で書いてた。
悲しくなった。
人の世とは何と儚いものかと思った。
誰が信じられるのか、誰を信じていれば良いのか判らなくなった。
家族は当然信じているけど、所詮、リアルでは無いブログでは誰も信じ
てはいけないのかと考えた事もあったけど、僕を応援して下さる方が
沢山いる事を知り勇気を貰えました。
今も多くの方が半日の内にフォローして下さり「いいね」もしてくれた。
心から感謝しています。
どうか、今後、僕が間違った事を書いたら遠慮なく叱って下さい。
そして家内共々宜しくお願い申し上げます。